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侯爵令息と伯爵令嬢の不機嫌な婚約事情  作者: 文月 ふな


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 卒業パーティーが始まれば、参加者たちは各々他の参加者と交流したり用意された食事に手を伸ばしたりあるいはダンスを披露したりと、思い思いに過ごす。婚約者をパートナーとして参加している卒業生の多くは、やはりまずはホール中央に出てダンスに興じる者が多いようだ。互いにはにかむように微笑みあいながら手を取り合いホール中央へと向かう子息や令嬢がたくさんいる。

 わたしたちはどうするのだろう、と隣のレイモンド様を伺い見る。

 レイモンド様はますます険しい顔でホール中央へ視線を向けていた。

 手を添えたレイモンド様の腕もいつも以上に力が入っている。

 わたしたちは夜会に参加する際もあまりダンスは踊らない。ダンスはどうしても密着するし、視線を合わせることも多い。つまり、レイモンド様の負担が大きい。もちろんレイモンド様とダンスをしたいという気持ちもあるけれど、レイモンド様の負担を考えると、安易にダンスがしたいなどと思うことはできない。


 けれど、今日はどうだろう?

 レイモンド様の様子を見るに、レイモンド様自身はダンスをしたいと思っているように見受けられる。もちろんいつだってレイモンド様もわたしとダンスをしたいと思っているのは間違いないけれど、今日はいつも以上にその思いが強そうに感じられた。

「レイモンド様……」

 小声で呼びかける。どうなさいますか? という疑問を込めた呼び声に気づいたのか、探るような目がちらりとわたしに向いた。

 そうしている間も、多くの子女たちの意識がわたしたちに向いていることも感じている。普段からほとんど一緒にいることのないわたしたちがダンスを踊るのか――それはこの場にいる彼らの関心を集めているらしい。


 こくりと唾を飲んだのか、レイモンド様の喉が小さく上下する。そして立ち位置を変えたレイモンド様が――わたしに向かって手を差し出した。

「……ダンスを」

 小さく低く抑えた声が短く告げる。

 思わず息を飲み、震えそうになる手をレイモンド様のそれに乗せる。

「……はい」

 ああ、ダメよ、表情を引き締めなくては。

 嬉しさが溢れて勝手に満面の笑みを浮かべてしまいそうな表情筋を必死に抑え、できるだけ控えめな微笑を浮かべる。ちゃんと貴族の微笑みになっているだろうか。自信がない。

 ぐっと眉根に力を入れ直したレイモンド様を見ると、もしかしたら感情が溢れてしまっていたかもしれない。だって本当に嬉しいのだもの、仕方ないではないですか。

 手を取り合ったわたしたちの姿に、わたしたちに意識を集中させていた子女たちがざわめく。まさかわたしたちがこの場でダンスをするとは思っていなかったのだろう。

 ホール中央へ向かうわたしたちに、他の子女たちも次々に気づいてさざ波のようにざわめきが広がる。会場内に流れる音楽のおかげでそれほど大きくは響かないけれど、動揺が広がっているのは間違いなかった。


 思いがけないわたしたちの行動に、ダンスホールの人々が道を譲るように脇へ避けていく。自然と主役のようにホール中央へと移ったわたしたちは、ホール中の注目を集めていると言っても過言ではなかった。

 レイモンド様と向かい合って礼をする。

 会場に流れる音楽に合わせ、ワルツのポジションを取る。視線を交わし――足を踏み出した。


 ダンスならレイモンド様と何度も踊っている。社交の場ではほとんど踊ったことはないけれど、アーバイン邸やハリエット邸で何度も、数えきれないほど。それこそ互いの動きが呼吸一つで手に取るようにわかるくらいに。

 わたしの動きに合わせてドレスの裾が翻る。思った通り、まるで妖精の羽のようだ。

 ステップを踏み、時折視線を交わして。思わず微笑んでしまい、レイモンド様の目が一瞬緩みかけ――ギュッと険しく細められる。いけない、表情を引き締めなくては。


 ワルツ一曲分のダンスはあっという間に終わってしまう。踊り慣れているとはいえ、やはり軽く息が上がる。レイモンド様と向かい合い礼を取り――ホールがしんと静まっていることに気づいた。

 ダンスに夢中になっていたから気づかなかったけれど、ホールにいる貴族子女たちが驚いたように目を瞠ってわたしたちを見ている。ああ、そうか。今までレイモンド様とダンスを踊る機会はほとんどなく、今この場にいる多くの人たちはわたしたちのダンスを見るのが初めてだったはずだ。不仲な二人だと思っていたわたしたちが息の合ったワルツを披露するなんて、思ってもみなかったに違いない。


 まるでありえないものでも見たように目を丸める子女たちに、余所行きの微笑みを向ける。ハッとした子女たちが気まずそうに――時に苛立たし気に目を逸らした。

 まだレイモンド様と踊りたい気持ちがふわふわと心を支配しそうになるが、やはりダンスはリスクが高いと言わざるを得ない。ダンス中はどうしても二人の世界に入ってしまいがちな為、これ以上は控えた方が良いだろう。

 名残惜しい気持ちを視線に乗せてレイモンド様を見ると、険しい表情のまま重ねた手に一瞬力が込められた。レイモンド様も同じ気持ちであるらしい。それが知れただけでわたしの心は幸せで満たされる。

