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欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: スフィーダ


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第094話 卒業式

 国立魔導学園の講堂は、数千人の吐息と熱気、そして張り詰めた沈黙に支配されていた。

 高く壮麗な天井には、歴代の賢者たちが編み出した魔導術式が幾重にも巡らされ、ステンドグラスから差し込む陽光が、床に敷かれた真紅のカーペットを鮮やかに照らし出している。

 卒業生総代として、俺はゆっくりと壇上への階段を上った。


 一歩、足を踏み出すごとに、燕尾の礼服の左袖が、主のいない虚空をなぞって力なく揺れる。

 壇上に立ち、教職員、来賓の貴族、そして在校生たちを静かに見渡した。最前列には、誇らしげに胸を張るアルフォンス先輩たち四人と、祈るように手を組むリーゼロッテの姿がある。


 俺は、あらかじめ用意されていた美辞麗句だらけの原稿には目を落とさず、ただ前を向いて口を開いた。


「私は、生まれつき左腕がありません。母の胎内からこの世界に産み落とされたその瞬間から、私の人生には、他者には存在するはずの『形』が一つ、欠落していました。幼い頃、私に向けられた視線は、ヴァルゼイド公爵家の神童への期待などではなく、完成された血筋に混じった異物を見るかのような憐憫と、触れてはならない腫れ物に対する畏怖ばかりでした」


 最初の一言に、会場全体が息を呑む音が聞こえた。


「人は、揃っているものを美しいと呼びます。左右対称の均衡、五体満足の肉体、過不足のない才能。それらが揃って初めて、人間は一人前として認められる。そんな無言の圧の中で、私は生きてきました。ですが、私は今日、この場で皆さんに問いたい。完成されたものに、これ以上の成長があるのでしょうか?満たされた器に、新しい何かを注ぐ余地があるのでしょうか?」


 俺は一度言葉を切り、揺れる左袖を右手で静かに、しかし力強く押さえた。


「私に左腕がないのは、神が私を愛さなかったからではありません。私という存在に、右腕一本では到底支えきれないほどの知性と、世界を塗り替えるための想像力を詰め込むために、あえて残された聖なる空白だったのだと、今の私は確信しています。建築の世界において、最も美しいのは完成した瞬間ではなく、その設計図に無限の可能性が書き込まれている未完成の状態です。私たちが今日、この学び舎を去り、踏み出す未来もまた、理想とはほど遠い欠損だらけの場所かもしれません。思い描いた図面通りにはいかない現実、突然の喪失、拭えない孤独。ですが、絶望しないでください。欠けているということは、そこを埋めるための可能性が無限に広がっているということです。不完全であることを恐れず、その空白を自らの意志で、自らの手で描き足していく。その歩みこそが、人生という名の最も壮大な建築なのです。私はこの欠けた左腕と共に、誰も見たことのない景色を創り上げます。この国の理を再構築し、誰もがその『欠落』を誇れるような世界を作り出してみせる。皆さんの未来もまた、不完全さを愛せるほどに、強く、美しいものであることを願っています」


 俺が最後に深く一礼した瞬間、講堂を揺るがしたのは熱狂的な拍手ではなかった。

 それは、魂の底を打たれた者たちが零す、深い、深い沈黙だった。

 やがて、その静寂は嵐のような拍手へと変わり、人々は総立ちとなって俺を讃えてくれた。



――――

 式典後の卒業パーティは、一転して華やかな喧騒に包まれていた。

 シャンデリアが輝く大ホール。俺は婚約者となったリーゼロッテのエスコートをしていた。彼女は次期公爵夫人の座を手に入れたわけではない。だが、彼女の胸で輝く『蒼月の涙』は、彼女が俺の、唯一無二の伴侶として選ばれたことを何よりも雄弁に物語っていた。


 ホールの隅に、数人の令嬢たちが固まっているのが見えた。かつてリーゼロッテを『成り上がりの田舎娘』や『公爵家の腰巾着』と蔑み、同時に俺の身体を陰で嘲笑っていた一団だ。

 俺は、リーゼロッテの手を引き、あえて彼女たちの元へと歩み寄った。


「ユ、ユウ様……」


 令嬢たちは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。彼女たちの視線は、リーゼロッテの胸元で輝くサファイアに釘付けになり、やがてその輝きに射すくめられるように震えだした。


「皆さんも、リーゼロッテの門出を祝ってくれるだろう?今日から彼女は、私の隣に立つ唯一無二のパートナーだ。それとも、家柄や、あるいは私のこの左腕の無さを理由に、私たちの仲を不相応だと笑いたい方が、まだこの場にいらっしゃるかな?」


 俺の静かな、しかし氷のように冷たい威圧感を含んだ言葉に、令嬢たちは一斉に震え上がった。彼女たちは互いに顔を見合わせ、逃げ場がないことを悟ると、重いドレスの裾を引きずって次々と床に膝をついた。


「……申し訳ございませんでした!今まで私たちが抱いていたのは、ただの浅ましい嫉妬でございました。どうか、どうか、私たちを、お許しください!」


 かつてのリーゼロッテなら、この光景に怯えていただろう。だが、今の彼女は違った。

 俺の隣で、彼女は余裕に満ちた、どこまでも上品な微笑みを浮かべて令嬢たちを見下ろした。


「皆様、顔を上げてくださいな。過ぎたことはもう忘れてしまいましょう。今日からは、共にこの国を支える仲間として、よろしくお願いいたしますわ」


 リーゼロッテは優雅に手を差し出し、彼女たちを立たせた。その振る舞いは、政治的な威圧ではなく、愛する者の誇りを守り抜く女性としての、凛とした品格に満ちていた。


(……ああ、これでいい)


 俺は、寄り添うリーゼロッテの温もりを感じながら、ホールの中心へと戻った。周囲には、アルフォンス先輩たちが祝杯を持って集まってきている。


「リーゼロッテ、僕が言った通りだ。もう君を傷つける者はいない。僕は公爵にはならないけれど、この国のすべてを書き換える力を手に入れる。君はその隣で、僕の欠けた腕を支えていてほしい」


 俺が耳元で囁くと、彼女は幸せそうに、それでいて少しだけ危ういほどの熱を瞳に滲ませて微笑んだ。


「はい、ユウ様。公爵夫人になどならずとも、私は幸せです。あなたの空白を愛だけで埋め尽くす。それが、私の選んだ一生の仕事ですから」


 祝祭の音楽が、高らかに鳴り響く。

 俺たちは、祝福という名の波に揉まれながら、不完全なまま完成へと向かう、この完璧な箱庭の中へと深く足を踏み入れていった。

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