一目惚れ 上(Side ミシェル)
自分、ミシェル・ジェランの人生が変わった日のことはよく覚えている。
「王都が見えたぞー!」
その一言に部隊の皆が顔を上げ、無事に帰還できた喜びを込めて次々と歓声をあげる。しかも今回は自分たちが一番に手柄を挙げての凱旋ということで殊更に騒がしく、同僚たちも、もちろん自分も浮かれきっていた。王都への入場時は大勢の人々に迎えられてちょっとしたパレードみたいになり、まさに有頂天という様相だった。
しかし、自分のその気分は宿舎に届けられた凶報によって一瞬で打ち砕かれてしまう。
「なに!? 兄上が亡くなった!?」
「はい、その通りでございます。落馬事故に遭い、治療の甲斐なくそのまま……」
自分の帰りを待っていたという実家からの使者が伝えてきたのは、跡継ぎである兄の訃報だった。
「……父上は何と仰っているので?」
「ミシェル様には軍を退いていただいて、ジェラン家の跡取りになってもらいたい、と」
その言葉は質問を口にする前に頭に思い浮かべた通りのものだった。次兄アルベルクは数年前に病死しており、長兄フェルディナンが亡くなった以上はジェラン家の直系男子はもはや自分しかいないのだ。
「……わかった。隊長にはこのあと話をしてこよう。兄上の墓は?」
「領地のジェラン家代々の墓に収められております。時期が時期でしたので勝手ながら葬儀などは全て執り行わさせていただきました」
「そうか、それはそうなるな……少し一人になりたい。お前はもう戻ってくれ」
そう言って手を振ると、使者は深々と頭を下げて実家へと戻っていった。
部屋に一人きりになった途端、奔流のようにこれまでの人生の思い出が押し寄せてきた。三男の自分が跡継ぎになるなんて、そんな予定はなかったのだ。
自分が無事に十歳を迎えた頃、皮肉なことに兄二人も順調に成長していた結果、貴族家の跡取り以外の男子として将来のことを考えなくてはいけなくなった。跡取り以外の男子がとるべき選択としては軍に入るか教会に入るかの二択が一番有力だ。しかも、我が国にはかつて貴族こそが国の剣であり盾であった伝統の名残で貴族家に跡取り以外の男子がいれば誰か一人は軍に入れる風潮があり、次兄アルベルクか自分のどちらかが軍に入らなければいけないのは明白だった。そして、次兄は少し体が弱いところがあったため(それでもまさか二十手前で流行り病で亡くなるとは夢にも思っていなかったが)、自分の将来について考えた途端に答えがはっきりとわかってしまった。
家族と仲が悪かったわけでも家の雰囲気が悪かったわけでもなかったが、進むべき道が決まっているなら早めにその道に飛び込んだ方が楽だと思い、父に願い出て社交のほとんどを免除して貰って空いた時間で体を鍛え、十二の時には実家を出て軍学校に飛び込んだ。軍学校での訓練は厳しいものだったが、今の同僚含め多くの仲間を得ることができたのは幸いだった。卒業後はそのまま軍に入隊し、しばらくは無難に経歴を積み重ねるだけだったが、今回の戦争では大きな手柄を立てることができた。この功績を足掛かりに新たな道が開けないかと思っていた矢先、まさか実家に戻ることになるとは夢にも思わなかった。
「とにかく、やることをやっていくしかないか」
一つ息を吸って、吐いて、とめどなくぐるぐると続く思考を打ち切って、静かに亡き兄に黙祷を捧げる。それから、退役のための手続きを行うべく部屋を出た。
退役を申請すると残念がられたが、事情が事情なだけにすんなりと了承された。戦争は既に終わり、部隊も再編予定ということで、自分の軍人としての残りの仕事は受勲に伴う式典や行事への参加だけで良いという話になった。
なので正式な別れの席はまた後日設けることにして、同僚や部下たちへのとりあえずの挨拶だけを済ませると、さっさと兵舎から王都の子爵家屋敷に居を移すことにした。
「父上、ご無沙汰しております」
「ミシェルか……すっかり立派になったな。特に今回の戦功は聞き及んでいる。親としても大変誇らしく思うよ」
「はっ、ありがとうございます」
ほぼ十年ぶりに再会した父は記憶の中の姿に比べるとすっかり老けこんでいた。
「兄上の葬儀には参列できず申し訳ありません」
「国の務めともなれば致し方なかろう。フェルディナンの墓は領地にある。戻った時に会ってやってくれ」
「わかりました」
「…………」
「……それでは、一度部屋に戻ります。また晩餐の時に」
