第078話 放課後の狂想曲
学園の静寂を切り裂くのは、華やかな社交の笑い声ではない。旧校舎の三階、かつて物置として放置されていた一室から漏れ出る、削岩機の振動音と図面を引く鋭い鉛筆の音だ。
そこには、既存のどの部活動にも満足できなかった者たちが、自らの手で権利を勝ち取り設立した聖域、『建築設計研究会』がある。
「却下だ、カイル。その野蛮な梁の配置は、構造的強度を重視するあまり、空間の黄金比を無視しすぎている。これでは私の設計思想に泥を塗るようなものだぞ」
アルフォンス・ベルシュタインが、眼鏡のブリッジを押し上げながら冷徹に告げた。一学年上の先輩である彼の前には、何重にも計算し直された複雑な構造計算書が浮かび上がっている。
「あぁん?綺麗事で人が住めるかよ、アルフォンス先輩。地震が一回起きただけで崩れるような、あんたの繊細な芸術品こそゴミだ。建物ってのは、嵐の中でも大地を掴み、中にいる人間を守り続けてこそ価値があるんだよ!」
カイル・ロドリックが、愛用の水平器を弄びながら野性味のある牙を剥く。彼の足元には、強度実験の犠牲となった大理石の支柱の残骸が山積みになっていた。
「二人とも、少し黙っててよ!耐震性だの容積率だの聞き苦しいわ。建築とは、街の景観に刻まれる永遠の装飾であるべきなのよ。見てなさい、私のこの色彩配列……これこそが、住まう者の魂を浄化する調律なのよ」
メアリ・ヴァレンタインが、宝石を散りばめたようなタイルを壁面の模型に並べ、うっとりと頬を染める。彼女にとって建築とは、生活のための箱ではなく、表現のための巨大なキャンバスだった。
三家の嫡子たちが、それぞれの譲れない矜持をぶつけ合い、一触即発の空気が流れる。そんな中、中心に座る俺は、三人から差し出された三通りの図面を眺めながら、手元の設計図にさらさらと一本の線を書き加えた。
「ねえ、この耐力壁を『構造上の空白』として再定義して、荷重を直接、逃がしてみたらどうかな?そうすれば、アルフォンス先輩の意匠を壊さずに、カイルの望む堅牢さも確保できる。メアリの色彩も、この採光角度なら空間の歪みに反射してもっと綺麗に発色すると思うんだ」
「「「…………っ!」」」
三人が絶句した。俺が提示したのは、三つの相反する要求を、物理法則の裏をかくような独創的なアプローチで統合する、あまりに鮮やかな架構案だった。
「ふむ。地盤への荷重負荷を分散させれば、理論上は可能だが……。リーゼロッテ、君はどう見る?」
アルフォンスが、視線を傍らの少女へと向けた。それまで黙って自身のパースに向き合っていたリーゼロッテは、静かに筆を置く。
「ユウ様、その設計案、素晴らしいですわ。でも……、この素材間の熱膨張率の差はどうなさるおつもり?このままでは、見た目が美しくても、経年劣化でクラックが入ってしまいますわ」
リーゼロッテは椅子から立ち上がると、自ら分度器と強度計算機を手に取った。彼女の手さばきは正確無比で、アルフォンスの理論とカイルの実用性を、精密な納まり図で鮮やかに繋いでいく。
この研究会は、設立当初から学園内の注目の的だった。帝国最高峰の三家が揃い、さらに俺が名を連ねているのだ。当然、彼らとの接点を求めて、鼻息を荒くした高位貴族の子息や令嬢たちが、連日のように入部希望に押し寄せた。
だが、彼らの前に立ちはだかるのは、アルフォンスが主導する面接という名の絶壁だ。
「本日も全滅か。嘆かわしい。建築の深淵に触れる覚悟もなく、ただヴァルゼイド君への知己を得るための踏み台としてここを志す不届き者が、この聖域の敷居を跨ごうなど、傲慢にも程がある。家柄や人脈を誇る暇があるなら、己の無知と恥をその薄っぺらな図面に書き込んでくるがいい」
