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欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: スフィーダ


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第093話 青い宝石

 翌朝、王都の空は一点の曇りもない、透き通るような快晴に恵まれた。

 国立魔導学園の卒業式当日。王都の住民たちは、今日という日がこの国の未来の魔導を担う若きエリートたちの門出であることを知り、朝から街全体が祝祭前夜のような、どこか浮足立った高揚感に包まれている。

 だが、ヴァルゼイド公爵邸の重厚な正門が音もなく開かれ、そこから現れた光景を目にした時、道ゆく人々は皆、一様に言葉を失い、石像のようにその場に釘付けとなった。


 公爵家の家紋である『盾と剣』が精巧に刻印された、白銀と漆黒の対比が美しい最高級の馬車。

 それを引くのは、通常の軍馬では太刀打ちできないほどの強大な魔力を帯び、漆黒の毛並みを揺らす四頭の魔導黒馬だ。御者台には、寸分の狂いもなく整えられた制服に身を包んだ公爵家の精鋭私兵が座り、その周囲には、陽光を跳ね返すほどに磨き抜かれた抜剣を掲げ、儀礼用の完璧な隊列を組んだ公爵家騎士団が護衛に就いている。

 それは単なる生徒の登校風景などでは断じてなく、一つの国家が威信をかけて動いているかのような圧倒的なまでの威容と権力の顕現であった。


「ユウ様。皆様、道を開けることさえ忘れて、私たちの姿をこれでもかというほど注視しておりますわね。ふふ、驚愕と、そして少しばかりの畏怖が混ざり合ったあの表情……少し、愉快ですわ」


 馬車の、最高級の獣毛が敷き詰められた座席に座るリーゼロッテが、窓の外を流れる驚愕の視線を感じ取りながら、薄く艶やかな微笑を浮かべた。

 今日の彼女が纏っているのは、卒業生用の厳かな礼服ではあったが、その胸元には、昨日、母様から家族全員の面前で授けられたばかりの『蒼月の涙』が、ひときわ強い存在感を放って鎮座していた。

 それはヴァルゼイド公爵家において、家督を継ぐ者の、あるいはその兄弟の正式な婚約者となった女性のみが身につけることを許される、特殊な術式が編み込まれたサファイアのペンダントである。

 これまで学園内で彼女に向けられていた『所詮は地方の子爵家の娘』『数多くいる候補の一人に過ぎない』という、遠慮のない値踏みや陰口は、この青い宝石が放つ重厚で神聖な魔力の波動によって、もはや立ち入ることすら許されない絶対的な敬意へと、今この瞬間をもって完全に塗り替えられることになるのだ。


 リーゼロッテは、その指先で愛おしそうにペンダントの冷たい表面を撫でる。

 彼女にとってこの宝石は、単なる宝飾品ではなく、何年もの間、俺の影として耐え忍んできた自分自身への最大の報酬であり、何者にも邪魔されることのない居場所の証明でもあった。


「当然だよ。昨夜のうちに、母様と父様が連名で各方面の有力貴族たちへ正式な通達を出した。今日からは、君が僕の隣にいることに異議を唱える者も、疑う余地を持つ者もこの国には存在しない。昨日はあんなに泣いていたけれど、少しは緊張が解けたかい?」


 俺が少しだけ揶揄するように問いかけると、リーゼロッテは俺の右手に自らの細い手を重ね、壊れんばかりに深く、重く力を込めてきた。


「いいえ。緊張など、この幸福に比べれば些末なことですわ。これほどまでに晴れやかで、誇らしい気分は人生で初めてですもの。ユウ様の正式な婚約者として、学園の門をくぐる……。あの日、単なる『候補』として、他家の令嬢たちの視線に怯えながらあなたの背中に隠れていた私とは、もう違うのですから。今はこの胸を焼くような愉悦を、一刻も早く学園の皆様に披露して差し上げたい。ただ、それだけですわ」


