第097話 泥の工務団
礎の街が完成し、王都のどん底だった場所が、今や最も清らかで活気ある場所へと姿を変えてから数週間が過ぎた。
祝祭の賑わいがようやく落ち着きを見せ始めた頃、俺は自室で一枚の大きな羊皮紙を広げていた。それは王宮の書庫にひっそりと眠っていた、古びた王都の公式地図だ。
「……やはり、ほつれだらけだな」
俺が独り言を漏らしたその時、部屋の扉が控えめに、だが一定の間をおいて叩かれた。
「先生、入ってもいい?」
聞き覚えのある快活な声に応えると、一人の少年が姿を現した。ロロだ。
かつて泥にまみれ、破れた布を纏っていた姿は、もうどこにもない。今の彼は、ヴァルゼイド公爵家から贈られたという、上質な紺色の仕立て服を誇らしげに着こなしている。それは俺の側近であることを示す印が細かく縫い込まれたもので、ロロ自身、その服を宝物のように大切に扱っていた。
何より特筆すべきは、彼の左腕で鈍い光を放つ『銀の腕章』だ。それは、本来ならば選ばれた大人しか入ることを許されない、国で一番の建築を司る場において、異例中の異例として認められた『特別に学びを許された者』としての証だった。スラムの住人たちが命を懸けて街を築いた、あの誇りの証を、彼は今も大切に巻いている。
「先生、新しいはかりの具合いを確かめておいたよ。これ、すごく使いやすいね!」
ロロは、俺が考案し彼に与えた特製の道具を愛おしそうに掲げた。彼は今や、俺を「先生」と呼び、心から敬ってくれている。その純粋な敬慕の念を知っているからこそ、俺も彼をただの助手以上の存在として大切に扱い、余すことなく知恵を授けてきたのだ。
「ああ、それは良かった。ロロ、お前にリーゼロッテが文字とはかりの計算を教えたのは、ただ本を読むためじゃない。この国に隠された嘘を見抜くためだ」
ロロの瞳が、光を宿して引き締まった。
工事の合間、瓦礫を椅子にしたリーゼロッテの青空教室は、いつしかスラムの大人たちまでを巻き込む学び舎となっていたが、その中でもロロの成長は目覚ましかった。今や彼は、建物の重さを支える複雑な仕組みの土台すら理解し始めている。
「いいか、ロロ。今からお前たち測り手の組に、礎の街の外、つまり王都全体の測り直しを命じる。仕事の内容はこうだ」
俺は地図上の数箇所を指さした。そこは王都の有力な貴族たちが大きな屋敷を構える場所や、商売の利権が絡む賑やかな通りだ。
「公の記録では、道幅が人が十人並んで歩ける広さとされている場所が、実際にはその半分ほどしかない。あるいは、地図に存在しないはずの分厚い壁が、公の道を塞いで自分たちの庭に取り込まれている。そういった『土地の横領』をすべて洗い出しなさい。君たちの小さな体と、正確なはかりの技術があれば、役人たちが数十年も見逃してきた矛盾を、数日で暴き出せるはずだ」
「わかったよ、先生!俺たちが、この街の本当の姿を全部書き出してくる。先生の設計を邪魔する奴らは、俺が全部見つけ出すから!」
ロロは力強く頷き、風のように部屋を後にした。かつてスラムの孤児として培った素早さと、俺が授けた最新の技術。この二つを併せ持つ彼は、王都のあらゆる隙間に潜り込み、隠された真実を暴き出す刃となる。
――――
数日後。俺の元には、ロロから驚くべき報告が次々と届けられた。
報告はロロの丁寧な字で記され、そこには国の専門機関の名に恥じぬ精緻な図面が添えられていた。
「先生、これを見て。東の区のバルト伯爵の屋敷、公の道を勝手に壁で囲って、自分専用の馬車道にしてるよ。それから、港の近くの倉庫街。地図にない地下の道が三つもあった。そこから夜中に、王宮の判子がない荷物が運び出されているんだ」
ロロが差し出した図面を見れば、王都の骨組みがいかに歪められているかが一目で分かった。税を逃れるための隠し倉庫、勝手に占拠された公の道。それらはすべて、『礎の街』の発展を邪魔する、都市の病のようなものだった。
