王国の悩める王太子
オーキッド王国の王太子、クリスティアーノは夜更け、うつうつとした表情でひとり、寝台に座り込んでいた。
前髪をさらりとかきあげ、秀麗な顔をやや苦痛そうにゆがめた王子は、ため息をひとつついて、寝台の夜具の中に身を横たえようとしたその時、ふと目を上げた。
「また来てんのか、ヒュペル。」
「あのねえ、いちおう僕、全知全能の神なんだから、友だち呼ぶように気安く名前を呼ばないでくれる?」
オーキッド王国の全国民が忠誠と信仰をささげる全能神、ヒュペリオンが、ぶつぶつと言いながら部屋のすみから現れ、王太子の前にふわりと降り立った。
「俺におまえを信仰しろってか、バカバカしい。今更だろ。確かにおまえは色んな能力があるけど、いろいろ間抜けでやらかしてることが多い。尊敬だけしてろったって無理だろ。」
クリスティアーノは口の端をゆがめる。
「僕をそんなに罵倒してるの、ほかの人に聞かれたら、国がひっくり返るよ?いちおうきみ、最年少で『天啓の祝福』を得た、奇跡の賢王子って呼ばれてるんだから。」
ヒュペルは口をとがらせた。
オーキッド王国は大陸一の大国で、強い軍隊を持ち、商業も大きく栄えている。オーキッド王国以外にも周辺には小国が五国ほど控えているが、王国の国土の面積、軍備、人口、国力その他なにを比べても勝負にならない。王国がその気になれば、この五国を攻め滅ぼすことなどあっという間だろうが、王国はそれをしないし、王国に歯向かうような無謀な国も無い。おおむね大陸は平和だった。
王国をひとつにまとめているのが、全知全能の神、ヒュペリオンに絶対の忠誠を誓う王族だった。クリスティアーノは十八になる王太子で、いずれはこの大国の王になることが約束されている。
「天啓なんかくそくらえだ。だいたい俺、そんなの望んでないぞ。」
「仕方ないじゃん、きみと僕の波長がぴったり合っちゃったんだから。」
「性格の相性は最悪だけどな。それにあの天啓は事故みたいなもんだろ。」
「まあまあ、そう言わないで。きみは国民の中でも評判がいいし、猫かぶりもバレてないから、これからもうまくやりなよ。」
この国の王子は、王宮内にある神殿で、十六歳になると「成人の儀」を執り行う。ヒュペリオンの像の前で剣を抜き、永遠の忠誠を誓う。そのとき、まれに天啓と呼ばれる現象が起こる、と言われている。神の御前で頭を垂れている王子の耳だけに、神の祝福の声が直接響くことがある、という伝承があるのだ。
むろん全員に起こりうるわけではなく、直近では、現王の五代前に天啓を受けた王子がいた、と言われている。かなり稀なことなのである。たいていの王族は、成人の儀を執り行い、神の御前から頭を上げた時に、神父から「天啓は聞こえましたか?」とささやかれ、仮に聞こえた場合は、「はい、天啓をいただきました」と答え、天啓が聞こえなかった王子は「いいえ、残念ながら聞こえませんでしたが、私の忠誠心は変わりません。」と答えることになっている。そして、ほんとうに天啓の聞こえた王子は、「天啓をいただきました」と発言した瞬間に、黄金色の祝福の光に全身が包まれる、とされている。
クリスティアーノのいう「事故のような天啓」は、この国の第一王子の成人の儀の最中に起きた。成人の儀が執り行われる神殿には、王族の男子全員に出席が義務付けられている。第一王子ヨーゼフの荘厳な儀式が執り行われる中、神父の長いお説教を、全員が頭を垂れて聞いていた。しかし、当時五歳の第三王子クリスティアーノだけは不思議そうに左の壁を見つめていた。父王がそれに気づき、小さな声で幼い息子に注意すると、クリスティアーノは、不思議そうに壁を指さして、
「だって、不思議なんだもの。神様の像と同じ顔をした人が、同じ服を着て、ここに立ってるんだよ?」
と、五歳の王子は、ほかの人にはただの白い壁にしか見えない場所を指さした。その瞬間、クリスティアーノの全身は、黄金色の光に包まれた……。
「奇跡の王子」とクリスティアーノが呼ばれるようになったのは、この時である。
第一王子にも、第二王子にも、当然のように天啓は降りなかった。本来は第三王子で、王位継承権第三番目だったはずのクリスティアーノが立太子が取り沙汰されはじめたのは、この「奇跡の天啓」がもたらしたことにほかならない。つまり、この国はそれほど信仰心に篤い国なのだ。
……クリスティアーノの成人の儀の時のことは、今でも語り草になっている。クリスティアーノが神父の言葉のあとに、型通り剣を抜いてヒュペリオンの像の前で頭を垂れた瞬間から、彼の全身は黄金色のまぶしい光に包まれ、彼が忠誠を誓う間じゅう、それが止むことは無かったからだ。あまりのことに、神父はかれに「天啓が聞こえましたか」と問うのを忘れていた。必要も無かったとも言える。五歳ですでに天啓を受けていたクリスティアーノは、十一年の時を経て、あらためて「奇跡の王子」であることを立証された形になった。このことは熱狂的に全国民に伝えられ、成人の儀のあと、クリスティアーノは当然のように立太子された。第一王子も第二王子も、意をとなえなかった。
