第087話 後夜祭
学園祭の最後を飾る、後夜祭のダンスパーティーが始まろうとしていた。
夕闇が静かに校舎を包み込みはじめた頃、中庭に設えられた特設会場には、数えきれないほどの魔法灯が幻想的な光を投げかけている。
昼間の喧騒とは打って変わり、会場には優雅な弦楽の調べが流れ、正装に着替えた生徒たちが、意中の相手と踊る機会を求めて、期待と緊張の入り混じったため息を漏らしている。
壁に飾られた学園旗は夜風に揺れ、華やかなドレスの擦れる音と共に調べのように響いている。
俺はといえば、この騒がしい場所から逃げるように、旧校舎の部室で静かに過ごすつもりだった。
当然、隣にはリーゼロッテが寄り添っている。彼女は俺が何を言わずとも、その歩調を乱すことなく、静かに俺の右側に控え続ける。
昼間に特進クラスのリーダーとして、また広告塔として十分すぎるほど立ち回り、学生としての役目は果たした。中庭から聞こえる音楽を背に、この静寂の中で目を閉じている方が俺にはあっているようだ。
しかし、その目論見は、部室の扉を叩いたアルフォンス先輩の登場によって、あっけなく打ち砕かれてしまった。
「やはりここだったか、ヴァルゼイド君。君が喧騒を嫌って一人になりたい時に選ぶ場所は、我々同志の間では周知の事実だよ」
アルフォンス先輩は、迷いのない足取りで部屋へ踏み込んでくる。彼がここを突き止めたのは、長く行動を共にしてきたからこその直感だろう。五人の強固な連帯感は、時に俺のプライベートな逃げ場さえも、身内だけの共有財産に変えてしまう。
「ヴァルゼイド君、君は、こんなところで休んでいてはいけないなぁ。君はこの特進クラスを率いるリーダーであり、王家から最高の勲章を授かった学園の象徴なんだから。伝統あるパーティーに主役がいないなんてことになれば、学園長が卒倒してしまうよ。それに、君を待っているのは義務だけじゃない。今日のために着飾ったお嬢様たちが、君に一度見てもらうのを今か今かと待っているんだ」
アルフォンス先輩が合図を送ると、廊下に控えていた従者が重厚な衣装箱を運び込んだ。彼は俺の消極的な反応など意に介さず、用意されていた黒い礼服を取り出す。
傍らにいたリーゼロッテが、阿吽の呼吸でそれを受け取る。彼女は俺の着替えを誰の手にも触れさせぬよう、献身的に、そして手際よく整えていく。俺の肩に触れる彼女の指先には、慈しみと、他者を寄せ付けないという静かな執着が宿っている。
結局、俺は半ば強引に、光り輝く会場へと連れ出されることになったのだ。
俺が会場に姿を現した瞬間、肌を刺すような静寂が広がった。
黒の礼服に身を包んだ俺の姿に、周囲の令嬢たちが一斉に視線を注ぐ。その瞳に宿っているのは、以前のような蔑みではない。熱に浮かされたような、うっとりとした、どこか薄気味悪い崇拝の表情に近い。
ほんの少し前まで、彼女たちは俺のことを『魔力無しの無能』と呼び、隣のリーゼロッテを『成り上がりの腰巾着』と嘲笑っていた筈だ。
だが、俺が王家から勲章を授与された瞬間、彼女たちの価値観は音を立てて崩壊し、すべて塗り替えられたのだ。
彼女たちにとって、事実がどうであるかはもはや重要ではない。王家という絶対的な権威が認めたことこそが唯一の正解であり、それに擦り寄る事こそが家系を存続させるための生存本能に近いのだろう。
丁寧に整えられ、静かに揺れる左腕の空っぽの袖。かつては憐憫や嘲笑の対象だったそれは、今や英雄の証として、彼女たちの目に眩しく映っていた。
「まあ、ヴァルゼイド様……。あのお姿こそ、王家が認めた真の気高さですわ。あの左腕の袖に、一度でいいから触れてみたいわ……」
手のひらを返したようなうっとりとしたため息が、波のように会場を埋め尽くす。
多くの女子生徒たちが、かつての非礼を忘れたかのように、震える足で一歩前へ踏み出そうとした。だが、彼女たちの指先が俺の領域に届くことは決してないのだ。
