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侯爵令息と伯爵令嬢の不機嫌な婚約事情  作者: 文月 ふな


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「それくらいになさい、レイモンド」

 動揺とざわめきが広がる人垣を掻き分けてやってきたのは、アーバイン侯爵とお義母様だ。さすがにこの事態を傍観するわけにもいかず、収拾にやって来てくれたらしい。

 侯爵がレイモンド様をじっと見つめ、「よくやった」と小さく告げる。なぜかどこか誇らしそうだ。そのままぐるりと衆人に目をやる。


「皆さん、お騒がせして申し訳ない。我が愚息レイモンドは私に似て一途でして、婚約者への愛情も深い。その婚約者を傷つけられ、頭に血が上ったようです。まだ若輩ゆえ、この場は私に免じて水に流していただけるとありがたい」

 普段寡黙な侯爵様が重々しい低音で告げる。再び衆人の間にざわりと動揺が走る。侯爵を引継ぎ、お義母様も優雅に、しかし申し訳なさを滲ませた表情を一同に向けた。

「レイモンドはまだ社交の修行中の身です。それゆえ婚約者にばかり構うのではなく必要な社交を優先させるようにと教育しておりました為、皆さまにも誤解を与えてしまいました。親としてお恥ずかしい限りです。ですがレイモンドのアメリア嬢への思いは紛れもなく本物。その点は皆さまも重々ご承知おきいただけると嬉しいですわ」

 この場で侯爵夫妻にそう言われては、収めないわけにはいかない。貴族やその子女たちが顔を見合わせる中で、一人の男性が「はっはっは」と笑い声を挙げた。

「そういえばアーバイン侯爵は類稀なる愛妻家でしたな。なるほど、ご子息も父君の性質をそっくり受け継いだということですな」


 闊達とした声に人々の注目が集まる。アーバイン侯爵と同年代のその人は、アーバイン侯爵家と並ぶ侯爵家の一つ、ウィンダム侯爵家の当主だ。ウィンダム侯爵はアーバイン侯爵との付き合いも長く、気安い関係を築いている。今日は学園に通う娘の保護者としてパーティーに参加していた筈だ。

「いやいやお恥ずかしい」

「アーバイン侯爵も若い頃はまだ婚約者だった夫人に所かまわず愛を囁いては蕩けんばかりの笑顔を向けていましたからな。たしか夫人にいやがらせをした令嬢に対して首を切らんばかり激昂したこともありましたな。いや懐かしい。まさにアーバイン家の血筋なのでしょう」

 ウィンダム侯爵の言葉に、会場内にいたアーバイン侯爵と同年代の方やそれより上の年代の方が「ああ、確かに」や「そういえばそうだった」などと頷いているのが見える。なるほど、レイモンド様の溺愛体質は遺伝だったのですね。


 ウィンダム侯爵たちのおかげで、緊張していた空気がふっと緩んだ。卒業生たちも戸惑いを残しながらも少しずつ納得しているようだ。

 パーティーの参加者たちはちらちらとこちらを伺いながらもホールへと戻っていく。音楽も再開され、ほどなく華やかな卒業パーティーは元の流れに戻った。


「レイモンド様」

 わたしは、隣でまだ怒りを湛えながらもなんとか溜飲を下げようとしているレイモンド様の袖をそっと掴んだ。途端に「ん? どうしたんだい、アメリア」と蕩ける笑顔がわたしを捉える。

「せっかくのドレスをこんな風にしてしまって申し訳ありません」

「ああ、アメリア。君は何一つ悪くない。悪いのは君を一人にしてしまった愚かな僕だ。しかしそのままというわけにもいかないな。大丈夫だ、アメリア。こんなこともあろうかともう一着同じものを用意してあるから、着替えてくると良い」

 もう一着あるのね。まったく本当に用意周到だわ。

「ありがとうございます」

 一時的に入室を許可されたアーバイン侯爵家の侍女につれられて控え用の部屋に行き、ドレスを着替える。少し時間がかかってしまったが、戻る頃にはパーティーの雰囲気は概ね元に戻っていた。