 彼女の瞳には、かつての控えめな影は微塵もなく、公爵家の『月』としての自覚と、圧倒的な勝者としての自尊心が燃え盛っていた。

 やがて馬車は、学園を象徴する巨大な正門を潜り抜け、中央広場の真正面へと滑り込むように停止した。

 広場には、卒業式を一目見ようと集まっていた数千人の在校生、高官、保護者、そして教職員たちが黒山の人だかりを作っていたが、白銀の馬車が停止した瞬間、まるで魔法にでもかかったかのように、波が引くような静寂が辺りを支配した。


 騎士が恭しく扉を開け、乗降用のステップが下ろされる。

 俺は先に馬車を降り、地に足をつけた後、右手をごく自然な動作で差し出した。

 その手に、白く細い、しかし昨日よりもずっと力強い意志を宿したリーゼロッテの手が重ねられる。


 二人が並んで地面に立ち、周囲を静かに見渡した瞬間、広場にいた全員が、その眼で確かに目撃した。

 俺の隣に立つ彼女の胸元で、鈍く、しかし周囲の空気を歪めるほどの魔力密度を持って明滅する『蒼月の涙』の青い輝きを。

 それは、彼女が今日この日から、単なる従者でも、一時的な候補でもなく、将来のヴァルゼイド公爵家の一翼を担い、俺の魂の半身となる正式な婚約者として確定したという、神聖にして不可侵の証明だった。


「行こう、リーゼロッテ。僕たちの新しい歴史の始まりだ」

「はい、ユウ様。地獄の果てまで、あなたの隣を歩ませていただきますわ」


 一瞬の静寂の後、地鳴りのようなざわめきが全方位へと広がっていく。

 特に、彼女を『家格が不釣り合いだ』と公然と侮っていた他家の令嬢たちは、そのペンダントが持つ意味を理解した瞬間、一様に顔面を蒼白にさせ、膝を震わせて立ち尽くしていた。彼女たちの敗北は、これ以上ないほど残酷な形で突きつけられたのだ。


 あらゆる羨望、嫉妬、驚愕が渦巻く中、俺たちは誰に目を向けることもなく、まっすぐに講堂へと続く中央大階段を、堂々たる足取りで歩み出した。

 その背後、広場の一角には、俺たちの到着を待ち構えていた友人たちが立っていた。


 ベルシュタイン侯爵家の嫡男として、貴公子然とした優雅な微笑みを湛える既に卒業しているアルフォンス。俺を誰よりも理解する先輩であり、良き友人として、この結末を誰よりも確信していたかのように深く頷いた。

 軍部の重鎮ロドリック家のカイルは、腕を組みながら不敵な笑みを浮かべ、俺たちの決断を祝うように軽く顎を引く。その背後には軍部に根を張る一族の重圧が控えていたが、今はただの友人としての祝福がそこにあった。

 特殊技術を誇るヴァレンタイン家のメアリは、感極まった様子でハンカチを握りしめ、親友の栄光に瞳を潤ませていた。

 そして伝統ある商家としての顔を持つトマスは、商人の鋭い眼光を和らげ、満足げにその光景を記憶に焼き付けている。


 彼ら四人は、単なる友人以上の連帯感を持って、この完璧な箱庭の完成を、そして新たな支配者たちの誕生を、心からの祝辞と共に祝福していた。


 講堂の巨大な扉が左右に開かれる。

 正面に広がるレッドカーペット。その両脇を埋め尽くす下級生や来賓たちの視線は、全て俺とリーゼロッテに集中していた。

 今日この日、俺たちはもはや学生ではない。

 ヴァルゼイド公爵家の名を掲げ、未来を支配する決意を固めた、新たな時代の主役なのだ。


 一段、また一段と、光の満ちる講堂へと階段を上っていく。

 一歩進むごとに、リーゼロッテが握る手の力が強まっていくのを感じた。それは、彼女の覚悟の重さであり、同時に俺に与えられた心地よい呪いでもあった。

 

 俺は欠けた左腕の袖を風になびかせながら、隣で誇らしげに顎を上げる婚約者と共に、喝采と沈黙が入り混じる聖域へと足を踏み入れた。

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