「……わかった。そうそう、お前の部屋にフェルディナンが遺した資料の一部を運ばせておいた。アレは勉強熱心だった。参考になるだろう」
「わかりました。それでは、失礼いたします」
あまりにも久々すぎる親子の会話はあまりにもぎこちなすぎる会話となってしまった。父も今回のことには大分と参っているらしい。
自室へはすっかり髪の白くなった老使用人が案内してくれた。
「ここがミシェル様の部屋となります」
「案内ありがとう」
「それと、おかえりなさいませ」
「……ただいま」
その一言で、はじめて自分が実家に帰ってきたのだと実感することができた。
案内された部屋の中は貴族の邸宅に相応しく綺麗に掃除されており、軍から送った行李の色合いが少し浮いていた。それと、空っぽの本棚に対して机の上に積まれた資料の山が目立っていたが、これが父の言っていた亡兄の資料なのだろう。
特にやることがないのもあって資料を手に取ってみると、その多くは亡兄が勉強に使っていたと思われる領地経営の理論書や実務書だったが、それ以外に手書きのノートの束も置いてあった。適当なノートを一つ選んでページを開いてみると、領地の人口や納税額といった収入に関するデータから各村の印象や住人の情報など様々なことが書かれており、いかに亡兄が領地のことを考えていたのかが伝わってきた。さらに別のノートを開いてみると、そちらには領地の財政状況を改善するための計画が色々と書き込まれていた。
「ううん、領地経営の話は今の自分には難しすぎて判断がつかないな。ただ、これほど熱心に書いているということはきっと兄にとっては何としても実現させたいことだったのだろう。ならば……」
これが、子爵家跡継ぎとしての最初の目標が決まった瞬間だ。
それからしばらく自分が目的を目指して勉強漬けの日々を過ごしているうちに、気付けば先の戦争の論功行賞が終わっていた。戦友と共に自分も国から勲章を授与されるのは事前に聞いていた通りだったが、受勲者たちに『若獅子』なんて呼び名がつくのは予想外すぎた。最初にその呼び名を聞いた時には似合わな過ぎて戦友と一緒に笑ってしまった。
呼び名の良し悪しはともかく、有名になったことで社交行事に呼ばれる機会も増えたが、久々に参加した社交界はあからさまにすりよってくる人ばかりで居心地の良い場所ではなかった。
自分のような未婚の人間には婚約者の座を狙って沢山の令嬢(とその親たち)が話しかけてきたが、慣れない香水の匂いに息が詰まってむせそうになるのを何度も我慢しなくてはいけなかった。しかも、令嬢たちはみんな流行に乗りながらなんとか着飾ろうと工夫をしていたが、そのせいで却って色々な令嬢に出会えば出会うほど、まるで間違え探しの題材を見ているかのような気持ちになってしまうこともあった。同僚の中には上手く立ち回って程よく遊んでいる人間もいたが、自分にはそんな器用なことはできず、参加するほどに女性陣の派手さ、華美さがどんどん苦手だと思うようになり、跡継ぎとしての勉強を口実に社交を欠席するようになるのにさほど時間はかからなかった。
なお、そうやって欠席していたから希少性が高まって珍しく出席した際により激しく迫られたんだよ、と友人が教えてくれたのは随分後のことだ。
本当はすべての社交行事から逃げたいくらいだったが、現実としてはそういうわけにはいかず、出席せざるを得ない行事というのがいくつか存在した。王太子殿下の生誕祝いのパーティーもその一つで、このパーティーで自分は生まれて初めての一目惚れを経験することになる。
その日も自分はパーティーに出席した途端に婚約者の座を狙う令嬢たちに囲まれてしまい、早々に精神的に疲れ果ててしまう。愛想笑いを繰り返して何とかやり過ごし、隙を見つけて戦友たちの輪の中に逃げ込むことで何とか一息つくことができた。
落ち着いたところで何気なく会場内を見渡してみると、歓談の時間ということもあって派閥や地縁ごとにいくつもの人の集まりができていた。そしてその中の一つに、いや、より正確に言えばその集まりの外側で静かに佇んでいる緑色のドレスを着た一人の令嬢が目に止まる。
その令嬢は自分がすっかり見慣れてしまった令嬢たちとは違って装飾過多と言えるほど華美な装いをしているわけではなかったが、それが却って彼女の清楚な雰囲気によく似合っていて目が離せなかった。そのまましばらく目で追っていると、どうやら彼女は近くで色々な人物と歓談している見事な金色の髪を持つ赤いドレスを着た令嬢の付き添いとして参加しているようで、時々会話に参加したり、世話を焼いている様子が目に入った。