 ダンスホールから捌けるよう重ねた手で軽く促すと、レイモンド様はわたしの手を取ったまま再び壁際へとエスコートしてくれた。

 レイモンド様も分かっているのだ。一緒にいればいるほど抑えられなくなってしまう自分自身を。


 わたしたちが壁の花に戻ると、静まっていたホール内がふたたびざわめきを取り戻す。次の曲も流れ始め、まるで何事もなかったかのように卒業パーティーは続けられた。


 いつもであれば長時間レイモンド様がわたしと共にいることはない。学園内でもパーティーでも、最初だけは一緒にいるものの、すぐにそれぞれ個別行動に移る。まるでエスコートの義務だけは果たしたとでも言わんばかりに、その後傍にいることはない。

 ところが今日は入場時のエスコートだけでなくダンスまでこなし、更に今もわたしの隣にはレイモンド様がいる。二人揃って壁の花状態ではあるが、拳三つ分の距離を開けて隣に立っているのだ。いつもと違うレイモンド様の行動に、周囲の子女たちが戸惑っている様子が感じられる。



 卒業パーティーの為に飾り立てた令嬢たちは、付かず離れずわたしたち――正確にはレイモンド様の様子を伺っている。理由は明白だ。学園最後のパーティーでレイモンド様とのダンスの機会を狙っているのだ。

 学園内では、身分や家柄による上下関係は作られないことになっている。日常の学園生活においてはやはり身分による上下関係や派閥が存在する為、ただの建前になり下がってはいるが。

 だが、今この場であればその建前を傘に、レイモンド様にダンスを申し出ることも不可能ではない。例えば子爵や男爵といった侯爵に対してだいぶ身分の低い令嬢からでも、レイモンド様をダンスに誘うことが可能なのだ。


 しかしお目当てのレイモンド様の隣には、曲がりなりにも婚約者のわたしがいる。いくら”形ばかりの婚約者”だと思っていても、さすがにそこに突撃してレイモンド様をダンスに誘う勇気はないらしい。

 今年の卒業生の中には、こんな状態でもレイモンド様にダンスを申し出ても問題にならないであろう令嬢が一人いる。アーバイン侯爵家と同等の家格を持つウィンダム侯爵家の令嬢である。しかし彼女は婚約者であるパートナーと参加しており、他の令息と踊る予定はなさそうだ。つまりこの場にわたしからレイモンド様を引きはがせる人物がいないということになる。

 

 横目でレイモンド様を伺う。相変わらずそれはそれは険しい不機嫌顔のままだが、動く気配はない。遠巻きにレイモンド様の様子を伺っている令嬢たちの存在に気づいてすらいないのかもしれない。

 ここはわたしが気を遣って離れるべきだろうか。

 できればレイモンド様の隣を譲りたくはないけれど、卒業パーティーも小さな社交の一つである。次期侯爵であるレイモンド様にとっては、ここでの社交も将来に繋がる大切なものだ。わたしが離れれば、令嬢だけでなく同級生の様々な家門の令息たちやその家族たちがレイモンド様に声を掛けに来るに違いない。


「……レイモンド様。喉が渇きましたので、少々飲み物を取りに行ってもよろしいでしょうか?」

 ざわめいているホール内でもレイモンド様に声が届くように、少し体を寄せて問う。わたしが急に体を寄せたせいか、レイモンド様の顔がしかめられる。口も力を入れすぎているのか、そろそろへの字になってしまいそうだ。


「…………いや」

 沈黙の後、レイモンド様は絞り出すように短く拒否を示す。わたしと離れがたく思ってくれているらしい。つい嬉しくなって微笑んでしまいそうになるが、心の中で自分の頬にビンタをして貴族的な微笑を維持する。

「ですが、社交も大切かと」

 言いながら、ちらりとホール内で他の貴族と談笑中らしいアーバイン侯爵夫妻を目で示す。夫妻は夫妻で、この場でしかできない社交をこなしているのだ。

 わたしの視線の意味を察したらしいレイモンド様が、純粋に不満そうに眉をしかめる。わたしと一緒にいたいけれど、侯爵家嫡男としての義務も果たさなければならない。それらの板挟みになっているといったところか。

 まったく、仕方のない人だわ。

 思わず口元を綻ばせてしまい、慌てて扇で隠した。

「では行ってまいります。レイモンド様はどうぞ同級生の方々とお過ごしくださいませ」

 有無を言わせずすっと身を引き、そのまま翻した。


 ダンスホールの邪魔にならないように壁際を移動しながらそっと背後を伺うと、わたしが傍を離れた途端に数名の令嬢がレイモンド様に近づいていく様が見えた。決して良い気持ちのするものではないけれど、これも必要な外面の一つ。いずれ侯爵夫人となるわたしの義務の一つだ。

 とはいえ他の令嬢と踊るレイモンド様を見たいとは思わないので、足早に飲食物の設置された場所へ向かう。

 学園の卒業パーティーでは、飲食物に関しては完全セルフ方式だ。会場内を回る給仕は存在しない。その代わり飲食物は数か所に設置されている。

 その中で最も人気のない飲食コーナーに向かう。ダンスホールからの視線が通りにくい場所なので、見たくないものを見なくて済みそうだ。

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