一目惚れ 下(Side ミシェル)
結局、一度もルシーニュ伯爵令嬢に話しかけられないまま、今年最後の大規模社交イベントであるブロワ公爵主催の夜会を迎えてしまう。この夜会にはルシーニュ伯爵令嬢も参加しており、彼女と目が合う瞬間もあったものの、令嬢たちを振り切ってダンスを申し込もうとした時には彼女は姿を消してしまっており、声をかけることができずに終わってしまった。
その結果は戦友たちにも把握されており、ダンスが終わって夜会に一区切りつくや否や、残念会と称してクラブに連行されてしまう。一杯、また一杯と自分のペースで杯を重ねていくうちに、特段酒に弱いというわけでもないのに、どうしたわけか気づくと意識を失ってしまっていた。
そして目覚めると見知らぬベッドで寝ていて、何故か部屋の中にはルシーニュ伯爵令嬢がいた。
「……っ……!!」
思わず声を上げそうになったところで、彼女からの合図に気付いて咄嗟に口を手で覆う。
「どうして貴女がここに?」
小声で問いかけると彼女自身も何もわからないのか首を左右に振るだけだった。
『まあ飲め。お前にもそのうちきっと良いことがあるさ』
『そうそう、寝て起きたら素敵なプレゼントが用意されているかもしれないぞ』
彼女の代わりに朧気な昨晩の記憶が答えを教えてくれた。そうか、あいつらの言っていたのはこのことか!
「申し訳ない、多分だけれども私の友人が無礼を働いてしまったようだ」
証拠があるわけではないものの、戦友たちが迷惑をかけたことに確信が持ててしまい、彼女を巻き込んでしまった申し訳なさに頭を下げた。
カーン、カーン、カーン……
詳しく説明しようとしたところで、時を告げる鐘が時間がないことを教えてくれた。恐らく悠長にしているとこの部屋に犯人たちが雪崩れ込んで来るだろう。
どうしたものかと思ったところで、彼女がそっと傍にある窓を指差した。多分窓から抜け出したいということなのだろう。部屋の外には人がいるであろうことを考えると良い判断と言えた。
「ああ、そうですね、部屋の外には人がいるでしょう。だから窓から逃げるのが正解だと思います」
自分がそう言って同意すると、彼女は少し眉をひそめて困ったような表情を見せた。
「ん、窓が開かないのですか? なら、ちょっと見せてもらいますね」
彼女に一声かけた上で窓に近づいてみると、確かに部屋の窓はしっかりとした作りになっており貴族令嬢の細腕では持ち上げるのにも苦労しそうだった。しかし、自分が手をかけて持ち上げてみるとあっさりと開けることができた。
窓を開けたついでに外の景色を確認してみると見覚えがある。確かここは王都から西に出てすぐのあたりだ。王都から一晩で運び込むとなると確かにこの辺になるだろうなと謎の納得感があった。
「ここは……王都のすぐ近くの宿ですね。どこか行く当てはありますか?」
現在地を確認できたところで彼女に行く当てがあるか尋ねてみたが、首を横に振られてしまった。
「そうですか、それなら前に見える道を西に、ええと、左に行けば教会があったはずです。そこに駆け込むと良いでしょう」
「あ、ありがとうございます。あの、貴方はどうなさるんですか?」
「自分まで一緒に教会に行ったら駆け落ちになってしまいますよ」
彼女に道を教えると自分はどうするのか尋ねてきた。正直に言えばこのまま彼女に付いていきたい誘惑に駆られたが、そんな想いは軽口を叩くことで誤魔化して、答えを続けた。
「自分はここで友人たちを足止めしておきます。というか説教ですね。まったくもう、伯爵令嬢に迷惑をかけて」
せっかくはじめて彼女と言葉を交わすことができたのに、ゆっくりと話すこともできないなんて。この悔しさは戦友にぶつけさせてもらおう。
「さ、お急ぎ下さい。昨日はあいつらも結構飲んでいましたが、いつ起きてもおかしくありません。みんな揃えばこの部屋に押しかけてくるでしょう」
窓から外に出るために何か足場になるものがないかと部屋を見渡すと、椅子を見つけたのでそれを窓際に運んで足場にするように促した。彼女は椅子の上に立って窓枠に足をかけたが、そこで一度下を見て、躊躇うように動きを止めてしまう。
「失礼します。どうか掴まって下さい」
一階とはいえ貴族令嬢にそのまま窓から飛び降りてもらうのは難しいということに思い至り、一言断りを入れて窓から外に向けて腕を伸ばすと、腕に掴まってもらうことにした。
彼女は少し驚いた顔をしたものの差し出した腕を掴むと、思い切って窓枠を蹴って部屋を飛び出した。その瞬間、確かに華奢な彼女の体の重さが全て自分の腕にかかったが、軍の訓練を思えば重さというのもおこがましいくらいだった。
そのまま彼女を地面に降ろすと、腕から手を離した彼女はこちらを振り向いてお礼を言ってくれた。
「とんでもない。こちらこそ迷惑をかけて本当に申し訳ありません。もし教会に訴え出るなら自分の方でも協力いたしますので。後日、正式に伯爵家にお詫びに伺わせてもらいます」
「あの……」
彼女が何かを言いかけたところで、部屋のドアを叩く音が聞こえてきた。
きっと今回のことを企んだ連中が目を覚まして押し掛けてきたのだろう。
「こちらはお任せ下さい。さぁ、貴女は早く教会へ!」
もっと彼女と話していたかったが、その誘惑を断ち切って断腸の想いでそう告げて窓を下ろした。最後に一瞬交わった視線の向こう、彼女の緑色の瞳中に名残惜しさを見出してしまったのは自分の未練だろうか?
