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欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: スフィーダ


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第090話 王命

 学園の卒業という大きな節目を数日後に控えた、穏やかな午後のことだった。

 旧校舎の三階、建築設計の研究に生涯の情熱を捧げる者たちが集う部室は、どことなく重い空気に包まれているかのようだった。


 この部屋に集まっているカイル、メアリ、トマスの三人は、先ほど届けられた一通の王命を前に、言葉を失っていた。羊皮紙に刻まれた重厚な封蝋が、一人の青年の運命を決定的に塗り替えたことを告げている。


 今日、この場にユウ・ヴァルゼイドの姿はない。卒業を目前に控えた彼は、国王陛下と父ガルド公爵から『公爵家としての最終的な進路の確認』という名目で、早朝から王宮へ呼び出されていた。


 生まれながらに左腕を欠いたその身体で、誰よりも緻密な図面を引く彼は、周囲の目には常に欠損を抱えた危うい存在として映っている。だが、この呼び出しの正体は、保護ではない。彼の異能とも呼べる知性を王宮へ囲い込み、国家の部品として固定するための、一族を挙げた周到な収監計画であろう。


 そこへ、予告もなく扉が開く。入ってきたのは、一学年上の先輩であり、既に王立魔導院にて教鞭を執っているアルフォンスであった。


 「……やはり、下ったか」


 アルフォンスは、知的な印象を与える眼鏡を指先で静かに押し上げ、机の上に広げられた王家の紋章を見つめた。その瞳には冷ややかであった。


 「例の王命、僕の元にも通達があった。ヴァルゼイド君を『王立建築設計院』の終身総帥に据える。場所は王城に隣接する離宮跡地。……名目は大抜擢だが、実態は外界との断絶だろうな」


 アルフォンスの言葉に、トマスが顔を上げた。握りしめた拳が、卓上の書状をわずかに震わせた。


 「陛下も公爵様も、彼を人間として扱うことを辞めたのでしょうか?。ユウ様を、この国の永久機関に据えようとでもいうのでしょうか?」


 「そうだ。あんなに細い肩に、この国の地脈すべてを背負わせようとしている」


 アルフォンスは、自嘲気味に吐き捨てた。


 「だが、我々にそれを拒む権利があるか?彼を世に放り出し、その知性を無遠慮な好奇の目に晒し続けることが、正解だとでも言うのか。彼は純粋すぎるんだ。泥の中に咲かせておくには、あまりに惜しい輝きだろう。違うかい?」


 王都の基盤再編、要害の構築。国家の心臓部をユウ一人の筆先に委ねるという決定は、彼を王国の脳として神殿に祀り上げるに等しい。


 「アルフォンス先輩。ですが、立ち入りを許されるのが我らのみというのは……。それは、ユウ様の孤独を、私たちが買い取るということになりませんか?」


 トマスは不安げに、主のいない空席を見つめた。書状には、設計院への立ち入りは王族、公爵家、そしてユウが唯一対等と認めた四名のみに限定されると記されている。その排他的な特権に、カイルが低く笑い、口を開いた。


 「孤独だと?笑わせるな。ユウがあの右腕一本で何を描こうとしているか、お前は見てきたはずだろう?」


 カイルは腰の剣の柄を、自嘲するように強く握りしめた。


 「あいつは、自分に欠けているものを埋めるために、他人の欠落を埋めようとする。もし自由を与えれば、あいつは民の嘆きを聞くたびに、自分の命を削ってでも橋を架け、城を築くだろう。自分を愛することを知らないあいつに、自由などという劇薬を渡せるものか!」


 カイルの言葉には、友を思う情愛と、彼を独占したいという歪な所有欲が混ざり合っている。


 「そうね。ユウは、自分の痛みが他人に伝わるのを何よりも嫌うもの。あの優しさは、いつか自分自身を苦しめてしまうわ」


 メアリが、沈痛な面持ちで言葉を重ねる。


 「図面を引く時のユウは、呼吸すら忘れている。不自由な身体で筆を走らせるあいつの負担を、誰が肩代わりできる?私たちがその壁にならなければ、ユウの細い糸は、外の世界の騒音であっけなく切れてしまうわ」


 「俺達は、あいつの静寂を守る防壁にならなきゃいけないんだ。ユウには、あの城の中で、俺達が用意した箱庭の中で、ただその思考を羽ばたかせてくれればいい。あいつをむしばむ世界があるのなら俺が、俺の手であいつを引き剥がしてやる」


 カイルの言葉に、メアリも深く頷いた。


 「トマス、あんたの役目は重要よ。ユウの目に触れるもの、肌に触れるもの。そのすべてから不浄を排除しなさい。あの子の平穏を乱す不純物は、一粒の砂であっても許されない。わかっているわよね?」


 「……ええ。わかっています、メアリさん。ユウ様が何かに怯えたり、足りないものに絶望したりしないよう、世界の果てからですべて必要な物を買い集めてみせましょう。それが、彼に選ばれた者の責任です」


 部屋の空気が、ユウを救うという名目の共犯意識に染まっていった。そこへ、音もなく扉が開き、リーゼロッテが現れる。


 植物の成長を完璧に管理し、命の形を歪めることさえ厭わない『育む魔法』の使い手。彼女の胸元には、設計院の管理権限を示す公印が、重苦しい光を放っていた。


 「皆様、その決意……。ユウ様も、さぞお喜びになるでしょう」


 彼女は、まるでそこに愛しい主が座っているかのように、主のいない椅子の背もたれを、白い指先でゆっくりとなぞる。


 「ユウ様は、あまりに繊細な心をお持ちです。その欠損は、私たちのような者が、その身を捧げて埋めるために与えられた神の思し召し。外の世界という荒野に、あのお方を立たせてはなりません。あっという間に枯れ果ててしまうでしょう」


 リーゼロッテは、椅子の感触を確かめるように、執着を込めて何度も何度も撫でた。


 「あのお方は、王城の隣に建つあの白い聖域で、永遠にその才能を慈しまれるべきなのです。……たとえ、それが鳥籠であっても」


 彼女は三人の顔を見渡し、慈愛に満ちた微笑を浮かべた。


 「アルフォンスさんはその知を、カイルさんはその力を。メアリさんはその感性を、トマスさんはその環境を。ユウ様が傷つく理由を、私たちがこの世から一つずつ消していくのです」


 「……あぁ、それが最善だな」


 カイルが頷き、一同が沈黙で応じる。そこに、ユウ自身の意志を問う者はいない。彼らは信じているのだ。ユウを守ることこそが、自分たちの存在理由であると。


 「卒業の儀を終えたその足で、ユウ様をお家へお連れいたします。もう、誰にもあのお方を傷つけさせない。そして、あのお方も、二度と自分を傷つける必要などなくなるのです」


 リーゼロッテの言葉は、呪いのように甘く響く。


 「ユウ様の心を満たすのは、私たちだけで十分。いいえ、私たち以外、必要ないのですから」


 窓の外では、ユウを迎え入れるための、急ピッチで進む普請の音が遠く響いてくる。

 それは、一人の天才を永遠に独占し、守り抜くための、葬送曲にも似た槌音にも聞こえるのだ。


 部屋の灯が落とされ、夕闇の中、五人の守護者たちは、大切な友を安全な地獄へと閉じ込めるための、静かな、あまりに静かな誓いを立てたのであった。

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