第091話 王立建築設計院
ある穏やかな午後のことである。
本来ならば、友人たちと名残惜しげに未来を語り合っているはずの時間は、父ガルド公爵と兄ゼノン、そして王太子ウィンザー殿下による唐突な呼び出しによって、予期せぬ方向へと塗り替えられてしまった。
連れられて辿り着いたのは、王城の堅牢な城壁に隣接する、旧離宮の跡地だった。かつては王族が静養に使ったというその広大な敷地には、いつの間に普請を進めていたのか、眩いほどに白い石材で築かれた建物が出来上がっていた。窓は極端に少なく、外部からの侵入を一切拒絶するかのようなその姿は、一見すれば聖域のようであり、同時に外界から一人の人間を完全に隔離するための棺桶のようにも見える。
俺が困惑し、足を止めてしまった。
「ユウ、驚かせて済まない。だが、これがお前に相応しい卒業祝いだ。ここは本日より『王立建築設計院』として、お前をその終身総帥に任命する」
父様の言葉に、俺は自分の耳を疑った。まだ卒業もしていない身に、国家機関の長という重責を負わせるというのか?俺が戸惑いの声を漏らす前に、父様はさらに熱を帯びた口調で言葉を継いだ。
「ここがお前の城だ。だが、お前をここに閉じ込めておくつもりはない。お前はここの全権者として、王国内のあらゆる場所に自由に出入りし、視察し、その場で再編の命令を下す権限を持つ。お前が歩く道はすべて我らの名において事前に清められ、不潔な石ころ一つ落ちていないよう手配する。王族と同等の敬意と鉄壁の安全を保障する」
殿下が静かに、重厚な鉄の門を押し開いた。建物の中は、俺が設計の研究に生涯を捧げたいと夢想したすべてが、暴力的なまでの物量で揃っている。最新の魔導具、古今東西から買い集められた稀少な建築資料、広大な製図机、そして一国の予算を自由に動かせるだけの公印まで揃っている。
さらには、名簿までもが用意されていた。アルフォンス先輩、カイル、メアリ、トマス。俺が学園で唯一心を許した友人たち。彼らは今後、俺の公式な補佐官として登録され、俺が協力を求めた際には、たとえ家門の利益に反しようとも無条件でそれに従い、持てる力すべてを俺のために投じることが法的に義務付けられたという。
父様たちが用意したのは、自由という名の特権だ。だが、それは俺を国に固定し、誰にも触れさせず、誰にも傷つけさせないための檻に他ならない。
「父様、これは……。これは、やりすぎです。友人たちまで僕の道具にするなんて……。それに、僕は、もっと自分の足で、普通の人間として世界を見たかった。閉じ込められるのは嫌だ!僕には『パサージュの鍵』がある。これを使えば、どんな壁だって通り抜けて、一瞬でどこへだって行ける!僕をここに縛り付けておけるなんて思わないでください!」
俺が必死に叫び、自分にしか扱えない『絶対的な力』を話すと、これまで沈黙を守っていた兄様が、音もなく俺の背後に立った。
「ああ、知っているよ、ユウ。お前のパサージュの力なら、ここから逃げるのは瞬きをするよりも容易いだろうね。だが、ユウ、お前がその力を使ってここから消えたなら、残された僕たちがどうなるか、その賢い頭で考えたことはあるかい?」
兄様の声が、氷の刃のように耳元で囁かれる。
「お前がいなくなった瞬間、管理責任を問われるリーゼロッテや、お前の友人たちは、『国家最高機密紛失』の重罪人として処刑台に上ることになるだろう。それだけじゃない。案内役を務めた父様や殿下も王家の信頼を裏切ったとして全責任を問われ、ヴァルゼイド公爵家は即座に取り潰しだ。ユウ。お前は、自分一人の気まぐれな自由のために、お前を愛し、お前に人生を捧げようとしている家族や友人たち全員を、罪人に仕立て上げて死なせるつもりかい?」
