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欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: スフィーダ


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第077話 影の誓約

 私の正体は、潜入した初日から暴かれていた。


 深夜、公爵様に呼び出された私は、冷徹な月光が不気味に石床を照らす廊下で、己の甘さと未熟さを突きつけられていた。公爵様は、私が帝国の最底辺から這い上がった育成機関『鳥籠』から送り込まれた工作員であることを、とっくに把握していた。


「死んで逃げることは許さん。その命、ユウのために使い潰せ。帝国が送る次の『鳥』どもを、あの子の視界に入る前にすべて屠れ」


 公爵様は、私の目の前に漆黒の輝きを放つ魔導具『黒曜石の双翼』を投げ出した。

 それはヴァルゼイド家が極秘裏に運用する、対暗殺者用特化型魔導具だ。本邸にある『守護の儀礼盤』と対になっており、装着者の周囲に明確な殺意を持つ者が潜伏・侵入した際、装着者の脳内に直接、敵の数と位置をノイズとして叩き込まれる。

 さらに、この魔導具には強力な遮音・隠蔽の術式が組み込まれていた。発動中、装着者が放つ打撃音、骨の砕ける音、そして敵の断末魔に至るまで、半径数メートル以内のあらゆる不浄な音を真空の如き無響空間へと封じ込める。主君の耳を汚さぬための血塗られた配慮。

 同時に、感知と同時に装着者の精神リミッターを解除し、魔力を直接神経系に流し込むことで、肉体の限界を超えた反応速度を引き出す最強の武装としても使われる。


「……ミラと言ったか。貴様がこの地を狙う羽虫どもを完全に屠り、その忠誠を証明した暁には、ユウの手から真の証を授けさせよう。それこそが、お前が闇の中からあの子に仕えるための真の誓約となる」


 私はその言葉に震えながら、漆黒の『黒曜石の双翼』を拾い上げ、祈るように胸に抱いた。この証を手に、いつかユウ様の手で真の誓約が果たされるその時まで、私は私を殺し、完璧な影として全ての敵を排除することを誓ったのだ。




 ――数日後の放課後――


 ユウ様は学園の中庭、夕陽が琥珀色に染め上げるガゼボで設計図を広げていらっしゃった。私はその数歩後ろで、穏やかな風に髪をなびかせながら控えていた。

 しかし、ふとした瞬間、懐に隠し持った『黒曜石の双翼』がドクン、と不気味な脈動を始めた。


(……チッ、始まったか。脳に直接響くこの不快なノイズ……人数は五人か。クソ共が、あのお方の清らかな時間を邪魔してんじゃねぇよ)


 その時、ガゼボの入り口を塞ぐように、リーゼロッテ様が音もなく現れた。

 彼女は暗殺者の気配に気づいたわけではない。最近、私が見せる庭師の助手としては不自然な鋭い視線や、時折見せる公爵様との密談を怪しみ、私を疑って目を付けていたのだろう。


 リーゼロッテ様は私と視線を合わせると、扇子で口元を隠し、冷徹な瞳で私を射抜く。彼女は私の正体を確信したわけではないだろうが、この場に不測の事態が起きようとしていることを察し、ユウ様の前に盾として立ちはだかったのだと思った。


 ユウ様が「えーっと、あの資料、どこに置いたっけ……」と、残された右手を鞄の中へ動かされた。


 その瞬間、リーゼロッテ様がパサリと扇子を広げた。

 それは、『ここで何か仕出かすなら、完璧にやってのけなさい。ユウ様に気づかせるような不手際は許しませんわよ』という、冷酷なまでの指令のようだった。

 彼女はわざとユウ様に話しかけ、その意識を自分へと引きつける。


(……上等よ。お嬢様のご期待通り、一匹残らず掃除してやるわ!)


