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アーバイン侯爵家の馬車はハリエット伯爵家のものよりも豪奢で造りも頑丈だ。車輪から座席への振動も伝わりにくい工夫がされていて、普段であれば緊張も疲労も感じることはない。
しかし今日わたしが身にまとっているのは、レイモンド様が選んで用意してくれたレイモンド様の色が贅沢に使われた特別なドレスだ。決してしわにならないようにといつも以上に細心の注意を払っている為か、いつもよりも緊張が強い。
「大丈夫かい、アメリア」
馬車に同乗する時、レイモンド様は必ずわたしの隣にぴたりと身を寄せて座る。基本的に使用人を同乗させることのないレイモンド様との馬車は、まさしく二人きりの空間だ。何度も乗って慣れているはずなのに、今日はずっとドキドキしている。
「大丈夫です、レイモンド様。大切なドレスを着ていると思うと緊張してしまって」
「確かに素晴らしいドレスができたと僕自身も思う。でもどんなドレスを着ていても、君が誰よりも愛らしく美しい僕の天使であることに変わりはない。こんなに美しい君をパートナーとしてパーティーに参加できるなんて、こんなに幸せなことはない」
「レイモンド様……」
ぴたりと隣り合って座るわたしたちが見つめあうと、それはそれは顔が近くなる。サファイヤの瞳にわたしが映っている様子が見え、胸がきゅっと鳴った。
馬車の窓はしっかりとカーテンで遮られている為、外から中の様子が見えることはない。ここは侯爵邸でも伯爵邸でもない”外”だけれど、間違いなくこの場は二人きりの閉ざされた空間だ。どんなに見つめあってもどんなに甘い言葉を紡いでも咎められることはない。
卒業パーティーは学園行事の一つではあるが、その性質から夕刻からの開催である。まだ空が明るいうちに始まり、夜の帳が降りきる頃にお開きとなる予定だ。
学園には広い馬車寄せが備えられているが、卒業生やその家族など多くの出席者が利用することから、今日はさすがに混雑する。その為わたしたちも少しだけ時間に余裕をもって侯爵邸を出発したが、やはり少々渋滞しているようだった。とろとろと進む馬車に揺られ、やっと馬車が止まる。外からは多くの人の声が聞こえてくるので、既にたくさんの卒業パーティーの参加者が集まっているようだ。
アーバイン侯爵家の馬車には侯爵家の紋章が付いており、外からでもどこの家の馬車なのかは明白だ。そうすると当然他の生徒たちからの注目も浴びることになる。社交界で知らない者のいないアーバイン侯爵家嫡男が乗る馬車にはやはり厄介者の婚約者が同乗しているのか? というのは、多くの貴族子女たちの関心の的であるに違いない。
馬車の扉が開かれると同時に、レイモンド様の表情が硬く強張る。――ここからは”外”の時間だ。
先に降りたレイモンド様が馬車の中に向かって手を伸ばす。わたしはその手を取り、できるだけ優雅に馬車を降りる。馬車から姿を表したわたしに、近くにいた貴族子女たちが三者三様の反応を示した。
まだ空が明るい時間帯であるせいか、わたしが纏うドレスは周囲の人たちからもその様相が余すことなく見てとれる。当然使われている色も白日の下に晒された。
白地に広がるレイモンド様の色。それに気づいた貴族子女たちの反応は実に様々だった。忌々しそうに眉を顰める者。痛々しそうに憐みの視線を向ける者。明確に怒りの感情を見せる者もいた。
おそらく彼らの目には、わたしが勝手にレイモンド様の色を多用したドレスを用意したように見えているに違いない。レイモンド様が纏うわたしの色をあしらった衣装も、わたしが我儘でも言って無理に着せているとでも思っているのだろう。それは全くの誤解であるけれど、それを敢えて訂正するつもりはない。互いのドレスの意図はわたし達自身が誰よりも一番わかっているし、このドレスを纏ったわたしを見た時のレイモンド様の幸せそうな表情を知っているからこそ、周りからどう思われても全く気にならない。
当のレイモンド様はいつにも増して険しい表情で口を引き結んでいるけれど。
レイモンド様の腕に手を添えると、心得たとばかりにレイモンド様が歩き出す。卒業パーティーの会場であるホールは、ここから歩いて二分ほどの距離だ。
わたし達が動き出したことで、周りでこちらを伺っていた者たちも自然と動き出す。いつまでもここに留まっていては後から来る他の参加者たちの邪魔になってしまうと気づいたらしい。