俺は、息をすることさえ忘れて立ち尽くしまった。
どんなに万能な力を持っていても、大好きな人たちの人生をめちゃくちゃにして、彼らを破滅に追いやってまで一人で逃げることなんてことは俺にはできない。パサージュの鍵は空間を繋ぎ変えることはできても、人の心に絡みついた”絆”という名の呪縛を消し去ることはできない。この設計院という施設そのものが、彼ら全員の命を建材にして組み上げられた、俺を逃がさないための巨大な罠になっている。
(あぁ……逃げ道なんて、最初からどこにも残されていなかったんだ……)
俺の持っている『パサージュの鍵』は、今や俺自身を解放する道具ではなく、俺を囲んでいるみんなの首にかけられた『処刑の鍵』に変わってしまった。俺が鍵を回せば、俺以外の全員が死ぬ。そんな呪いのような鍵を回せるわけがない。
絶望と、自分の無力さに対する恐怖で膝が震え、視界が滲んだその時だった。
「……ユウ様、どうか震えないでください。ここは、あなたを苦しめる場所ではありませんわ」
柔らかく、温かな感触が俺の震える手を包み込んだ。
リーゼロッテが、俺の傍らに跪き、寄り添うように俺の顔を覗き込んでいた。彼女の瞳には、父様や兄様が見せる支配ではなく、ただ俺の怯えをすべて吸い取ろうとするような深い献身のみ宿っているようだった。
「皆様があなたを愛するあまり、あなたの優しさを人質にするような形をとってしまったこと、私からもお詫びいたします。ですが、ユウ様。どうか、逃げ出す必要などないのだと考えてはいただけませんか?」
リーゼロッテは、俺の手にそっと自分の頬を寄せ、慈しむように、そして諭すように言葉を重ねた。
「あなたがどこへ行きたいと願われても、私たちがその道を整えます。あなたが泥に触れぬよう、不快な思いをせぬよう、私たちがあなたの楯となり手足となります。この設計院は、あなたが自由に世界を描き変えるための筆であり、守り抜かれるための場所なのです。私は、あなたの自由を奪う番人ではなく、あなたの自由を支え、共に歩むための、あなたの味方でありたいのですわ。いいえ、あなたの僕として、生涯を捧げる覚悟は既にできておりますの」
彼女の言葉には、確かな温度と深い純愛が見て取れる。父様たちが用意した支配の仕組みを、彼女は『俺を守るためのだけの愛』という真実に変換して、俺の心に届けようとしてくれていた。
「さあ、ユウ様。顔を上げてください。まずは一つ、あなたが行きたい場所を教えてください。そこがどんなに遠くても、どんなに不便な場所でも、私たちが最高の場所に変えてみせます。あなたはもう、一人で戦い、一人で逃げる必要などないのですから」
俺は、リーゼロッテの温もりを感じながら、少しずつ、乱れた呼吸を整えていった。
完全な自由ではない。どこへ行こうとも、そこには父様たちの支配が先回りをしている。だが、彼女がこれほどまでに俺の心を守ろうとしてくれるなら、この与えられた歪な自由の中で、自分自身の意志を貫く道を探せるかもしれない。
窓の外からは、卒業式の予行演習の鐘が王都の空に響き渡っている。
それは今、俺にとって敗北を告げる弔鐘ではなく、王国という巨大な模型を、俺自身の筆で、そして彼女という唯一の味方を伴って書き換えていくための、終わりのない闘いの始まりを告げる合図のようにも聞こえる。
「わかりました。リーゼロッテ、まずは実地調査の計画を立てる。僕が『見たい』と思う場所へ君と一緒に」
俺の絞り出した言葉に、リーゼロッテは深く頷く。その光景を背後で見守る父様と兄様、そして殿下の顔には、自分たちの計画が完璧に成就し始めたことへの満足感が浮かんでいるようだった。
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