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侯爵令息と伯爵令嬢の不機嫌な婚約事情  作者: 文月 ふな


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 貴族の子女は王都にある学園に通うのが一般的だ。家庭内だけでは学びきれない王国の歴史や法律、それに貴族社会の礼儀作法等を学ぶことができるこの学園は、貴族子女たちだけで形成される小さな社交界と言っても良い。

 学園内では身分や家柄は関係ないというのが学園側の方針となっているが、実際のところ、やはり学園内でも身分の序列や派閥が存在している。それゆえに社交界での人間関係が学園生活にも影響を及ぼすし、逆もまた然り。

 つまり社交界で”アーバイン侯爵令息の望まれない婚約者”という認識を持たれているわたしは、当然学園でも遠巻きにされる立場である、ということだ。


「おはよう、アメリア。スタンフィード公爵家の夜会はどうだった?」

 そんなわたしに対して、周囲の目を気にせず親しくしてくれる令嬢が一人だけいる。それがリーリエ・ノース子爵令嬢だ。

 講堂へ向かうわたしの後ろから小走りにやってきたリーリエが訊いてくる。


「おはよう、リーリエ。相変わらず、いつも通りよ」

 ノース家は我がハリエット家と領地が隣り合っており、幼い頃から交流がある。リーリエはわたしにとって気心の知れた幼馴染だ。


 リーリエ自身も先日のスタンフィード公爵家での夜会に招待されていたらしい。しかしタイミング悪く用事があったらしく、不参加だった。リーリエが参加していたらもう少し夜会を楽しむことができたのに、と残念な気持ちもあるが、こればかりは仕方がない。


 リーリエは唇をむぅっと尖らせる。

「まったく、いつまであのお坊ちゃまはわたしの大事なアメリアに肩身の狭い思いをさせるつもりなのかしら」

「それは……まあ、仕方ないのよ」

「アメリアは優しすぎるのよ。そろそろ文句の一つも言っていいと思うわ」

 リーリエはまるで自分のことのように鼻息荒く憤っている。そんなリーリエが、わたしはとても好きだと思う。

「ありがとう、リーリエ。でもわたしがレイモンド様に文句を言うというのは、やっぱり難しいわ。レイモンド様にとって今の状況が不本意であることは間違いないもの」

「そういうところが優しすぎると言っているの!」


 リーリエはそう言ってくれるけれど、わたしは決して優しいわけではないと思う。

 社交界でのわたしの評判を気にかけてくれているが故のリーリエの憤りであるが、正直なところ、わたしは周りの貴族子女からの評判はそれほど気にしていない。慣れてしまった……という部分もあるかもしれないが、それよりもレイモンド様が無理をしていることの方がわたしの心を重くする。

 無理をさせたいわけではない。誰が恋しい相手に無理をさせたいと思うものか。

 それでもレイモンド様に無理を強いるしかない現状を理解しているからこそわたしの口から文句なんて口が裂けても言えないのだ。


 そう、六年前初めて会った時から、わたしはレイモンド様に恋をしている。

 まだ婚約を結ぶ前――おそらくアーバイン侯爵家が婚約者候補を見定めていた時。わたしはレイモンド様に出会った。どういう理由をつけたのかは分からないが、ハリエット家の領地までアーバイン侯爵とレイモンド様がやってきたのだ。今にして思えば、領地の実態や縁談相手となる家の為人を知る為だったのかもしれない。

 まだ幼さの残るレイモンド様は、まるで天使のような美少年だった。ハリエット領の特産品である林檎の収穫を手伝ってくれたレイモンド様の笑顔は、わたしの心を鷲掴みするのに充分だった。そんなレイモンド様の婚約者になることができて、わたしがどれほど嬉しかったか。婚約が決まった日の夜、「将来わたしはレイモンド様と結婚するんだ」とドキドキしすぎて眠れなったほどだ。

 もちろん今もわたしの恋は褪せることなく続いている。恋しいレイモンド様に無理はさせたくない。けれど、レイモンド様との結婚をあきらめることもまた、わたしにとっては絶対にできない選択なのだ。