社交界に参加している貴族令嬢といえば華美という印象がすっかり焼き付いていた自分にとってはその清楚で控えめな佇まいはとても心安らぐものに思えて、何も考えずに近くにいた戦友に令嬢の名を尋ねた。後から振り返ってみるとこの時の人選が騒動の発端だった。
「ちょっと尋ねたいのだが、あそこにいる緑色のドレスを着た令嬢は誰なのか知っているか?」
「なんだなんだ? ミシェルが令嬢の名を知りたがるなんて珍しいじゃないか。どれどれ……ああ、あの金髪のご令嬢のことならリリアンヌ・ド・ルシーニュ伯爵令嬢だな」
「そうか、あれがルシーニュ家のご令嬢だったのか。そういえば彼の一族は代々金髪なんだと昔に聞いたことがあるな」
実は尋ねた戦友は赤色と緑色の判別を苦手にしており、自分の指差した方角にいたそれらしき有名な令嬢の名を挙げただけだったのだが、自分が名前を知りたかった令嬢も金髪だったために人違いに気付かないまま会話は続いた。
「そういやお前の家も南東の方だったか。伯爵令嬢を狙うなんてなかなか野心的じゃあないか!」
「ち、違うぞ。そういうわけではなくてだな……」
「わかってるわかってる。そういうことにしておいてやるよ。おーい、ミシェルのやつがさぁ!」
「おいこら、やめろ!」
そうやって騒いでいると自分を見つけた新たな令嬢たちが押し寄せてきて話が有耶無耶になってしまう。この結果、自分は人違いに気付くことも、戦友に口止めすることもできなかった。
その日からなるべく社交の場に顔を出すようにして、ルシーニュ伯爵令嬢を探すことにしたが、見つけられないことも多く、せっかく見つけても押し寄せてくる貴族令嬢たちの相手をしているうちに見失ってしまって話しかけることすらできずにいた。
隣領の実質的な領主ということで、父に挨拶の相談もしてみたが、結婚を急いでいない先方の意を汲んで歳の近い自分を今シーズンのうちに紹介する予定はない、という返事だった。
そうやって自分が足踏みをしているうちに、軍学校からずっと苦楽を共にしてきた悪友のモーリスがありがたくない知らせを運んできた。若獅子の戦友たちの間に自分のルシーニュ伯爵令嬢への懸想の噂が広まり、除隊祝いに何とかする計画が立てられていると言うのだ。
一見すると麗しい友情譚のように聞こえるかもしれないが、戦友たちは王国東部貴族とは少し価値観の異なる西部出身者が多く、先日までの自分と同様に社交マナーをわかっていない者も多いため、何か乱暴なことをしでかすのではないかと不穏さを感じてしまった。
「なんてことだ……どうにか止められないか?」
「御曹司まで乗り気になっている以上は難しいねェ」
「あの人も乗り気なのか……」
悪友の言葉を聞いた自分は思わず呻いてしまった。御曹司というのは侯爵家の四男だか五男だかにも関わらず、堅苦しいのは嫌だと実家を飛び出して軍に入った筋金入りの無鉄砲者だ。今回の戦争でも部隊の指揮官として活躍し、若獅子の中心人物の一人と言っても過言ではない。悪人というわけではないが良くも悪くも気分で動くところがあり、一度その気になってしまうと翻意させるのは難しい人だ。
「わかっていると思うけど一番良いのはキミがさっさとあの清楚で可憐な令嬢に直接アプローチすることなんだからネ」
「それは……よくわかっているさ」
緑色のドレスを着た彼女の姿を思い浮かべながらそう言い返すと、悪友は何かを得心したような表情を浮かべながら大きく頷いた。
「ま、こっちでもなんとかキミに悪いようにならないように手を打ってみるサ。多分ブロワ公爵が主催する夜会が今シーズン最後の機会になるだろうからしっかりと頑張るんだヨ」
「それなら押し寄せてくるご令嬢方の相手を少しは引き受けてはくれないかね」
自分がそう言葉を返すと、悪友は肩をすくめて去っていった。後から思い返すと悪友はこの時点で自分が気になっている令嬢がルシーニュ伯爵令嬢ではないことに気付いていたのだろう。それなら素直に教えてくれれば良いものを、悪友には事が明るみにでるまでは人が右往左往しているところを見てニヤニヤする悪癖があった。自分も何度か被害に遭ったことがあり、一度ならず殴ってやりたくなったが、裏ではきっちり手を回してあって最終的にはそれに助けられて、振り上げた拳を下ろさざるを得なくなるまでがワンセットだった。
ミシェル側の話もちょっと書いておこうかと思ったらなんか長くなってしまって2話分になってしまったという……。