 『黒曜石の双翼』が脳内に座標を叩き込む。筋肉が鋼のように引き締まり、視界が極限まで加速する。私は影となって跳躍した。


 まず、屋根裏の梁へ。

 潜んでいたのは、かつての私の教官格だった男だ。私は空中で身を捻り、重力を無視した軌道で彼の腕の関節を逆方向に蹴り折った。バキリ、という破壊音は、魔導具が展開する無響の領域に吸い込まれ、数歩先のユウ様の耳に届くことはない。男が悲鳴を上げようと口を開くより早く、私はもう片方の手で彼のうなじを正確に打ち抜いた。


 地上へ舞い降り、茂みから飛び出そうとしていた三人の残党に対し、加速を緩めず突っ込んだ。

 先頭の一人は、帝国でも屈指の抜刀術を誇る男だった。彼が剣を抜こうと指をかけた瞬間、私はその鞘を左足で踏みつけ、抜剣を封じる。驚愕に目を見開く彼の顔面に、右手の暗器を深々と突き立てた。


 最後の一人は、瀕死の重傷を負いながらも、ユウ様の背中を目掛けて最後の一振りを投じようとしていた。私は地面を蹴り、弾丸のような速度で肉薄する。男の腕を根元から踏み砕き、その顔面をガゼボの柱に叩きつけた。

 凄まじい衝撃が走ったはずだが、『黒曜石の双翼』が展開する防音術式により、ユウ様には、穏やかな夕暮れの風の音しか聞こえていない。


(ゴミクソ野郎がっ。あのお方に触れようとしたその指、一本残らず粉々にしてやる!)


 執拗なまでの追撃で息の根を止め、私は周囲を見渡す。絶命。かつて肩を並べていたはずの『鳥』たちは、今や私の足元に転がる不浄なゴミに過ぎない。


 私が最後の一人を始末したのと同時に、リーゼロッテ様が背中越しに指先で合図を送った。彼女が事前に待機させていた公爵家の警護兵たちが現れ、一言も発さず死体と血痕を回収し、霧が晴れるように消え去った。


 私は大きく深呼吸をし、肺に残る鉄の匂いを吐き出す。乱れた髪を指で整え、表情をいつもの庭師の助手へと無理やり作り替えた。心臓はまだ早鐘を打っている。すぐ目の前にいる、汚れなき主君への畏怖と愛着が、私を震わせていた。


「ミラさん、どうしたの?顔が赤くなっているよ」

 ユウ様が鞄から顔を上げ、不思議そうに私を見つめた。凄惨な殺戮が数メートルの距離で行われていたことなど、微塵も気づいていない清らかな瞳。私は慌てて視線を落とし、膝を突いた。


「……いえ、少し風が強かったものですから」

「そうかな?あっ、そうだ。これ、受け取ってくれるかな」


 ユウ様は、鞄の奥から小さな箱を取り出した。中には、漆黒の極細鎖で作られた美しい魔導具『影翼の鎖(えいよくのくさり)』と呼ばれている物が入っていた。


「父様からミラさんに渡してほしいって頼まれてたんだ。ミラさんを信じているなら、『専属騎士の証』として、僕自身の手でこれを着けてあげてほしいって。ミラさん、これからも僕と一緒にいてくれる?」


 ユウ様の声には、純粋な願いだけが込められていた。

 ユウ様は知らない。これが主君への背信を禁じ、魂を永続的に同調させる絶対契約の呪印であり、致命傷から肉体を繋ぎ止める代わりに死ぬまで影として縛り付ける重い鎖であることを。公爵様は、あえて『専属騎士の証』という言葉で、ユウ様にこの重責を預けたのだ。


「……はい。喜んで。ユウ様がいらっしゃる場所こそが、私の世界のすべてですから」


 ユウ様は嬉しそうに微笑み、右手をゆっくりと私の首元へ伸ばされた。

 ユウ様は左腕が自由でないため、右手の指先で丁寧に『影翼の鎖』を扱い、私の首に回してマグネット式の留め具をカチリと合わせた。


 指先が首筋に触れる。その温もりだけで、私の汚れた魂が浄化されるような感覚に陥る。鎖が繋がれた瞬間、私が懐に隠し持っていた『黒曜石の双翼』と首元の『影翼の鎖』が互いに共鳴を始め、魔力を帯びて二つの波長が完全に重なり合う。

 二つの魔導具が一つに融け合うように私の神経へ深く接続され、ユウ様の存在をより鮮明に、鼓動の一つ一つまで近くに感じる。


(……あぁ、最高っ!この感覚、この支配。私は、このお方の影。このお方の視界を汚す奴は、国だろうが神だろうが、私が一人残らず地獄に送ってやる!)



「ありがとうございます。一生、大切にいたします」


 私は深く膝を突き、主に忠誠を捧げた。

 ユウ様を汚す奴は、ひとり残らず私がこの手で消し去ってやる。

 私は貴方様の足元で、誰よりも鋭い牙を剥く番犬であり続けます。


 ありがとうございます、私の愛しい愛しい主様。

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