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「侯爵家嫡男ともあろう者がいつまでそのような仏頂面をしているの?」
重苦しい空気を裂くように朗らかな声をかけて来たのは、現アーバイン侯爵夫人――レイモンド様の母君だった。隣にはその夫であるアーバイン侯爵が寄り添っている。
どうやらいつまでも侯爵夫妻の元に辿り着かない息子とその婚約者を探しに来てくれたらしい。わたしは即座に礼を取る。
「母上」
「まったくあなたときたら……いくら気に入らないからとはいえ、もう少し表情くらい取り繕いなさい。それができないようであればまだまだよ」
実の母からの小言に、レイモンド様が不貞腐れたように顔をしかめる。先ほどまで以上に子供っぽい反応を示した息子に、侯爵夫人はふぅと溜息を吐いた。ちなみに、小言を言っている間も溜息を吐く間も、侯爵夫人はずっと微笑を浮かべたままである。傍から見れば小言を言っているようには一切見えないだろう。
「レイモンド、少しあなた一人で社交をしていらっしゃい。アメリアがいると途端に救いようのない仏頂面になってしまうのだから。アメリア、あなたはこちらへいらっしゃい」
夫人の指示にレイモンド様が一瞬口を開きかけ、しかしすぐにぐっと口を引き結び「行ってまいります」と地を這うような声で告げ去っていった。残されたわたしは侯爵夫妻に伴われ壁際へと移動する。
侯爵夫妻はすでにあらかたの挨拶を終えているのか、他の貴族に呼び止められることはなかった。
ホールの壁際には所々ソファが配置してあり、参加者はそこで小休憩を取ることができるようになっている。侯爵夫人は空いていた一つのソファに腰を下ろし、わたしに隣に座るように促した。否やはないので、素直に従う。侯爵が通りかかった給仕から飲み物を受け取り、夫人に手渡している。
「まったく、あの子はいつまでも子供なんだから」
グラスの白ワインを一口飲み、夫人はほぅと息をつく。
「あなたを伴った社交がもっと上手にできるようになってくれないと。侯爵家嫡男の自覚が足りないのかしら」
夫人は微笑みを崩さず、やれやれ、と肩を竦める。
「……申し訳ありません」
「あら、アメリアが謝る必要はないのよ。あの子の能力不足に他ならないのですもの。でも、そうね。あなたも次期侯爵夫人としては少ししたたかさが足りないかもしれないわね。波風を立てないことは大切だけれど、口を噤むことだけが美徳ではなくてよ。次期侯爵夫人となるのならば、せめて蔑ろにされない程度にあしらわなくては。妻が社交界で蔑ろにされることで夫の名に泥が付くようでは困るわ」
「努力、いたします」
アーバイン侯爵家と同等の家格を持つ侯爵家の出身である侯爵夫人は、生粋の上位貴族だ。貴族の立ち居振る舞いが骨の髄まで沁みついている。優雅な身のこなし、常に絶やさぬ微笑、そして侯爵家夫人としての社交界での立ち回り。そのどれもが一級品である。零細伯爵家令嬢であるわたしでは、足元にも及ばない。
しばらくそのまま侯爵夫人の心得の指導を受け、わたしも一人ホールに戻る。時折ちらりと社交中のレイモンド様の様子を伺ってみたが、わたしと一緒にいる時とは違い、貴公子らしい柔らかな微笑を浮かべて他の貴族令息と会話に興じていた。あれが本来のレイモンド様の社交中の姿なのだ。
わたしも顔見知りの令嬢数名と挨拶を交わすが、社交界での立場が微妙なわたしと長々と交流してくれる令嬢は少ない。そこそこ会話をするだけでそそくさと去っていく令嬢たちに、ほんの少し気分が落ち込む。次期侯爵夫人となる以上、わたしももっと社交が上手にできるようにならなければならないというのに。
華やかな夜会でも一人でいる時間が長いわたしは、他の貴族令嬢からすると嘲笑の対象になる。まして、”アーバイン侯爵令息の望まれない婚約者”という代名詞を持つわたしであるから、尚更だ。ホールを移動する間もあちこちからくすくすとわたしを嗤う声が聞こえてくるが、これもまたいつものこと。
結局数名の令嬢とわずかばかりの交流を行い、再度合流した侯爵夫妻の計らいによって、レイモンド様とダンスの一つも踊ることなくわたしは一人夜会の会場を後にした。