「よくやった、ロロ。お前を設計の場に入れて正解だったよ」
俺がそう言って彼の頭を撫でると、ロロは顔を上気させ、誇らしげに目を細めた。腕の銀の腕章が、彼の高揚に呼応するようにきらりと光る。
俺はロロの報告をまとめ、一つの都市計画修正案として完成させた。それは表向きは路地の清掃や通りの風通しを良くすることを目的としたものだが、その実、不正を働いている貴族たちの喉元に刃を突きつける内容だった。
翌朝、俺がその書類を持って王宮へ向かおうとすると、玄関で待ち構えていたのは父様とゼノン兄様、そしてサリア姉様だった。
「ユウ、どこへ行くんだい?今日は日差しが強いから、私が特注させた、光を遮る魔法を込めた馬車を使いなさい」
父様が、俺の体調を案じてすでに馬車の扉を開けている。
「ユウ、その手に持っているのは何だい?もしかして、また無理な仕事を引き受けたんじゃないだろうね。もし誰かに脅されているなら、姉様がその家ごと消してあげるけど」
サリア姉様が物騒な笑みを浮かべながら俺の鞄を覗き込む。
「兄様、姉様。これは脅されているのではなく、こちらから仕掛けるための書類ですよ。ロロたちが暴いてくれた王都の不備を、少しだけ直してくるんです」
俺がそう言って不敵に笑うと、ゼノン兄様が俺の持つ書類をチラリと覗き込み、目を見開いた。
「……ユウ。これは、バルト伯爵たちの不正を、すべて『設計上の不備』として断罪するつもりか?これが公になれば、彼らの財産はすべて没収され、王家の土地になるぞ」
「ええ。街の詰まりを治すには、まずは腐った部分を切り落とさなくてはなりませんから」
兄様は呆れたように、しかし隠しきれない畏怖と称賛を込めて溜息をついた。
「相変わらず容赦がないな。よし、父様、我々も同行しましょう。ユウに文句をつける不届き者が現れないよう、ヴァルゼイドの威光を叩きつけてやる必要があります」
「うむ!」
こうして、修正案は国王陛下の御前で披露されることとなった。
謁見の間には名指しされた貴族たちも招集されていたが、彼らは当初、「スラム上がりのガキの落書きなど」と鼻で笑っていた。だが、ロロが壇上ではかりの数値を読み上げると、一気に顔を青ざめさせた。
「お、お待ちください陛下!壁は百年前からあそこに――」
バルト伯爵が脂汗を流すが、ロロは落ち着いて追撃する。
「いいえ、伯爵。あなたが三年前に行った改築の際、公の道の水の流れを埋め立てて、客間を広げた記録と、今のはかりの数値が一致しています。これが、あなたが工務店に渡した裏の図面の写しです」
「なっ、なぜそれを……!?貴様、どこからそんなものを!」
絶叫する伯爵の横で、他の貴族も計算の嵐に晒されていた。
「計算が合わぬ……。なぜ隠し扉の大きさがバレているのだ!?」
「陛下!これはあくまで、解釈の違いでして――!」
言い逃れをゼノン兄様が射抜き、父様の咳払いが場を凍らせる。俺は陛下に告げた。
「陛下、王都の血の流れを止めているのは、自分勝手な欲のために引かれた『嘘の線』です。すべて取り払い、本当に正しい道を通すべきです」
「面白い!ユウよ、不備はすべて取り除け!抵抗する者は余が直々に処断する!」
陛下の一喝で、貴族たちの権力は崩壊した。膝をつく伯爵と、逃げ腰になる貴族たち。俺は、誇らしげなロロの肩に手を置き、傍らで静かに見守るリーゼロッテ、そして「流石は我が息子だ」と胸を張る家族の姿を網膜に焼き付けた。
この日を境に、王都の地図は塗り替えられた。
俺が引いた新しい線は、もはや単なる道標ではない。それは、古いしがらみを断ち切り、この国に真の規律をもたらすための、鋼のような意志そのものであった。
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