「失礼。ユウ様は現在、王家公認の監視下にある身です。身元のわからない者がむやみに近づくことは、安全のために認められません。文句がある方は、後で公爵家までお越しください。たっぷりと『お話』をして差し上げますわ。それとも、『お手紙』のほうがよろしいかしら?」
俺の真横に陣取ったリーゼロッテが、氷のような冷たい視線で彼女たちの道を塞いだ。
”腰巾着”と指差されていた彼女は今や、公爵家の威光を背負った冷徹な執行官なのだ。
彼女の言葉一つで、一つの家門が社会的に抹殺されることを、生徒たちは嫌というほど理解していた。権威に怯える彼女たちは、リーゼロッテの宣告に射すくめられ、蜘蛛の子を散らすように引き下がっていった
リーゼロッテは周囲の視線をゴミのように切り捨てると、俺の前に立ち、しなやかな動作で手を差し出した。
「ユウ様の最初のダンスは、私がお相手いたします。これは公爵家、あるいは王家から任された私の役目でもありますから」
俺は彼女の細い指先を右手で取り、ゆっくりとダンスの輪へと足を踏み入れる。
音楽が始まり、俺たちは優雅に踊り始める。左腕の袖が風をはらんで揺れるたび、周囲からは吐息が漏れる。自分たちを蔑ろにした俺たちに対して、怒るどころか、その支配的な物語に跪こうとしているその光景は、滑稽ですらあった。
「……これで、うるさい羽虫たちも大人しくなるでしょう」
密着したリーゼロッテの声には、勝利感がこもっていた。
一方、ダンスの輪の中心では、メアリが包帯を巻いたままのトマスの腕を取り、半分無理やりステップを踏ませていた。
「メアリさん、待って、待ってください!僕は怪我をしているし、そもそもこんな立派な場所で踊るような身分じゃ……」
トマスが顔を青くして断ろうとするが、メアリはその声を甘い微笑みで封じる。
「いいえ、トマス。怪我をしているからこそ、私が必要なのよ。あなたは何も心配しなくていいの。私が支えるから、あなたはただ私に体重をあずけていればいいのよ。他の誰かがあなたに触れるなんて、想像しただけで頭が変になりそうだわ」
メアリの腕は、トマスの自由を奪う鎖となって彼を縛り付けていた。
その瞳には、傷ついた彼を二度と外の世界へ逃がさないという、狂気じみた愛情が光っている。
俺は、その様子を会場の隅から静かに眺めていた。
ここにあるのは、純粋な交流などではない。権威への盲従、執着、依存、連帯である。
儀式のようなダンスも終わり、俺たちは再び旧校舎の部室へと戻ってきた。
ここは外の喧騒とは無縁の、深い静寂に包まれている。
扉を開けると、そこにはリーゼロッテが事前に手配していた最高級の食事が並べられていた。
トマスとメアリもすでに到着しており、トマスは怪我を理由に、メアリから甲斐甲斐しく食事を口に運ばれていた。
「あ、ユウ様!お疲れ様です。さっきのダンス、本当に綺麗でした。なんだか、僕なんかがここにいていいのかって思っちゃいましたよ」
トマスの無邪気な声が響く。
アルフォンス先輩が、並べられたグラスに琥珀色の液体を注いでいく。
「さあ、ヴァルゼイド君。まずは乾杯しよう。今日の学園祭の成功を祝して」
俺は差し出されたグラスを右手で受け取った。
左腕の袖がロウソクの火に照らされ、壁に巨大な影を落とす。その影は、俺たち五人を外部から遮断する檻のように見えた。
「ユウ様、どうぞ」
リーゼロッテが俺の右手にそっと自分の手を添えグラスを導く。俺はその誘いに従い、ゆっくりと酒を煽った。
窓の外では、後夜祭の終わりを告げる花火が最後の一発を夜空に刻んでいた。
明日から始まるのは、誰も立ち入ることのできない五人だけの閉ざされた日常だ。
俺は静かに目を閉じ、完成された学園と言う箱庭の住人として、その永遠を確信したのだった。
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