「アメリア! やはり君にはそのドレスがよく似合う。君は誰よりも美しい僕だけの天使だ」

 ただし、レイモンド様の表情と口はたがが外れたままだった。いいのかな? と近くにいるお義母様を見やると、仕方なさそうに頷いている。その横では相変わらずアーバイン侯爵がお義母様にぴたりと寄り添い、お義母様を見つめている。……確かにこう見ると、アーバイン侯爵はレイモンド様によく似ている。いや、レイモンド様が侯爵に似ている、が正しいのか。


「アメリア、もう一曲僕と踊ってくれないか」

 レイモンド様が優雅に手を差し出してくる。これまでずっと我慢していたレイモンド様にとっては、我慢をやめた今は羽を伸ばして純粋にパーティーを楽しめる夢のような時間なのかもしれない。

 でもわたしだってレイモンド様と同じだ。レイモンド様からダンスに誘われればこんなにも嬉しい。

「喜んで」

 にこりと笑んで手を重ねる。そのまま流れるようにダンスホールに導かれ、再び妖精の羽のような裾を翻らせて踊った。

 わたしたちに気づいた周りの子女たちが、さっきとは違う反応で遠巻きに見ている。中にはわたしの汚れたはずのドレスが綺麗になっている様子に首を傾げている者もいたが、どこからかレイモンド様が同じドレスをもう一着用意していたことが漏れたのか、その話を聞いた数名が頬を引きつらせていたようだ。

 わたしの色を使った盛装でわたしをリードするレイモンド様と、レイモンド様の色を使ったドレスで優雅に舞うわたし。視線が絡む度に互いに顔が緩む。ああ、なんて幸せなんだろう。



 卒業パーティーは参加者に少なくない衝撃と動揺を与えながらも、つつがなく終了した。

 アーバイン家の馬車に乗り込み帰宅する際お義母様に「申し訳ありませんでした」と頭を下げると、「仕方ないわね」と肩を竦めて笑ってくれた。貴族の仮面のような笑顔ではなく、やさしい母親の笑顔だ。

 会場で聞いたアーバイン侯爵の若かりし頃の意外な一面を思い出してお義母様を見つめていると、言わんとするところを察したらしく、ふっといたずらめいてウィンクをした。

「調教は早めにしておくと効果的なのよ」



 レイモンド様が卒業してからは、わたしは晴れて大人として社交界に出るようになったレイモンド様のパートナーとしてしばしば茶会や夜会に参加している。

 お義母様から諦め半分の許可が降りたレイモンド様は、あれからわたしを伴っていても険しい顔をすることはない。その代わり他の者には目もくれず、常にわたしに甘く蕩けそうな笑顔を向けている。

 ほんの少し前までは”侯爵令息の意に沿わぬ婚約者”と言われていたわたしは、今はそんな風に言われることはない。”侯爵令息が伯爵令嬢を溺愛している”というのは、今や社交界で知らない人のいない周知の事実だ。

 卒業パーティーでの出来事を後から聞いたリーリエも、「よかったね」とそれはそれは嬉しそうに喜んでくれた。リーリエにはたくさん心配を掛けてしまったけれど、安心させてあげられて本当に良かった。


 わたしがレイモンド様のパートナーとして社交に出る時は、いつも金と青をあしらったドレスを着るようになった。対してレイモンド様は必ずキャラメルブラウンをあしらった衣装を着る。常に互いの色を欠かさず微笑みあっていることから、最近では”仲睦まじい二人”と言われている。ちょっとくすぐったくて、でもとても幸せだ。


 今日も互いしか目に入らないかのようにレイモンド様と見つめあい、何曲もダンスを踊る。

 お義母様にはほどほどにするように言われているけれど、それはやっぱり難しい。だってレイモンド様に蕩ける笑顔を向けられて愛を囁かれたら、わたしはこの上なく幸せを感じてしまうのだ。社交も大切だけれど、せめて最低でも五分、いや十分、いや三十分はわたしだけを見つめていて欲しい。多分レイモンド様も同じ気持ちで、だから結局わたしたちは互いを見つめ続けてしまう。


「アメリア。愛しているよ、僕の天使」

「わたしも愛しています、レイモンド様」


 ああ、わたしは今日も幸せだ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

途中名前を間違えるという作者として最低過ぎるミスをしてしまい、本当に反省してもしきれません……。

それでも「面白かった」と思っていただけましたら、評価ボタンでフィードバックいただけるととても励まされます。よろしくお願いします。

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