6 美術館
デート当日の朝、メラール男爵家タウンハウスのとある一室では朝から大騒ぎが繰り広げられていた。
「さ、お嬢様。今日のドレスはいかがなさいますか? 私見としましてはコンスタンス様からこちらの深紅のドレスをお借りして、たまには大きく髪を盛ってみてはいかがでしょうか? そこに以前に旦那様から頂いた銀細工の髪飾りを付けましょう。耳飾りは奥様が合いそうなものをいくつかお持ちでしたからそちらからお借りしまして。ああ、でもそうしますと胸元にも何か欲しくなりますね。何か良いアクセサリーがなかったでしょうか。えーと、えーと……」
今まで色恋沙汰と縁が無かった主人の初デート、しかも相手が王都でも話題の若獅子の一人ということもあり、侍女のクロエがかつてないほど大張り切りしている。
「もう、はしゃぎすぎよ。ドレスはいつもの外出用の白のドレスで構わないわ。頭は帽子を被るのだから軽く編むだけで充分よ。アクセサリーはそうね…… 以前リリーと一緒に買った翡翠のブローチがあったでしょう、あれだけで十分だわ」
「お嬢様、それはいくらなんでも……」
「これも考えあってのことだからまずは言った通りにしてちょうだい。リリーとも相談済みなのよ」
長い付き合いからクロエもリリアンヌの判断には一目置いており、そういうことであればと疑問をひとまず横に置いて言われた通りのドレスを用意し、髪を整え、化粧を施すことにした。
「お嬢様、仰った通りにさせて頂きましたが……やはり、その、地味すぎるのではないでしょうか?」
鏡の前に立って帽子の角度を調整するアンリエットを見たクロエの感想はその一言に尽きた。
白を基調としたドレスに合わせてアイボリー色の帽子や手袋を身に付け、胸元に自身の瞳と同じ緑色のブローチを付けたその姿は確かに清楚な印象を与え、良家の令嬢らしい装いではあったが、同時にありきたりといえばありきたりであり、貴族家の令嬢としてはいささか華やかさに欠けていると言えた。
「いいえ、これで良いのよ。うちには見栄を張る余裕なんて無いのだから。いつも通りで十分だわ。それに、華美な装いはあの方の趣味じゃないと思うの。だってリリーの横にいたわたしに目をとめたのよ?」
「……なるほど、そういったお考えでしたか。差し出がましいことを申し上げて申し訳ありませんでした」
それはある種の自虐を含んだ言い方ではあったが、ミシェルの好みを推測する有力な手がかりであり、クロエにも納得がいく話だった。
そうしてアンリエットの身支度が終わってしばらくすると、約束の時間通りにジェラン家の馬車が到着したことを使用人が告げに来た。
アンリエットが屋敷を出ると、そこには正装を着たミシェルが待っていた。
ミシェルの服装は上は真新しい茶色のウエストコートの上に紺色のジュストコールを羽織り、下は同じく紺色のキュロットパンツによく履き込まれた長靴という組み合わせで、靴以外はどれも最新の流行の組み合わせと言えた。ただ、姿勢の良さでなんとか誤魔化せてはいたが、まだ社交界の流行の服には着慣れていない雰囲気が所作の端々から滲みでてしまっている。
「ミシェル様、本日はお声がけいただき誠にありがとうございます」
「こちらこそ突然の誘いに応えていただき感謝いたします。メラール男爵令嬢のような可憐な人とご一緒できることを大変喜ばしく思います」
お互いに挨拶を交わし合ったが、特にミシェルの挨拶にはいかにも不慣れで練習してきたのだろうなと思わせるぎこちなさがあり、傍で見ていた者たちが思わず応援の念を送ってしまう程だった。
「さ、どうか貴女の手を取ることを許していただけますか?」
「はい、どうかよろしくお願いします」
ミシェルからエスコートを願い出ると、頬を少し赤く染めながらアンリエットは手を差し出して応え、お手本通りのエスコートで二人はジェラン子爵家の馬車に乗り込んだ。もちろん、未婚の貴族家の男女が馬車の中で二人きりになるはずもなく、二人の後に続いてミシェルの従者とクロエも馬車に乗り込み、四人を乗せて馬車は動き出した。
こうして、ミシェルとアンリエットの王都観光がはじまったが、二人とも話の切り出し方に迷い、馬車の外の賑わいに反して馬車の中は沈黙に包まれていた。道中、建国王の巨像といった各種のモニュメントや、王国各地から届けられた秋の恵みが集まって賑わう市場、四季折々の花が咲き誇る植物園など様々な王都名所の横を通り抜けたが、車内の会話は弾むことなく、馬の蹄と車輪が回る音だけが車内に響き渡る。
「あそこも王都の名所だそうです」
「そうらしいですわね」
「…………((どうしよう、照れて上手くしゃべれないな/わ))」
馬車に同乗しているそれぞれの付き人二人はそんな主たちの様子を見て大変やきもきしていたが、何の指示もない以上は余計なことを言うわけにもいかず、ただただ静かに侍っていることしかできなかった。
そしてそんな微妙な空気のまま、馬車は目的の王立美術館へと辿り着く。王立美術館は使われなくなった前王朝の古い宮殿を改築した施設で、外壁に彫られた見事なレリーフや、美術館前の広場にある巨大な噴水がかつての栄華の名残を伝えていた。
「さあ、それではこちらに付いてきてください」
広場の片隅で停まった馬車から一行が降りると、道中の微妙な空気感を振り払おうとするかのようにミシェルは声を張り上げて先導に立って歩き始めた。
「入口はあちらではないのですか?」
美術館は一般にも開放されており、この日も行列が出来るほどではないにせよ、幾人もの人々が美術館の正門を目指して三々五々に歩いている。周囲の人々とは違う方向に歩き出したミシェルを不思議に思ってアンリエットは思わず尋ねてしまった。