アルフォンスは、机に積み上がった”不合格”と記された志願票を忌々しげに眺めた。
面接の内容は極めてシンプル。俺に対する態度である。
しかし、そんな鉄壁を唯一突破した例外がいた。
「あの、失礼します……。頼まれていた、ジャンク市場の特殊補強材……入りました」
おずおずと、しかし確かな足取りで入室してきたのは、平民出身で商家の子どもであるトマスだった。
彼は魔力保有量こそ微々たるものだが、その頭脳には商人特有の徹底的なコスト意識と、現場の泥臭い工夫が詰まっている。
面接の際、彼は俺の顔を一度も見ることなく、提示された難問に対して高価な魔法石を用いた補強ではなく、商会で扱う安価な触媒を混ぜたセメントを組み合わせることを提案した。それが一割どころか三割の強度向上を叩き出すと証明してみせたのだ。
「お疲れ様、トマス君。待っていたよ」
俺が笑顔で声をかける。トマスは、少し顔を赤くしながらも、持参した布袋から見たこともない粘土状の物体を取り出した。
「これなんですけど……。スラムの解体現場で見つけた廃材なんです。アルフォンス先輩の設計、理論は完璧なんですけど、剛性が高すぎてしなりがないのが弱点で……。これを接合部に挟めば、振動吸収率が跳ね上がります」
「……ほう、遠回しに嫌味な事を言うではないか。それに、廃材だと?私の理論に、そのような不純物を混ぜろと言うのか?」
アルフォンスが険しい表情でトマスの手元を覗き込む。トマスは怯えながらも、建築への情熱が恐怖を上回ったのか、熱っぽく反論した。
「ベルシュタイン先輩の理論は、完璧な岩盤の上を想定しています。でも、現実の土地はもっと不安定で、常に揺れているんです.商売と同じですよ。綺麗な帳簿だけじゃ、建物は建ちません!」
「…………なるほどなぁ、面白い。やってみろ」
アルフォンスが許可を出すと、トマスは慣れた手つきで模型の接合部に廃材を塗り込んでいく。すると、それまで不気味な軋み音を立てていた模型が、嘘のように安定し、強固な一体感を見せた。
「むぅ……。信じられんな。理論値以上の耐震性だ。トマス、貴様のその商売人の視点、建築の実装においては、無視できない価値があるな」
アルフォンスの不器用な肯定に、カイルも笑ってトマスの背中を力一杯叩いた。
「イテッ!」
「ハハハ!そうだぜトマス!お前がいなきゃ、俺の設計はいつまでたっても硬すぎて折れてたところだ。平民だろうがなんだろうが、図面の前じゃ関係ねえ。壊れないものを作った奴が一番偉いんだよ!」
「あ、ありがとうございます……カイルさん。でも、背中が痛いです……。イテテテテ」
メアリもまた、トマスが持ってきた素材の独特の光沢に目を輝かせている。
「トマス、この廃材、光が当たると少しだけど紫色に光るのね。悪くないわよ」
リーゼロッテは、五人分のお茶を淹れながら、微笑ましくその光景を見守っていた。
「さあ、皆様。お茶の準備ができていますわよ。トマスさんも、今日は新しく入荷した茶葉の試飲を兼ねていますの。商人の息子として、率率な感想をいただけますかしら?」
「え、あ、はい!喜んで、リーゼロッテ様!」
四人の天才と、一人の商人。
皆それぞれに、建築の設計図に没頭する。
「さぁ!最終検証を再開しましょう。トマス、支持基盤の予備パーツを準備して」
「了解です!メアリ様!」
旧校舎の窓から漏れる黄金の光は、やがて学園の夜を、彼らだけの色彩で塗り替えていくのであった。
ブックマーク、評価をお願い致します。
レビュー、感想等もお待ちしております。
誤字、脱字等がありましたらご報告をお願い致します。




