第074話 三王の密談
王宮の最深部、限られた者しか入室を許されない国王の私室『紫紺の間』では、王国の運命を、そして一人の少年の未来を決定づける極秘の会合が開かれていた。
部屋を照らすのは、暖炉で爆ぜる薪の炎と、魔導灯の淡い光のみ。
そこには、この王国の頂点に君臨する三人の男たちが、円卓を囲んで座していた。
現国王エドマンド。
その実弟であり、王国最強の武力と権威を誇るヴァルゼイド公爵ガルド。
そして、次代を担う王太子ウィンザー。
この三人が公的な立場を捨て、私的な家族として膝を突き合わせる時、それは常にユウという存在を巡る、歪で深すぎる愛の議論が行われる時であった。
「……ガルドよ。改めて礼を言おう。お前の息子、ユウは、私に王としての愉悦を思い出させてくれたよ」
国王エドマンドが、ヴィンテージの赤ワインを揺らしながら、感嘆の入り混じった溜息をついた。その瞳には、かつて名君と呼ばれた彼ですら制御しきれないほどの熱が宿っている。
「あの謁見の間で見せたあの子の立ち振る舞いは、もはや芸術の域だった。ベルシュタイン、ロドリック、そしてヴァレンタイン。あの中立派の要石どもを、一度の奏上で完璧に粉砕し、絶望の底から救い上げるという形を持って、これ以上ないほど強固に王族派へと繋ぎ止めた。あれは単なる若者の機転ではない。人の心を支配し、利害を編み上げ、国という巨大な盤面を意のままに操る、支配者の天性だ。我が先祖の英雄王ですら、あの歳であれほど無慈悲で美しい手際を見せはしなかっただろう。あの子は、この王国を統べるために生まれてきたのだと確信したよ」
エドマンドの言葉は、愛する甥への純粋な賞賛に留まらない。その器を絶対に逃してはならないという、支配者としての冷徹な独占欲が透けて見えていた。
「兄上、勿体なきお言葉にございます」
ガルド・ヴァルゼイドが、穏やかな、しかしどこか誇らしげな微笑みを浮かべて応えた。その背筋はいつになく伸び、息子を褒められたことへの愉悦が、隠しきれない色気となってその身を包んでいる。
「ユウは少々、謙虚が過ぎるところがありましてね。本人はあれだけの偉業を成し遂げながら、ただただ、友人を助けたいという一心で動いたと本気で信じ込んでいるようです。無意識のうちに支配の王道を進み、そして無自覚に周囲を跪かせている。あの子のそういう無垢で、かつ計算高い一面すら内包した美しさが、私は愛おしくて堪らないのです。兄上、私はあの子を、誰の手にも触れさせたくない」
ガルドの言葉には、息子への狂おしいまでの愛と執着が滲んでいた。彼にとって、ユウが他者を圧倒し、支配下に置くことは、ユウという至宝に相応しい装飾を施しているに過ぎない。そしてその宝石を収める箱は、自分たちの手の中にしか存在しないのだ。
「父上、叔父上。私も同じ思いです」
二人の怪物に割って入ったのは、ウィンザーである。
彼は従弟であるユウを、もはや一人の人間としてではなく、至高の神として崇めている節があった。
「ユウが今回手に入れた三つの力。ベルシュタインの武威、ロドリックの軍事基盤、ヴァレンタインの技術。これらはユウという個人のためにこそ運用されるべきです。私は、父上に提案したい。あの子が奏上した流路計画を隠れ蓑にし、あの三家とその子息たちを、事実上のユウ専用近衛騎士団として再編・固定すべきです。学園での護衛はもちろん、休日の移動、果ては私生活の細部に至るまで、彼らが二十四時間体制でユウを包囲し、守護する。それは外敵を阻む鉄壁の盾であると同時に、ユウが我々の手の届かぬ場所へ、孤独を求めて羽ばたこうとするのを防ぐ、生きた鎖となります。彼らがユウを愛し、崇めるほど、その鎖はより強く、より甘美なものになることでしょう」
ウィンザーの提案に、国王エドマンドが低く笑い、満足げに頷いた。
「良いな。ウィンザー、お前がユウのために玉座を空ける準備をしているのは知っている。私もそれに異論はない。あの子ならば、この王国の歴史を次の次元へと引き上げるだろう。法も、伝統も、すべてはユウが心地よく過ごすための道具に過ぎん。ガルドよ、お前の屋敷は少し狭すぎるのではないか?これからは、この王宮そのものを、あの子の新しい子供部屋として整えようではないか」
「兄上、それは素晴らしい提案だ。ユウは少しばかり、表舞台から退き、穏やかな生活を送ることを夢見ている。ですが、あの子はまだ理解していない。自分がどれほど我らに必要とされ、愛され、そして逃げ場がない存在であるかを。我々家族の務めは、あの子にそれを教えてやること。あの子がどこへ行こうと、何を見ようと、そこが我々の愛に満ちた檻の中でしかないということを」
ガルドが、有無を言わせぬ重みを持って言い切る。
国王、公爵、王太子。
血を分けた三人の支配者たちは、暖炉の火に照らされた影を床に一つに重ねながら、ユウという名の聖域をどう守り、どう縛り上げるかという詳細な計略を練り上げていく。
王国の法を、ユウの都合に合わせて塗り替える。
三家の忠誠を、ユウを監視する目として機能させる。
学園という場所すらも、ユウが『自分は自由だ』と錯覚するためだけの、精巧に作られたセットへと作り変えていくのである。
「これより、この王国はユウのための庭となる。あの子が望もうと望むまいと、一歩足を踏み出せば、そこには必ず我々の息のかかった忠義者が控えている。誰一人として、ユウに不自由な自由など与えはしない。孤独も、隠居も、我々の許可なくしては叶わぬ夢だ」
エドマンドが宣言し、三人は無言のまま杯を合わせた。
そこに漂うのは、あまりにも純粋で、あまりにも重すぎる親愛の形である。
それは、ユウという少年が願った平穏という夢を砕き、永遠の支配で縛り付けるものだった。
翌朝、公爵邸の自室で目覚めたユウは、窓から差し込む柔らかな光を浴びながら、昨夜の成功を噛み締めていた。
これでしばらくは安泰だ。友人たちも救われ、自分の立場も盤石になった。
そう信じているユウの部屋の扉が静かに開く。
目を向けると、穏やかにほほ笑んでいる父親であった。
「おはよう、ユウ。昨夜はよく眠れたか?陛下もウィンザーも、君の将来を心から案じておられたよ。あぁ、そんなに驚かなくていい。彼らも君のことが大好きなだけなんだ」
父様はユウの側に寄り添うと、その髪を慈しむように撫でた。
「さあ、朝食に行こう」
父様の差し出した手の温かさ。その感触が、昨夜の密談によってさらに強固に、重く作り変えられた王国という名の檻の最初の一歩であることに、ユウはまだ気づいていないなのである。
ブックマーク、評価をお願い致します。
レビュー、感想等もお待ちしております。
誤字、脱字等がありましたらご報告をお願い致します。