「一般用とは別の、自分たちの、と言いますか、貴族などの来賓用の出入口がこちらにあるのです。予約をしていなければ貴族もまずは正門横で受付をしなくてはなりませんが、今日は事前に連絡済みですので最初からそちらに向かいます」
「なるほど、そうでしたか。リリー……リリアンヌ様に感謝しなくてはいけませんね」
ミシェルの説明を聞いて、誰が手配をしてくれたのか思い至ったアンリエットは応援してくれる友人の気持ちに応えなくてはと内心で気合を入れてミシェルの後に続いた。
美術館の中に入ると、それまでの寡黙が嘘のようにミシェルによる美術品の解説がはじまった。決して流暢と言えるものではなく、時にはメモを確認しながらの解説ではあったが、それは今回の美術館案内のために必死に予習してきた証であり、ミシェルの誠実さの表れのようにアンリエットには思えた。
「こちらの『水辺の乙女たち』というタイトルの絵は五十年ほど前に流行ったデパールと呼ばれる様式の絵画です。それまでの絵と比べると躍動感と明暗の付け方が特徴です。特にこの作品の場合、湖の水辺に生える木々の若葉の鮮やかさと、その木々が生み出す影の暗さ、そして影を落とされつつも光り輝く湖の青さが際立っていると言えます」
「なるほど、確かにとても鮮やかな緑色ですね。本当に綺麗」
『緑』という単語を聞いてミシェルは思わずアンリエットの胸元のブローチを見て、それから真剣な表情で絵を見つめるその瞳を見てしまう。緊張して予定を消化することに集中しすぎて、アンリエットの服装について触れることを忘れていたことに気付いたのだ。
「(手引書には女性の服装は必ず褒めるべしと書いてあったな。今からでもその翡翠のブローチお似合いですね、とでも言うべきなんだろうか。すっかりタイミングを逃してしまった……)」
「ところで……」
「は、はいっ。なんでしょう?」
アンリエットの瞳を見つめながらそんなことを考えていたところに本人から声をかけられ、じっと見惚れていたことに気付かれたのかとミシェルは内心焦る。
「あの、もし私の勘違いなら申し訳ないのですけど、ミシェル様は何か色にまつわる悩み事を抱えていらっしゃるのですか?」
「えっ!?」
「だって先程の作品でも色遣いを気にしていらっしゃいましたし、古の宝剣もその鞘の装飾について興味をお持ちでした。その前の石像だってうっすらと残っているその彩色に関心があるように見受けられましたから。展示品にお詳しいことだって、今日のために勉強なさったのではなくて、その前から学んでいらっしゃったのでは?」
「…………」
「も、申し訳ありません。わたしったら勝手なことを言ってしまって」
黙り込んでしまったミシェルを前に、気分を害してしまったのかとアンリエットは慌てたが、そんなアンリエットを宥めるようにゆっくりとミシェルは口を開いた。
「いや、貴女の仰る通りです。まさか気付かれてしまうとは思いませんでした。そうですね、詳しい話は後でさせていただこうと思いますが、そのためにも一緒に見ていただきたいものがあります」
そう言うとミシェルは少し順路を飛ばしてとある部屋へと歩き出した。目的の部屋の入口には警備兵が立っており、館内でも一際厳重に守られているのが一目見るだけでわかるほどだった。
「入口に案内が……『特別展示室』ですか?」
「ええ、この部屋は事前に申請した者だけが入室を許される部屋で、美術館の中でも特に貴重な品々が展示されています。時期による入れ替えもあって、現在展示されているのは遥か東方から運ばれてきた作品ですね」
ミシェルが警備兵に名を告げると予約名簿との確認が行われ、それが終わると警備兵が分厚い扉を開けてくれた。
一行が部屋に入ると、この国の絵画とは画風が全く異なる白黒の濃淡だけで描かれた絵が目に飛び込んで来た。そして室内を見渡せば白磁や青磁の陶器といった東洋らしい品々や、金細工や宝石飾りといった宝物の数々が展示されている。
「これは……すごいですね。これほど素晴らしい東洋の品々は初めて見ました」
「ええ、自分もそうです。何でもこれらの品々はおよそ十年前に東洋から戻った交易船団が王家に献上した品々なのだとか」
「まあ。でも、どうしてそんな貴重なものがこちらで展示されることになったのでしょう?」
「この十年の間も何度も東洋への交易船団は派遣されましたからね、それでもっと珍しい品々が献上されたのだとか。なのでしばらく前の宝物庫の大整理でここにある品々は褒賞の下賜品になることが決まったそうです。その上で下賜する前にこうして展示することで多くの人が実物を見れるようにしているという話ですね」
「あの、それってつまり……」
ご褒美を見せつけてやる気を出させようということですか?と直截的なことをアンリエットは言おうとして、ミシェルに合図されて慌てて口を閉じた。王家所蔵の品を展示中ということもあってか出入口だけでなく部屋の中にも複数の警備兵が詰めており、ここは迂闊なことを言える場所ではないのだ。
それから二人はゆっくりと特別展示室に飾られた品々を見ることにしたが、さすがにミシェルも東洋の品々について予習することは難しく、一般の展示品のように詳しい解説をすることはできない。しかし、その分素直に作品について素朴な感想を言い合ったり、描かれている東洋の風景についての疑問を二人で話し合ったりしていた。緊張した風でもなく、一方的に解説するでもなく、穏やかにやり取りを重ねる二人の様子は互いの付き人の目から見ても距離がぐっと縮まったように見えた。
絵のタイトルとか様式の名称は架空のものです




