梨亜、決意を固める。
医師に出したティーセットの後始末をしながら、アンナはほっとした顔を見せた。
「変わった先生ですけど、良いお医者様でよかったですね、お嬢さま。ところで、治療費のお支払いをいたしませんと。あとで私がお医者様のうちに持ってまいりましょう。」
と、アンナが財布の入っている引き出しを開けようとするので、梨亜は慌てて止めた。
「大丈夫よ!わたしが支払っておいたから。」
「まあ……貴族のお嬢さまがご自分でお財布を出されるなど、めっそうもない!」
アンナに叱られるが、梨亜はもともと庶民の出だからそんなことは気にならない。それよりも、残った医師への支払いを、今後どのようにしていくかが問題だ。
「……やっぱり、私、ここ、南都で仕事探そう。」
梨亜はひそかに決意を固めていた。
次の日、梨亜は、さりげない風でアンナに話を切り出した。
「ねえ、私の社交界デビューも終わったし、アンナはそろそろ、領地に帰ったほうがいいんじゃない?」
アンナは驚いた顔をした。
「え?ではお嬢さまもご一緒に戻られますか?」
「いえ、私はもうちょっとこっちでやりたいこともあるし…でもアンナはそろそろ恋人の顔も見たいころじゃないかしら?」
そういうとアンナはパッと顔を赤くした。梨亜の二つ上のアンナは、家令の息子で執事見習いのトニーという恋人がいるのは公爵家では周知の事実で、いずれ二人は結婚するもの、と思われていた。
「……でも、お嬢さまのお世話をするように、母からよく申し使っていますし。」
アンナはそれでも抵抗するふうを見せる。仕事を放りだすわけにいかない、と言いたいのだろうが、梨亜はだいじょうぶよ、と言うように笑顔を見せてやる。
「私はほら、夜会のドレスは一人では着られないけれど、そのほかの身の回りのことは自分でできるし、いざというときにはフェルディナント家の使用人にお願いするから、そんなに心配しなくても大丈夫。そもそももう、夜会に出る気もないし。」
「……わかりました。では、お嬢さまの床上げが済みましたら、私、一度領地に帰らせていただきます。でも、お嬢さまに何か危急の用がございましたら、すぐに早馬でもなんでもお知らせくださいませ!ただちに駆けつけますので。お嬢さまと若旦那さまの結婚が決まりましたら、すぐに戻ってまいります!」
「……大丈夫。そんなことは当分無いと思うから。」
梨亜はげっそりとしながらアンナに答えた。いつかのプロポーズ以来、セリオは着々と外堀を固めつつあるようで、すっかりフェルディナントの家族や使用人たちは、セリオの想い人で婚約者候補として梨亜を遇するようになり、それはそれで針のむしろである。
アンナが部屋から出て行ったあと、入れ替わるようにセリオが梨亜の部屋に入ってきた。両手いっぱいにパープラの花束を抱えている。
「おはよう!僕の女神。今日のご機嫌はいかがかな?」
大きな紫色の花束を渡し、梨亜の手の甲に口づけを落とすセリオに、梨亜はため息をついた。
「大げさな呼び名はよしてくれる?セリオ。おはよう。もうすっかり私は大丈夫よ。そろそろベッドから出て動きたいんだけど。」
「だめだよ、あと一週間は安静にしているように、って猫ご……じゃなくてロレンソ先生もおっしゃっていたからね。」
明らかに猫殺し、と言いかけて訂正したセリオを梨亜はあきれた目で眺める。医師も自分で名乗るぐらいだから、抵抗はないのかもしれないが、それにしてもあんまりな二つ名である。
「ねえ、なんでロレンソ先生は『猫殺し』なんて物騒な名前で呼ばれてるの?」
「うーん、僕もよく知らないけど、ロレンソ先生は夜な夜な出会いがしらの猫を殺して、あの海辺の屋敷で腹を切り裂いているからだ、という噂があるみたいだよ。僕も猫は嫌いだけど、だからと言って、殺すのはちょっと、ねえ。触れるのもおぞましいっていうか。」
そう言って、ぶるりとセリオは身を震わせ、はっと梨亜の顔を見やる。どうやら猫嫌いを理由に梨亜にプロポーズを断られたのを思い出したようだ。
「あっ、でも、もしかしたら可愛い猫もいるのかもしれないね、うん。きっと僕の出会った猫たちが悪かったんだ。」
しらじらしくそんなことを言うセリオからいったん目をそらして、梨亜はため息をついた。それからセリオの目を再び見て、梨亜は話を切り出した。
「ねえ、あなたのご両親に相談があるの。ベッドから出られるようになったら、場を設けてくださる?」