 私の気持ちを知っているリーリエは、仕方がないなと言うように肩を竦める。

「私は誰よりもアメリアの味方だから、もし今の状況が辛くなったら、いつでも言って。そうしたら私があのお坊ちゃんのお尻をひっぱたいてやるから」

「ふふ、そんなことになったら、ノース子爵に合わせる顔がなくなってしまうわ」

 子爵令嬢が侯爵令息のお尻なんてひっぱたこうものなら、とんだ社交問題になってしまう。リーリエ自身ももちろんそれは分かっているから、実際にレイモンド様のお尻をひっぱたくなんて暴挙に出ることはないだろう。それでも、そうやってわたしを励まそうとしてくれるリーリエが、わたしは本当に大好きなのだ。




 リーリエに言わせると”お坊ちゃま”であるレイモンド様であるが、わたしたちより一歳年上であり、当然学園でも一学年上の最高学年に在籍している。学園内での授業は学年によって異なる内容となっており、使用する学舎や教室も違う。もちろんそれぞれの建物は同じ敷地内にある為時折学園内で遭遇することもあるが、その確率は決して高くない。

 そんな中でも特に遭遇率が高いのは、学園の正門付近だ。それはそうだ。学園に通う生徒の多くは主に正門を使用しており、登校時や放課後はここに多くの生徒が集まることになる。


 今日の授業を終えたわたしもまた、帰宅の為に正門へ向かっていた。正門の外には広い馬車寄せが設けられており、多くの生徒はそこでそれぞれ迎えの馬車に乗り込む。わたしも下校時刻に合わせて家の馬車が迎えに来ている予定なので、あまり待たせないようにいそいそと正門に向かう。

 今日はこの後アーバイン侯爵家に赴く予定になっている。次期侯爵夫人となる予定のわたしには、定期的に現侯爵夫人であるレイモンド様のお母さまからの直々の授業が行われている。今日も授業の予定で、遅刻するわけにはいかないのだ。


 正門付近はいつも通り多くの生徒で溢れかえっていた。生徒たちは貴族という身分故か、軒並みゆったりとした行動を好む傾向がある。慌てず騒がず、いつでも優雅に――それは素晴らしい貴族教育の賜物であると言えるが、今日のように急いでいるわたしとしては、あまりゆったり集団で移動されるのも困りものだ。

 優雅な貴族子女の集団の間を縫うように抜けて正門へ向かう途中で、遠くにレイモンド様の姿を見つけた。どんなに遠く離れていても気づいてしまうのは、やはり恋のなせる業か。七、八名の貴族子女に囲まれているレイモンド様は今日も麗しい。


 レイモンド様は学園ではいつも貴族子女たちに囲まれている。公爵家嫡男というレイモンド様の立場も理由の一つではあるが、それ以上にレイモンド様自身の貴公子然とした立ち居振る舞いは多くの貴族子女を魅了してやまないのだ。

 今日もまた子女たちに囲まれている様子のレイモンド様の視線が、一瞬わたしの方に向けられた。わたしとレイモンド様の間には結構な距離があるが、どうやら彼もわたしの存在に気づいたらしい。それまで柔和な微笑みを携えていたレイモンド様の表情が一気にしかめられる。

 ――ああ、また。そんな風に表情に出してしまっては、わたしがいるのがバレバレではないですか。

 レイモンド様を取り巻いていた貴族子女たちもやはりその表情の変化に気づいたらしい。彼の視線を辿るように顔を巡らせ、わたしに目を留めた。途端に子女たちの間でひそひそと言葉が交わされる様が見える。


 婚約者という立ち場上、互いに気づいたのなら挨拶の一つも交わすべきだろう。しかしわたしはこの後の予定の為に少々急いでおり、レイモンド様の周りにはたくさんの貴族子女が彼を取り巻いている。この状態で彼に近づいて挨拶をするのが得策かと言うと、答えは否だろう。レイモンド様一人だったらまたわたしの行動も変わったかもしれないが、他人の目があるところであまり近づかないように心がけているわたしとしては、ここでは軽く会釈するだけにとどめておいた方が良いと判断した。大げさになりすぎない程度に笑みを浮かべ、控えめに、けれど礼にのっとって頭を下げる。遠く、レイモンド様が一層顔をしかめるのが見て取れた。

 それ以上はレイモンド様の邪魔にならぬよう、すっと踵を返して再び正門へと足を急がせる。馬車寄せで待っていたハリエット家の馬車に乗り込み、そのまま自宅へと急いだ。

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