第096話 小さな測量士たち
スラムへの炊き出しから数日。王立建築設計院の総帥としての俺の初仕事は、周囲の予想を大きく裏切る形で本格化していた。
俺が求めたのは、高価な魔導測量機でも、経験豊富な技師の派遣でもない。
(……ああ、やはり彼らで正解だった)
設計院の分室としてスラムの廃屋を接収し、その前に集まった十数人の孤児たちを見渡し、俺は改めて確信したのだ。
彼らの身なりは相変わらずボロボロだ。だが、その瞳にはかつての絶望感は感じられず、俺に選ばれたという誇らしげな光が宿っている。
「今日から君たちを、王立建築設計院の特別測量助手として正式に雇用する。賃金は一日三食の保証と、銅貨二枚だ」
俺が告げると、子供たちの間に歓喜というよりは緊張感に満ちた静寂が流れた。
彼らにとって、それは単なる金の問題ではない。社会のゴミとして扱われてきた自分たちが、この国の最高機関の一員として認められたという事実そのものが、何よりも重い意味を持っていた。
「ユウ様、本気なのですか?読み書きも計算もできない子供たちに、国家の再開発を任せるなど……。公爵家や他の貴族達が黙ってはおりませんわ」
隣に立つリーゼロッテが、困惑を隠さずに囁く。
彼女の懸念はもっともだ。だが、俺は首を振った。
「リーゼロッテ、建築に必要なのは教育された知識だけじゃない。この街の地面がどこで凍り、どこで崩れるか。どの路地が風を逃がし、どの地下道が下水を通しているか。それを肌で知っているのは秀才たちではなく、この泥の上を這い回ってきた彼らなんだよ」
俺は一歩前に出ると、先日の少年に、真新しい巻尺とチョークを手渡した。
「さあ、始めよう。君たちの仕事は、私が指定する区画の本当の形を測ることだ。大人が見落とす壁のヒビ、地図に載っていない古い井戸、すべてを報告しなさい。君たちの目が、私の左腕の代わりになるんだ」
「わかったよ、お兄ちゃん……ユウ先生!」
少年、ロロと名乗ったその子が、力強く頷いた。
子供たちは蜘蛛の子を散らすように、スラムの深部へと駆けていった。俺は彼らが消えていく背中を見送りながら、手元の羊皮紙に素早く基本設計を書き込んでいく。
設計院の周囲では、公爵家から派遣された監視役の騎士たちが、戸惑いの表情でその光景を眺めている。
子供たちが”測量中”という札を首から下げて走り回るため、騎士たちは彼らを避けて歩くことすら強要される。子供たちの動きそのものが、この街の新しい情報の流れを作り、監視の目を巧妙に散らしていく。
作業をしていると、一人の大男が俺の方へ歩み寄ってきた。先日、パンと引き換えに図面を渡した、東壁が歪んでいたあの男だ。
「あんちゃん、いや、お貴族様。あんたがくれた図面通りに廃材を組んだらよ、昨日の土砂降りでも壁がピクリともしなかったぜ。ありがとな。お節介かもしれねえが、これを受け取ってくれや」
男はぶっきらぼうに、泥のついた木の実を差し出した。この街では貴重な食料だ。
「ありがとう。壁が保ったのは、君の施工が正確だったからだ。誇りに思うといい」
俺がそう言って木の実を受け取ると、男は照れ臭そうに鼻を擦り、「何か困ったことがあったら、いつでも俺たちを呼べ」と言い残して去っていった。
周囲の住人たちも、作業をする俺を遠巻きに眺めながら、以前のような敵意ではなく、どこか身内を見守るような穏やかな視線を送ってくれている。
夕刻。ロロが息を切らせて戻ってきた。
「先生!教わった通りに測ってきたよ。あっちの広場の地下、地図だと空洞になってるけど、本当は大きな石の柱が三本立ってた!昔の神殿の跡みたいだよ!」
「ほう。三本の石柱か。それは興味深いな」
俺はロロの報告を即座に図面へ反映させる。
地表の泥に隠された、この街の骨格。それが見えてくるにつれ、俺の頭の中ではスラムの再開発プランが、ただの住宅整備を超えた、ある巨大な意図へと変貌しつつあった。
だが、その熱狂に水を差すように、広場の入り口から重々しい足音が響いた。
スラムの住人たちが、波が引くように道を開ける。
そこに現れたのは、燦然と輝く王家の紋章を纏ったウィンザー王太子、そしてヴァルゼイド公爵家の次期当主、俺の兄であるゼノンである。
周囲の騎士たちが一斉に膝をつく。俺もまた、右手を胸に当てて深く頭を下げた。
「ユウ、随分と熱心なことだな。設計院の総帥が泥にまみれて何をしているのかと思えば……。これは、スラムの子供たちか?」
ウィンザー王太子が、面白そうに目を細めて問いかけた。ゼノン兄様もまた、無愛想な表情を崩さないものの、その瞳に非難の色はなく、どこか驚いたような顔をしている。
「王太子殿下、ゼノン兄様。視察とは恐れ入ります。見ての通り、私はこの街の生きた記憶を測量しているところです」
兄様は俺の足元に広げられた図面を無言で覗き込んできた。そこには、王宮の書庫に眠る古い地図とは全く異なる、精緻極まるスラムの真実が描き出されていた。
「……ユウ、この測量、まさかその子供たちがやったのか?」
ゼノン兄様の声には、隠しきれない感心が混じっている。
「はい。教育された技師では、彼らが知る路地の深淵までは辿り着けません。彼らの小さな体と、この街で生き抜いてきた経験こそが、僕の設計には不可欠なのです。彼らは僕の欠けた左腕を補う、かけがえのない助手たちです」
ウィンザー王太子は、ロロが握っている巻尺と、泥にまみれたユウの図面を交互に見やり、高く笑い声を上げた。
「クックックッ、アッハッハッハ。面白い。貴族の傲慢を捨て、欠落した者同士の絆で国を建て直そうというのか。ゼノン、お前の弟は、我々が机上でこねくり回していた民衆への慈愛などという言葉を、本物の建築に昇華させているようだ。この泥だらけの羊皮紙は、王宮にあるどの宝石よりも輝いて見えるぞ」
「左様でございますね。よもや、これほどまでに住人を掌握し、彼らの目を自らの道具に変えてしまうとは。これこそが真の統治の姿かもしれません」
兄様の言葉には、一抹の畏怖すら含まれていた。以前は弟を案じるばかりだった兄が、今は一人の建築家として、あるいは政治家として俺を認め始めている。
俺と、俺を慕う小さな測量士たち。その光景は、王太子たちの目には、これまでの王都の常識を根底から覆す、新しい希望の形として映っているようだった。
「ユウ、続けろ。この泥の中からどのような王都の心臓が生まれるのか、私は楽しみにしているぞ。予算が必要ならいつでも言え」
ウィンザー王太子は満足げに頷くと、ゼノン兄様と共に立ち去った。
嵐が去った後のような沈黙の中、ロロが俺の外套の裾をそっと引っ張った。
「先生、今の偉い人たち、怒ってなかったね?」
「ああ。君たちの仕事に、彼らは感心していたよ。さあ、作業を続けよう。君たちが描いた線が、この国の形を変えるんだ」
俺は、再び鉛筆を握った。
王太子たちの称賛も、兄様の驚きも、俺にとっては計算の内だ。
泥の上に刻まれるこの設計図が完成した時、この街は誰もが予想しなかった素晴らしい街へと姿を変えることになるのだから。
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