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英雄の丘

 次の日、馬丁のホアキンを連れて、梨亜は英雄の丘近くのロレンソ医師の自宅を訪れた。その前に、ホアキンに言って、南都の名勝である英雄の丘の上にも梨亜は立ってみた。景色の良い崖の上からは、ポロネーシュの島々が一望でき、丘の上にはポロネーシュを俯瞰する英雄アダルベルトと、彼にひざまずく当時の南都の為政者の像が立っていた。像の前にはたくさんの観光客が訪れ、競うように像の前に花を置いていた。セリオの言う通り、南都の人々は、カリエンテとポロネーシュを無傷のまま守った英雄を心から敬愛している様子だった。


「この方が英雄アダルベルトさまなのですね、私、初めて拝見しました。」

 なんとなく梨亜は、今しも像に花を捧げたばかり、というふうな中年女性に話しかけた。

「おや、まあ。ここに初めて来たのかい?」

 珍しいものをみた、というように、その女性はじろじろと梨亜を見た。恰幅の良い、こざっぱりとした木綿の服をきた赤ら顔の女で、よく働いてきたことがわかるような筋肉質の腕をしていた。

「ええ、私、田舎で生まれ育って、この南都に来たのが最近ですから。」

「そうかい。アダルベルト様のおかげで、女神の国とここ、カリエンテは護られたのだから、この辺に住んでる我々はずうっとここにお礼の花を届けるのさ。」

 女性は、南都、と呼ばずに昔ながらの呼称でカリエンテ、と言い慣れたごく自然な物言いでこの地のことを呼んだ。

「それにしても、見事な黒髪と黒目だねえ。決まった相手はいるのかい?おまえさん。うちにも一人、年頃の息子がいるんだけどね、私によく似て、働き者で、気がいいんだよ。よかったら会ってみないか?」

「いえ、私……。」

 女の射すくめるような目におののいて、梨亜は思わず後ずさる。その前に、さっと馬丁のホアキンが梨亜をかばうように立つ。

「失礼、おばさん。このお嬢さんはうちの若旦那、セリオ・フェルディナントの想い人でね。ほかの誰かに簡単に渡すわけにいかないのさ。」

「おやまあ、副議長さんの…道理でねえ。まあ、こんないい娘、決まった人がいないわけないわね。」

 女の言葉で、ほっと梨亜は肩の力を抜く。……街を出歩くときは、ホアキンを連れていくように、とセリオによく言い含められている。背が高く、腕の立ちそうなホアキンは、セリオと同年で、フェルディナントお抱え馭者の息子だった。小さなころからフェルディナント家に住み込んでいて、セリオへの忠誠心は誰よりも高い。なおかつ、ホアキンは幼馴染の恋人にぞっこんで、梨亜の黒髪黒目に興味を示さない稀有な存在でもある。そういうわけで、ホアキンは梨亜の用心棒に、とセリオ直々に任命された。


「それよりおばさん、猫殺しの家ってどこだい?」

「ああ、猫殺しの先生の診察所だったら、あそこのほら、青い屋根の家だよ。南側の塀にくぐり戸があるから、そこから入ればいい。……先生にご用かい?先生家にいればいいけどね。一年の半分は旅に出ているような人だから。まあ留守でも、留守番の双子がいるはずだから、その子らに聞きな。」

「ありがとう。まあ、行ってみるよ。」

 ホアキンが女性に礼を言って背を向けたので、梨亜も慌ててお辞儀をして、その場から離れた。

「あっちこっちでも目えつけられて、お嬢さんも大変だな。」

 馬車に乗った後、御者台からホアキンがからかうような声をかけて梨亜はふくれる。

「せめて、この黒目でも隠さないと、おちおち外も歩けやしないわ。なんとかならないかしら。」

 南都の人間の三割ぐらいは黒髪だから、梨亜の髪の色はそこまで珍しくないが、問題はこの黒目である。女神の黒目と呼ばれる黒い瞳を見ると、南都の男はあっというまに捕食者の顔になる。ホアキンのように興味を示さないもの、漁師のウーゴのように気のいい若者はなかなかいないのだ。

「商会の売り場に、あれ、売ってるだろ。色付き眼鏡。お嬢さん、あれ買ってみたらどうだい!」

「ああ!」

 梨亜は思い出した。たしかにサングラスのようなものをフェルディナント商会でも扱っていた。なんで自分で思いつかなかったのだろう。

「早速帰ったらあれを買おう!ホアキンありがとう!いいこと教えてくれて。……でも、女の子が色付き眼鏡なんかかけていたら、かえって目立たない?」

 日差しの強い南都では、たしかに色付き眼鏡をかけている人間は珍しくないが、それはたいてい男性に限られる。女性はだいたい、日傘で強い日差しを避けている。

「その黒目が見えるほうが、よっぽど目立つと俺は思うがね。」

「そうかもねえ…。」

 梨亜がいろいろと思案にくれているうちに、ホアキンの馬車は医師の家の前に着いた。

 

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