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猫殺しの登場

 幸いなことに、梨亜の意識が落ちる前に、海に飛び込んできた誰かによって、梨亜は海中から救い上げられた。

「ねえちゃん、あぶねえから近づくなっつったろ!!」

 怒鳴りながら梨亜を助け上げてくれたのは、先ほど猫に小魚を与えていた漁師だった。

「ありがとう。っ痛っ!!」

 梨亜は左の二の腕に激しい痛みを感じて悲鳴を上げる。

「ああ、ねえちゃん、岸壁の牡蠣殻かなんかで腕やられてんな。どっかで治療しねえと…。」

 漁師はぶつぶつ言いながら、荷物のようにひょいと梨亜を肩に担ぎあげる。梨亜は痛みで動けず、そのまま漁師に運ばれ、漁師小屋にどさりと下ろされた。

「おい、ウーゴその子どうした!溺れたのか?」

 漁師小屋と呼ばれる建物は思ったよりも結構広く、複数の男たちのざわめきが聞こえる。

「いや、海に落ちただけで溺れる前に助けた、でも怪我してる。どっか近くに医者いねえか。」

 ウーゴと呼ばれた梨亜を助けてくれた漁師が答える。

「そういやさっきのポロネーシュ船に、猫殺しが乗ってたって話だぜ。その辺にまだいんだろ、だれかとっ捕まえてこい。」

 猫殺し?痛みでもうろうとする梨亜の頭に物騒な単語が聞こえた気がするが、聞き間違いだろうか。

「よしきた!」

 誰かが駆け出していく足音がする。

「……いいのかよ、猫殺しは腕はいいけど、金かかるぞ?」

「大丈夫だろ、この服、どう見たってお貴族様だろうし。」

「それもそうか。それより、とりあえずこの血を止めてやらなきゃ。……なんかしばる布切れでもくれ。」

 梨亜の頭上で男たちが会話している声が聞こえる。……やはり「猫殺し」という不穏な単語が聞こえたが、梨亜の腕の痛みはますます激しくなってきて、頭がぼんやりとして、それどころではなくなってきた。


 しばらくして、

「お待たせしました。」

 という落ち着いた声が寝かせられている梨亜の頭上から聞こえてきた。

「おう、猫殺しの先生、この子だ、診てやってくれ。」

 ウーゴが声の持ち主に言っているのも聞こえ、梨亜はうっすらと目を開ける。

「ああ、ひどい怪我ですね。では治療しましょう。」

「お願いします。」

 髪の色の濃い南都では珍しい、白に近いプラチナブロンドの髪色と薄い空色の瞳が梨亜の目に入った。

「お嬢さん、意識はありますね。少し痛みますが、怪我の治療をしますよ。」

 プラチナブロンドの髪に白皙で上品な顔立ちをした青年医らしき人が梨亜に話しかける。この人が猫殺し?梨亜は不思議に思いながら、こくりとうなずいた。

「上等の服を申し訳ないですが、袖から切らせてもらいますよ。」

 そう言って、豪華な刺繍の施されているドレスにためらいもなく鋏が入れられる。どうせさっき、海に落ちたとき、怪我をしたと同時に大きく裂けているのだ、それは抵抗は無かった。

 が。

「消毒しますね。」

 そう言われたと同時に、傷口になにかが掛けられ、それが焼けつくような熱さをもつ痛みをもたらした。

「いったぁあああああい!!!」

 梨亜は思わず貴族の娘らしからぬ大声を上げる。

「はい、そこのあなた、彼女の腕を押さえて。」

 医師は容赦なく近くにいる誰かに命じる。鍛え上げられた漁師の腕に手首をがっしりと押さえつけられ、治療のため仕方ないとはいえ、梨亜に恐怖心が芽生える。

「これぐらいで根を上げてはいけません。いまから縫合しますので、傷口を直接触ります。もっと痛いですよ。覚悟してください。…さ、みなさん、暴れると危ないですから、彼女の手足をあと二、三人で押さえてください。」

 医師は冷静な顔で物騒なことを言う。

「ま、麻酔!なにか痛み止めみたいなもの無いんですか?」

 大勢の男に寄ってたかって拘束される恐怖と、痛みへの恐怖におびえて、梨亜は顔を蒼ざめて医師に訴えると、医師はぴたりと動きを止めた。

「……ええ、無いこともないですが、私の薬は高いですよ?」

「いくらかかってもかまいません!」

 梨亜は必死で叫ぶ。

「……そうですか。二三日意識がもうろうとする眠り薬と、痛みのある部分だけ麻痺させる麻痺薬とありますが、どちらがよろしいですか?」

「……眠り薬……いや、麻痺薬で!」

 見知らぬ大勢の男たちの目の前でもうろうとするなんて、危険極まりない、と梨亜は判断する。

「わかりました。では薬を用意するのでしばしお待ちください。」

 医師の言葉にほっとすると、梨亜の体から力が抜けた。


 医師はスプレーのような器具で、梨亜の傷になにかの薬をかけた。最初にしみるようなピリピリしたわずかな痛みを感じたが、やがて、その痛みがうそのようにすうっと引いた。

「これは北方の高山でしか取れない、ヤコニートという薬草の根からできています。効果は二、三十分しか保てません。効いているうちに治療しましょう。」

 梨亜がおとなしくしているので、周りの男たちも拘束していた手足を離してくれた。梨亜はほっとする。医師は手際よく傷口を縫合していくが、薬のせいで、まったく痛みを感じない。こんな便利な薬があるなら、最初っから使ってくれたらよかったのに。と梨亜は思った。

「さあ、治療が終わりましたよ。」

 医師が声をかけてくれて、梨亜はほっとする。


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