そうやって彼女を送り出すと、戦友たちと対面すべく部屋のドアの前に立つ。ドアの外からは打合せと思しき声が漏れ聞こえてきた。この声はお調子者のダミアンだな。
「それじゃいくぞ! やあ、おはよう!すばらし……!?」
素晴らしい朝だな!と続けるはずのダミアンの言葉はドアを開けて早々に対面した自分の仏頂面を前に消えていった。
「おはよう。昨日は随分と飲ませてくれたな。ただ、宿に担ぎ込んでくれたことには礼を言おうじゃないか」
「ははは、大した事じゃないさ……」
「どうした、何か気になるのか? わざわざ一人身には余る広いベッドの部屋を用意してくれたおかげでぐっすり眠ることができたよ」
「そうか、いやあ、よく眠れたならそりゃ良かったよ。あまりにも起きてくるのが遅いから様子を見に来たんだ」
戦友たちは待ち構えられていたことに驚きながらも、仕掛けの結果が気になって仕方がないようで、何とか部屋の奥を覗けないかとそわそわしていた。
「そんなにも部屋の様子が気になるなら見てみるか? 他の部屋と大差ないと思うが」
「えっ!? いいのか?」
「そりゃ部屋を取ってくれたのは貴様たちだろうに。別に構わないさ」
自分がそう答えるや否や、戦友たちは一団となって部屋に押し入ってきた。
御曹司も計画に乗り気だという話だったが、さすがに当人は参加していないらしい。部屋に入ってきた連中がどいつもこいつも何かを探すようにキョロキョロと首を振る中、遅れて一番最後ににやけ顔で部屋に入ってきた悪友のルブランは他の連中の様子をみてこちらに向けてやれやれとでも言うように肩をすくめていた。
戦友たちが部屋の中に人がいないことを確かめ終わり、勘の良い奴が窓に近づいたところで、パンと一つ手を叩いて注目をこちらに集めてみせる。
「はい、そこまで。一体誰を探しているかは知らないが、ここには誰もいないよ」
「いや、確かに昨夜はちゃんと……」
「おいっ!」
口の軽い粗忽者がうっかりと口を滑らせたところに、仲間から制止が入る。
「君たちの言いたいことはわかっている。退役祝いをどうしようかと考えてくれたことも嬉しく思う。しかし、だ。もしその通りだったとして、どうして自分が喜ぶと思ったのかね?」
あくまでも言葉遣いは丁寧に。ゆっくり、はっきりと喋る。そして一語一語に圧を込める。叱責する時の話し方をしながら、押し黙ってしまった戦友たちを前に更に言葉を続けてゆく。
「君たちの多くは西部出身だったな。確かに西部の一部では誘拐婚は花嫁に誘拐されるほどの価値があるという名誉なこと、という認識がまだ残っているのかもしれない。しかし王都の社交界や自分の領地である東部においてはそんな認識は無いんだ。仮に、もしも、この部屋に貴族令嬢がいたとして、自分がそのことを喜ぶと思ったのかね? 諸君らもこの秋、多少は社交界に参加していたのだから男と二人きりになった貴族令嬢がどういう風に言われるかをまったく知らないわけではないだろう?」
自分の言葉に戦友たちは色々な表情を見せた。男には男の理屈がある、と言いたい奴もいるのだろう。
「人によって色々な考え方はあるだろうが、自分はわざわざ罪のない令嬢を苦しめたいとは思わないし、戦友たちにもそんなことをして欲しくはない。だからこの部屋には自分しかいないし、いなかった。全てそういうことで処理させてもらうぞ」
「せっかく司祭も呼んでおいたのに……」
誰かがぼそっと漏らした一言が更に自分の怒りに火を注いだ。
「いったい何をやってるんだ! 他人の人生に関わることをそうやってなし崩しで進めようとするんじゃない!」
久々に鬼の上官モードになった自分の説教は待ちくたびれた司祭殿が部屋の戸を叩くまで続けても言い足りた気がしなかった。とはいえ、宿にも迷惑をかけてしまうので話を切り上げて戦友たちと解散させると、ルブランが労うように肩を叩いてきた。
「指導お疲れ様だねェ。それで、これからどうするのヨ? ちゃんと気になっていた子には会えたんだろウ? キミが起きる前にあいつらを部屋に入れないようにこっちは苦労したのだから感謝して欲しいものだネ」
「感謝を求めるならそもそも事が起きないようにして欲しかったのだがな。まあいい。とりあえず父に相談した上で伯爵家に詫びに伺うつもりだよ」
「伯爵家? ああ、そう。ふふふ、そうなったカ」
返事を聞いたルブランはまたニヤニヤと笑い出した。
「何なんだ? 言いたいことがあるなら言えば良いじゃないか」
「気にするナ。伯爵家に行けばわかることサ」
そのままルブランは口を割ることはなく、自分がその真意を知るのはルシーニュ伯爵家を訪れて人違いを知らされた時だった。
恐らく悪友は自分の好みと本当のルシーニュ伯爵令嬢のズレを怪しみ、本当に自分が追いかけていたのはメラール男爵令嬢であることにどこかで気付いたのだろう。その上で、子爵家跡継ぎと男爵家事情の間柄であれば多少強引に推し進めても何とかなると判断し、暴走しかけていた戦友たちを上手く操ってみせたのだと思う。
結局、紆余曲折の末にある意味悪友の狙い通りメラール男爵令嬢とデートをすることになったのだが、果たしてどうなるのだろうか。




