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3 脱出

 コッコリコー!

 遠くから聞こえる鶏の鳴き声でアンリエットはゆっくりと目を覚ました。


「ここは……? ええと、リリーの付添人として夜会に参加して、その後みんなと別れてからリリーの家の護衛に呼び出されて……あっ!」


 ズキズキと痛む頭を手で抑えながら、意識を失くす前のことを思い出そうとしたところ、馬車に引きずり込まれた恐怖が一瞬で意識を覚醒させる。

 目を開いて自分の身を確かめてみると、夜会に着ていたドレスのまま見知らぬベッドで横になっており、特に体に違和感を覚えたりもしなかった。多分何もなかったであろうことに安心してほっと息をつこうとした……が、そこでふと隣に誰かが寝ていることに気づいてしまう。恐る恐る横を向くと、そこには見覚えのない赤髪の青年が夜会用の礼服を着た姿で眠っていた。


「……っ(お、男の人!!??)」


 思わず悲鳴を上げそうになったが、両手で口を抑えつけて無理矢理悲鳴を押し殺す。息をひそめて様子を伺ってみると、青年は規則正しい寝息をたてて眠り込んでおり、今すぐには目覚めそうもなかった。

 一安心して青年をじっくり観察してみると、身長はアンリエットよりは高いけれど男性としては中背くらいで、がっちりした体格をしており、短めな髪とあいまって軍人のような雰囲気を漂わせていた。軍人風とはいえ粗野な雰囲気はまったくせず、その穏やかな寝顔からは誘拐犯の一味のようには思えなかった。


(どちらかというと取り締まる側の雰囲気かしら。それにしてもよくよく見てみると、どこかで似た顔を見たことがある……ような? 夜会用の礼服姿ということは貴族? つまり、どこかの夜会であったことがある? ……ダメね、さっぱり思い出せないわ)


 記憶を探ってみたものの思い当たる人物は思い浮かばず、身元の手掛かりになりそうなものも見当たらなかったため、謎の青年のことは一先ず置いておいて改めて周囲の様子を観察することにした。

 すると、最初に目についたのは大きな曇ガラスの窓で、そこから朝の光が差し込んでいる。室内には大きなベッド以外に椅子や机、その机上には水差しなどが置いてあり、シーツの清潔感などから察するに、どうやらどこかの宿屋の一室のようだった。


(隣の人が目を覚ます前に逃げなくちゃ。それにしても、誰かに攫われてこっそり脱出するなんて物語のヒロインみたいね)


 そんな風に考えてみると、アンリエットは少し気分が高揚するのを感じた。

 部屋には一つだけ扉があり、ベッドから降りて扉に近づこうと思ったところで、靴を脱がされていることに気づいた。


(裸足で脱出というのもヒロインっぽいかも)


 しかし、履いていた靴はベッドの脇に男物の靴と共に置かれており、あっさりと見つけることができた。アンリエットは青年を起こさないように、息を殺しながら靴を履くと、忍び足で扉に近付き、ドアノブに手を伸ばした。


(外に出れたら誰かに助けを求めないと……あれ? でも、何て言ったら良いの? 「誘拐されて男と一緒に寝かされていたけど何もありませんでした」と馬鹿正直に告げる? そんな話、一体誰が信じるというの? 『未婚の女性が男と二人きりで密室にいた』という事実がどういう風に社交界で受け止められるのか、それを知っているからこそリリーの付添人をやっていたんじゃない)


 ドアノブに手をかけようとした瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということに気づいてしまい、伸ばした手が止まる。アンリエットのあまり広くない交友範囲でも傷物という噂が立って社交界で姿を見なくなった貴族令嬢は存在したし、噂だけならその百倍は聞いたことがあった。

 何も考えずに外に飛び出した時の結末に思い至ってしまうと、先ほどまでの高揚した気持ちはあっという間に吹き飛び、恐怖で足が震え、その場にしゃがみこんでしまう。心臓の鼓動が早くなり、押し殺していたはずの息が勝手に口からこぼれていく。


「はあ……はあ……ふぅー……ふぅー……」


 絶望に心が圧し潰されそうになる中で、何とか気持ちを落ち着けようと深呼吸を繰り返していると、段々と体が温かくなってきて、少しずつ体の震えは収まっていった。

 温かさの源を辿ろうと顔を上げると、それはガラス窓から差し込む朝の光だった。


「そうだ、あの窓からなら!」


 一縷の望みを抱いて窓に近づいてみると、幸いなことに上げ下げ窓になっていて開くことができそうな上に、ぼんやりと見える曇ガラスの向こうの景色から判断するとどうやらこの部屋は一階にあるようだった。


「靴はあるのだし、外に出て……そうね、教会に駆け込めればまだ何とかなる? 少なくとも、このままこの部屋に居続けるよりはまだ望みがあるはずよ」


 そう小さく呟いて考えをまとめると、とにもかくにもまずは窓を開けようと、固く動きの悪い鍵を外して窓枠を掴んだ。


「んんんんんん……!」


 そしてその細腕に力を込めて窓を持ち上げようとしたが、窓はさっぱり動かなかった。


(鍵も固かったし、ずっと窓を開けていないのかしら?)


 諦めきれずに何度も繰り返し窓を持ち上げようとしていると、やがてギッという音がして、軋む音を立てながら少しずつ窓枠が動くようになってきた。


(なんとか開けられそうね!)


