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医師の旅立ち。

 やがて、医師は旅支度を整えたすがたで、部屋から出てきた。

「ペペ、実験用ハツカネズミの世話をお願いします。あまり増えすぎても困りますので、適度な数で…。三十匹もいれば十分ですから。畑のことはお任せしますよ。次にバシリオが来るのは再来月の半ばごろだと思います。」

「おう、まかせとけ。」

 ペペは空元気で軽快に答える。

「ピア、留守の間を頼みますね。帰ってきてあなたのスープをいただくのを楽しみにしています。ブランコの世話もよろしくお願いしますよ。」

 ピアは無言でうつむき、涙をハンカチでぬぐった。医師は優しい手つきでピアの頭を撫でた。


「では、リアナさん、私はこれで失礼します。行きの馬車の中で、フェルディナント商会の前を通るようにしましょう。ペペの言うあなたの看板が楽しみですね。それでは、お体に気を付けて。」

 医師は笑顔を見せ、軽快な足取りで診察所を去って行った。扉が閉まると、ピアはペペに飛びつき、兄の胸に顔をうずめて、声をあげて泣いていた。

「そんなに泣くなよ、先生だって半年もすりゃ帰ってくるんだから。」

 慰める兄の声も、どこか寂しそうだ。主が不在の診察所で、梨亜はいたたまれない気分で双子に謝る。

「ごめんね…私のせいで二人に寂しい思いをさせて。私もできるだけ、ここに来て畑のお手伝いさせてもらうね。先生帰るまでに、ヤコニートの花を咲かせられるよう、私もがんばるから。」

「そうだ、ピア。花畑を満開にして、先生びっくりさせてやろうぜ。ヤコニートの花が咲かせられるようになったら、先生も毎年毎年北のほうに行かなくって済むだろ?」

 ピアは泣きながら兄の胸の中で何度もうなずく。梨亜は少し安心しながらも、あの変人医師が、双子にここまで家族のように慕われていることに驚いていた。まるで、父か、年の離れた兄を見送るようだ。


 それから三人は、泣いているピアを真ん中に、ペペと梨亜の二人で手を引くように畑に出た。ペペの仕事が行き届いていて、畑に植わっている植物たちはたいていどれも青々と綺麗に茂っているけれど、ヤコニートの畑だけはやはり元気がない。くったりと根元から折れていたり、細く弱々しい茎で、花芽すらつけられそうにないものが多い。少しだけ、弱々しい花芽が見えるけれど、花開くかどうか首をかしげてしまうものばかりだ。

「夏の花だからっていうから、毎年夏に向けて咲かせるように植えてるんだけど、北のほうの高い山の植物だから、ここ、南都じゃ日差しが強すぎるのかな。……でも、ためしに春や秋に植えてみても、やっぱりうまくいかないんだよな。葉っぱは茂っても、花芽がつかない。夏だと、何本か花芽だけはつく。ま、ほとんど開かないまま枯れちまうけどな。」

 ペペは悔しそうに言う。

「そうね、気候が全く違うと難しいものね…。でも、たとえば、北都の平地だったらどうなのかしら?」

「先生の話じゃ、寒い北都でも、山から降ろして平地の庭先に植え替えても、たいてい枯れちまうらしい。だから、この南都で花芽をつけられるだけでも、俺の腕はたいしたもんだ、って先生は慰めてくれるんだけど、結果が出てないのは一緒だからな。」

「うーん。」

 梨亜はあごに手を当てて思案する。

「私も帰ってフェルディナント家の庭師に聞いてみる。……あと、エルンスト館の庭の手入れをしている庭師さんにも聞いてみよう。」

 エルンスト館で、ポロネーシュの花、パープラが咲き誇っていたのを梨亜は思い浮かべる。異国の花を咲かせる技術、専門家に聞いてみなくちゃ。

「私も私なりにいろいろ調べてみるね。早いけど、今日はもう、鳩を飛ばすわ。」

「おねえちゃん、もう帰っちゃうの?」

 涙ぐんだままのピアが寂しそうな顔を見せる。

「大丈夫、鳩が飛んでから迎えが来るまで一時間はあると思うから、それまではピアと一緒に家の仕事しよう、約束したもんね?」

 梨亜がピアの手を取ると、寂しげだったピアの顔に少しだけ笑みが戻って、梨亜はほっとした。


 

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