25.センセンチェリ平原会戦1
クレベンナ市の包囲を解いて一旦北へ撤退したアーデシラ王国軍はセンセンチェリ平原で陣を敷いた。クレベンナ市の包囲では用意していった馬10万頭の内ほどんどの7万頭を失った。生き残った馬も極度に疲弊しており、このままでは戦闘に役に立たない。一旦ここで馬に休息を与え、馬の体力が回復を待つようだ。
それに追撃して来るロイマーナ王国軍の動向も気になる。陣を敷いて馬に休息を与えつつ斥候を放って、ロイマーナ王国軍の動きを探っているようだ。
一方追撃して来るロイマーナ王国軍もアーデシラ王国軍がクレベンナ市の包囲戦で多くの馬を疫病で失ったことを把握していた。それはクレベンナ市の周辺に広がる累々と横たわる馬の死体を見れば一目瞭然だった。決して教会関係者が言うような神の加護でないことは明らかだった。
そのためアーデシラ王国軍を叩くなら今が好機と見て必死の追撃を行ってきたのだが、ロイマーナ王国軍は歩兵主体の軍である。移動速度は軽騎兵主体のアーデシラ王国軍に遠く及ばない。それに各地に残存した領主軍を糾合していたら、時間がかかった。それでもクレベンナ市を出てから1週間でアーデシラ王国軍が陣を敷くセンセンチェリ平原に至った。
ロイマーナ王国軍は主力の騎兵が3000人、急遽作られた軽騎兵が6000人、弓兵5000人、魔法士が3000人、歩兵が2万人である。それに、急遽かき集めた領主軍が約2万人である。このうちクレベンナ公爵軍は8000人である。公爵軍の内訳は軽騎兵が3000人、残りは歩兵が4000人、魔法士が1000人である。残りの領主軍はほとんどが歩兵である。つまり、騎兵3000人、軽騎兵9000人、弓兵5000人、魔法士4000人、歩兵36000人である。総勢57000人である。
これに対してアーデシラ王国軍は軽騎兵3万人のはずである。しかし、今回クレベンナ市の包囲戦で多数の馬を失ったことから、まともな馬が用意できない。それに兵の内でも体調を壊して動けなくなった兵士も多い。
その結果、軽騎兵1万人、歩兵15000人という布陣となった。ただし、動けない馬や兵士は巧妙に隠蔽された。しかし、これはロイマーナ王国軍の放った斥候により、アーデシラ王国軍に動けない兵士や馬が多数いる事は筒抜けだった。さすがにその数までは分からなかったが、少なくともこれまでの戦闘のように軽騎兵の替え馬が用意出来ていないことは明らかであった。
このような両者はセンセンチェリ平原で相対することになった。ロイマーナ王国軍はアーデシラ王国軍の約2倍である。いくらアーデシラ王国軍が軽騎兵の扱いに慣れているとはいえ戦力差は明らかである。ロイマーナ王国軍を率いるのは第1王子のアルマンドである。また、公爵軍はアントニオが率いている。
センセンチェリ平原は東側は小高い丘陵で森となっている。その南にセンセンチェリ川が西から東に流れている。アーデシラ王国軍はその川の北側に歩兵を左翼、中央、右翼と3つに分けて配置している。その後ろには軽騎兵がこれも歩兵と同様、左翼、中央、右翼と配置している。そしてその後ろには本陣がありあそこに多数の兵がいるが彼らは歩兵のようである。
この布陣を見てアルマンドとアントニオは違和感を覚えた。いくらクレベンナ市で多数の馬を失ったとはいえ、軽騎兵の数が少なすぎる。どこかに伏兵がいるのかもしれない。伏兵がいるとしたら敵左翼の西側に広がる森だと思われた。そこで、アルマンドとアントニオはここに軽騎兵が多数いるものとして軍を配置することにした。
ロイマーナ王国軍の配置はセンセンチェリ川の南に王国軍の弓兵5000人と魔法士3000人を配置してその後ろに歩兵15000人を、その後ろに騎兵3000人と軽騎兵3000人を配置した。さらに、西側の森からの軽騎兵の突撃に対抗するため、軽騎兵6000人と歩兵5000人を配置した。さらに東側に公爵軍の兵8000人と領主軍の歩兵12000人を配置した。
戦場の配置図配下の通りである。
数だけでいえば左翼中央右翼はアーデシラ王国軍とほぼ同数だが左翼の遊撃部隊は2倍、右翼の遊撃部隊には対抗するアーデシラ王国軍がいない。この遊撃部隊が東側を回り込んで敵本陣を突けば敵を敗走させることが出来る。
今回の戦争は勝ったと、アルマンドとアントニオは思った。