 そうホッとしたその瞬間、それまで背後から聞こえてきていた規則正しい青年の寝息が聞こえなくなっていることに気付いた。恐る恐るベッドの方を振り向くと、窓が軋む音がきっかけになったのか、ちょうど青年が目覚めるところだった。


「うーん……昨日は飲みすぎたかな……。まったく、もう飲めないと言っているのにあいつらが勧めてくるから。……おや? ここはどこだ?」


 目覚めた青年は頭に手を当てながら上半身を起こすと周囲を見渡し、見知らぬ室内の中にアンリエットの姿を見つけると目を見開いて動きを止める。青年が目覚めたことを知ったアンリエットは絶望感を覚えながら、祈るように唇に人差し指を当てて声を出さないようにと懇願した。


「……っ……!!」


 すると、意図が伝わったのか青年は口を両手で塞いで驚きの声を抑え込んだ。


「どうして貴女がここに?」


 気を落ち着けた青年がベッドの上から発した問いは小さな声だったが、静かな部屋の中ではアンリエットの耳にもしっかり届いた。その問いに、同じように何も状況がわからないアンリエットは首を横に振って答えることしかできなかった。しかし、それが逆に心当たりを引き寄せることになったのか、青年は何かに気付いたような表情に変わる。


「ひょっとして……申し訳ない、多分だけれども私の友人が無礼を働いてしまったようだ」


 そう言って青年はアンリエットに頭を下げた。突然頭を下げられてもさっぱり事情がわからなかったが、どこか遠くで鳴った鐘の音が詳細を尋ねる時間がないことを告げてきた。


(えーと……どういうこと? この人が主犯というわけではないみたいだけど……ううん、悩んでる暇はないわね。ひとまず何もしてこないと信じて助けを求めてみましょう)


 覚悟を決めたアンリエットは静かに窓を指差してみた。青年は室内を見渡してドアが一つしかないことを認識すると、静かに頷き返した。


「ああ、そうですね、部屋の外には人がいるでしょう。だから窓から逃げるのが正解だと思います。窓が開かないのですか? それなら、ちょっと見せてもらいますね」


 青年はそう言うとベッドを降り、ゆっくりと窓へと近付いた。アンリエットは思わず後ずさりしてしまったが、青年はそれに気を悪くすることなく窓枠に手をかけると、一気に力を込めた。すると、先程までアンリエットがいくら持ち上げても持ち上がらなかったのが不思議なほどあっさりと窓が開き、朝の光が直接部屋の中へと飛び込む。

 そうして、アンリエットははじめて明るい陽の下で青年の明るい赤い髪と、琥珀色の瞳を見出すことになった。


「ここは……王都のすぐ近くの宿ですね。どこか行く当てはありますか?」


 一方、外の景色から現在地を判断した青年は周囲の様子を窺いながらそうアンリエットに問いかけたが、その問いに再びアンリエットは首を横に振ることで応えた。窓の外に広がる景色は見覚えのないものだったからだ。


「そうですか、それなら前に見える道を西に、ええと、左に行けば教会があったはずです。そこに駆け込むと良いでしょう」

「あ、ありがとうございます。あの、貴方はどうなさるんですか?」

「自分まで一緒に教会に行ったら駆け落ちになってしまいますよ」


アンリエットの問いに、青年は苦笑しながら更に言葉を続けた。


「自分はここで友人たちを足止めしておきます。というか説教ですね。まったくもう、()()()()()()()()()()()

「え?」


 青年の漏らした言葉が気になったアンリエットだったが、問い質す前に急かされてしまう。


「さ、お急ぎ下さい。昨日はあいつらも結構飲んでいましたが、いつ起きてもおかしくありません。みんな揃えばこの部屋に押しかけてくるでしょう」

「は、はい」


 そう言って青年は椅子を窓際に運んでくると、足場にするように促した。アンリエットは青年の手助けのもと椅子に登ったが、窓枠に足をかけて地面を見てしまうと、一階とはいえ見慣れぬ高さに思わず足がすくんでしまう。


「失礼します。どうか掴まって下さい」


 そう言って青年は窓から片腕を差し出し、その腕に掴まるように促してきた。少し恥ずかしかったけれども、アンリエットは差し出された腕にしっかりしがみつくと、思い切って窓枠から足を踏み切る。すると、青年は抜群の安定感でアンリエットの体を片腕で支えたままゆっくりと地面に降ろしてみせた。

 それはほんの数秒の出来事だったはずなのに、アンリエットにはもっと長い時間だったように感じられ、そのたくましい腕から離れるのが名残惜しく思えた。見知らぬ異性にこれほどまでに何かを感じるのは生まれて初めてのことだった。


「ありがとう、ございました」


 アンリエットは振り向き、青年に向かってお礼を伝えると、二人の視線が交わり、互いに相手の瞳の中に一筋の名残惜しさを見出す。けれどもその感覚を振り払い、今度は青年が口を開いた。


「とんでもない。こちらこそ迷惑をかけて本当に申し訳ありません。もし教会に訴え出るなら自分の方でも協力いたしますので。後日、正式に伯爵家にお詫びに伺わせてもらいます」

「あの、伯爵家って……」


 何かを勘違いしていませんか?と言葉を続けようとしたところで、部屋のドアを外から叩く音が鳴り響いた。


「こちらはお任せ下さい。さぁ、貴女は早く教会へ!」


 そう言うや否や青年は窓を閉めてしまう。一人取り残されたところで、互いの自己紹介すらしていないことに気付いたが、今更窓を叩いて青年を呼び出すわけにもいかず、アンリエットはドレスの裾を掴んで急いで教えられた方向に向かって駆け出した。

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