長いため息をついて、恨みがましそうに神……ヒュペリオンを見やったクリスティアーノは、ふとヒュペリオンの胸元に目を止めた。
「おい、おまえ、そこに何を隠してるんだ。」
「えっ、クリスってそこまで見えるの?」
ヒュペリオンはとっさに胸元を両手で押さえて二三歩後ずさった。
「いいから見せろ。」
「ちょっとだけだよ。可愛いからって、クリスにはあげないからね?」
「早く。」
促されて、そっとローブを開けて、ヒュペリオンは何かを大事そうに取り出した。
「いまは僕の能力で眠らせてるからね。起こしちゃだめだよ。……ちょっとベッドに置くからそこ、どけて。」
言われるがまま、素直にクリスティアーノはベッドから降り立つと、ヒュペリオンは両手で大事そうに光の球をそこに置いた。すると、光はみるみる大きくなり、そして光は不意に消えた。と、そこには黒髪の女の子……梨亜が眠っていた。
「おい、これ誰だよ、どこからさらってきた。顔立ちからするとポロネーシュ人か?」
クリスティアーノは不審げに問いただす。
「この子は旅先の異世界から連れてきたんだよ。すごーくいい子なんだ。ほら、すごく手足も細いだろ?継母に意地悪されてて、きっと食べ物も満足にもらっていないだろうに、なけなしの自分のお小遣いで、野良猫たちにエサを与えてたんだ。」
「野良猫に?自分の食い物を削ってまで?」
不審そうな顔をするクリスティアーノ。
「そうなんだよ!それでその美しくてけなげな姿に涙を誘われてみてたら、この子とバッチリ目が合っちゃったんだ!」
ヒュペリオンの嬉しそうな声に、クリスティアーノは驚く。
「……ていうことは、コイツ、おまえの姿が見えるのか?俺みたいに?」
「そうなんだよ!もう運命だよね!それって。だから、あんなひどいところに放っておきたくなくなって、幸せにしてやりたいから連れてきたんだよ。きっと心の綺麗な子だから、あそこにいたら継母にいびり殺されてしまうよ!だから、もっといい家庭を僕がこの子に用意してやるんだ!」
自信満々に言い放つヒュペリオンの言葉を聞きながら、クリスティアーノは梨亜の髪をかきあげて、顔をもっとよく見ようとする。すると梨亜は、少しうっとおしそうなうめき声をあげて、しかめっ面になって寝返りをした。ほぼうつ伏せ状態から仰向けになったので、顔が良く見えるようになった。
「へえ……目を開けたらどんな瞳してんだろうな。こいつ。」
クリスティアーノは梨亜のきりっとした眉毛のあたりを見つめながらそうつぶやいた。ヒュペリオンは可愛くてたまらない、という顔をして笑顔で梨亜を見つめている。
「起こしちゃだめだよ!ね、かわいいだろ。」
「まあまあかな……。」
クリスティアーノはそう言いながら梨亜の額の髪をかきあげる。すると、不意に梨亜がグッと自分の額に触れる手をつかんできたので、クリスティアーノは驚いて手を放そうとしたが、意外に力が強く、はとっさには離せなかった。そのとき、梨亜の目がかっと開けられた。
「ここどこ!マリの子猫たちは?」
「は?猫?」
クリスティアーノは呆然としていると、
「どいて!」
とヒュペリオンに突き飛ばされるようにクリスティアーノは横にはじかれた。ヒュペリオンは梨亜の手をクリスティアーノの代わりに自分の手の中に収めた。
「大丈夫、子猫ちゃんたちは僕が祝福を授けたからね。末永く幸せに暮らせるよ。大丈夫。」
「そう……ありがとう。」
そう言うと、梨亜はまた重そうな瞼を閉じていった。
「危なかった……。」
ヒュペリオンはそうつぶやいた。呆然としていたクリスティアーノはまじまじと梨亜の顔を見つめて、不意に笑い出した。
「なに、コイツが継母にいびり殺されそうないたいけな少女だって言いたいの?おまえ、そりゃまたぶっとんだ勘違いだな。そんな弱気なタマじゃなさそうだけどな、コイツ。」
そう言いながら、クリスティアーノは梨亜を見て目をきらりと輝かせた。
「おい、面白そうだから、コイツをここに置いてけ。継母の代わりに俺が可愛がってやる。」
「なに言ってんだよ!ダメに決まってるじゃん!後宮みたいな血で血を洗うような怨念の塊の場所に、こんな純粋な子を放り込むことなんてできないよ!僕はこの子を幸せにする義務があるんだからね!」
真っ青な顔をしたヒュペリオンはあっという間にまた小さな球に梨亜を取り込んで、また自分の懐に隠してしまった。
「おい、仕舞い込むなよ。別に後宮にすぐに入れたりしない。それにそいつ、まだガキだろ?」
「十三歳だからガキとも言えないけど、後宮に入れるのには早すぎる!僕はそんなんじゃなくて、幸せな家庭でこの子を育ててもらって、いずれは幸せな結婚できればいいんじゃないか、って思ってるんだよ。きみみたいな腹黒に用はない。それじゃ、またね!また様子見に来る!」
言い捨ててヒュペリオンはそそくさと王子の部屋から姿を消した。
「ちっ、行っちまったか……。」
つまらなそうな顔をして、クリスティアーノはベッドにどさりと仰向けに倒れた。
「あいつ、名前なんていうんだろ……でも絶対いつか、見つけ出してやる。」
ベッドの上で王太子はひとり、決意を固めていた。