会場であるホールに入ると、既に中には多くのパーティー参加者が集まっていた。学生だけでなくその家族や貴賓の貴族たちも多いため、広いホールが手狭に感じるほどだ。
ホール内で歓談をしていた人々が、入口から姿を現したわたし達を目に留め一瞬静まる。そしてすぐに馬車寄せの時と同じく、三者三様の表情を浮かべた。そこに明るい感情は見えない。
小さく一つ息を吐き、背筋を伸ばしてレイモンド様と歩を進める。
卒業パーティーは貴族が主催する夜会とは異なり、学園が主催である。その為挨拶するべきホストというものが存在しない。開会時間になったら学園側の開会宣言があり、その後はダンスや喫食に興じたり交流の時間となるのだ。
パーティーの開会まではあと三十分ほど。懐中時計を確認したレイモンド様はそれまでは一旦ホールの端で待つことにしたのか、優雅にわたしをエスコートしたまま壁際へと移動する。わたし達の移動に合わせて周りのさざめきも波のように移り行く。貴族家で開催される夜会に比べると、今日はわたしへの陰口の気配を強く感じた。学生の比率が多いせいかもしれない。正規の社交会では皆もっと陰口の使い方も手慣れているのか、控えめだ。一言で表すなら『子供と大人の差』なのだろう。
周りの声はレイモンド様にも届いており、周囲から分からない程度にわたしに視線が向けられるのを感じた。返すようにレイモンド様に視線を移すと、やはり険しい表情の中にも罪悪感が感じられて、胸が痛む。気にしないで、という意味を込めて微笑を浮かべると、ますます険しい表情になってしまった。でろりと蕩けそうになる表情筋と必死に戦っているようだ。余計な事はしない方が良さそうだと判断し、それ以上は静かに壁際で開会を待つことにした。
今日のレイモンド様はいつにも増して美しい。普段の学園生活の時とは異なる髪型も服装も、レイモンド様という素材を最高級に飾り立てている。パーティー参加者である令嬢たちがそんなレイモンド様に目を奪われないわけがない。隣り合って壁際で開会を待つわたしの横には、会場中の令嬢たちの視線が四方八方から降り注がれていた。と同時に、当然横にいるわたしにも剣呑な視線が向けられるわけだけれど。
侯爵邸でも馬車の中でもたっぷりレイモンド様の晴れ姿を見たけれど、わたしだってもっとレイモンド様を見つめていたい。でも今ここでそんなことをしたら、レイモンド様に負担がかかってしまう。だから我慢しているというのに、堂々とレイモンド様を見つめることのできる令嬢たちのなんと羨ましいことか。
いつもだったらそんな風に思うことはないのに、わたしも今日は少し浮かれているのかもしれない。
自分の纏うドレスをそっと見下ろす。白地にふんだんに使われた金糸と青いビーズ。体に絡みつくように配置された金と青は、まるでレイモンド様に抱きしめられているような錯覚を覚えさせる。レイモンド様の独占欲を表すようなデザインのドレスを身に纏って、浮かれないわけがないのだ。
壁際で待つ間も、わたしたちの間に会話はない。社交の場では極力必要以上の会話を交わさないようにしているからだ。わたしが話しかけると、レイモンド様は必死に表情筋を抑えつけなくてはならなくなってしまう。ただでさえ神経を使う社交の場で、余計な労力を使わせたくない。
しかし周りから見れば、わたしたちは会話の一つも交わさない冷え切った関係であるとしか見えないだろう。
でも、あなたたちは知らないでしょう? レイモンド様がどんな甘い表情で愛を囁くか。どれほど幸せそうに目を細めてわたしを見つめてくれるか。
多分、わたしはほんの少しだけ優越感を持っている。他の誰も知らないレイモンド様を独り占めしていることに。
そして、ほんの少しだけ嫉妬心も抱いている。いつでもどこでも同じようにレイモンド様を見つめることができる令嬢たちに。
考えても仕方ないそんな取り留めのないことをつらつらと考えているうちに、いつの間にかパーティーの開会時間になったようだ。
ホールの前方に学園長や生徒会の面々が揃い、ホール内がしんと静まる。
「卒業生の皆さん、卒業パーティーへようこそ。学園を出て一人前の貴族としてこれからを生きていく君たちの門出の一つとして、ぜひ今日のパーティーを楽しんでくれたまえ」
口元に白い髭を蓄えた学園長が朗々と宣言する。集まった生徒会の生徒たちも揃って礼を取り、会場中の拍手と共に卒業パーティーが始まった。




