第072話 祝宴
謁見の間を辞し、重厚な扉が地鳴りのような音を立てて閉ざされた。
白銀の甲冑に身を包んだ近衛騎士たちが、冷徹な槍を構えて整列する回廊。その静寂を抜けて、俺たちは先ほどまで待機していた客室へと戻った。
「……ッ、はぁ……ッ!生きている、私はまだ、生きているぞ……ッ!」
アルフォンス・ベルシュタイン先輩は、客室の長椅子に倒れ込むようにして深く沈み込み、激しい安堵の溜息と共に過呼吸に近い声を漏らした。
かつて彼が独りで背負っていた家門の停滞、そして『名ばかりの名門』と指差されてきた歳月が、次代筆頭魔導師という確固たる称号によって今、報われたのだから。
膝の上で固く握られた拳は今なお白く震えていたが、それは恐怖ではなく、己の力がついに歴史を動かしたという武者震いにも似た高揚であろう。普段の冷静な仮面の裏に隠されていた、一人の魔導師としての矜持が、その激しい呼吸のたびに漏れ出しているようだった。
カイル・ロドリックもまた、直立不動の姿勢をようやく解き、壁に背を預けて深く肺に酸素を送り込んだ。
軍人として、そして家門の財政を憂う嫡男として、彼はこれまで一度も弱音を吐かずに戦い続けてきた。度重なる軍備への私財投入により、実家が崩壊寸前であったことは、彼にとって『誰にも悟られてはならない軍機』と同じ重みを持っていたはずだ。だが、新設水路の徴税権という巨大な経済基盤を陛下から直接付与された今、彼の肩からどれほどの重荷が下ろされただろうか。平時の冷静さを必死に取り戻そうとする彼の表情には、家門の存続を賭けた戦いを終えた者の勝利の光が宿っている。
メアリ・ヴァレンタインは、自由を勝ち取ったという実感が、あまりに巨大な衝撃となって脳を揺らしたのか、その場に膝をつき、自身の細い肩を抱いて震えていた。
彼女が直面していたのは、ただの望まぬ縁談ではない。自らの設計技術を餌に、家門そのものを貪り食おうとする巨大な上位貴族の害意であった。それを王命という至高の裁断によって一撃で粉砕されたのだ。目に見えぬ鎖が千切れた感触を噛み締めるように、彼女は何度も自分の手を見つめては、溢れる涙を拭おうともせず、自由という名の空気を必死に吸い込んでいる。
そこに、各家の父親たちが、堰を切ったようになだれ込んできた。部屋の扉が閉められ、王宮の喧騒から隔絶された瞬間、張り詰めていた空気は一気に安堵の熱狂へと変わった。
「アルフォンス!よくやった!よくぞ、よくぞ我がベルシュタインの名を、この王国の歴史に消えぬ楔として打ち込んでくれた!」
ベルシュタイン侯爵は、愛息を壊さんばかりの勢いで抱き寄せ、その両肩を掴んで激しく前後へ揺さぶった。アルフォンスは、父のその喜びに満ちた顔を見て、ようやく自分が家門を救ったのだと確信したようだ。
カイルの父、ロドリック伯爵も、軍服に深い皺が寄るのも構わず息子を叩き、
「貴様、ロドリックの歴史を塗り替えおったな!」
と、誇らしげな瞳で叫んでいる。資金不足という泥沼に喘いでいた武門の名家に、新たな息吹が吹き込まれた瞬間なのだ。
メアリの父、ヴァレンタイン子爵にいたっては、娘を抱きしめながら、嗚咽を漏らして泣き崩れていた。
「婚姻は白紙だ、我が家は救われたのだ……!メアリ、よく……、よくぞ耐えてくれた!」
上位貴族からの不当な支配から逃れた父娘の姿は、悲痛なまでの安堵に満ちている。
そんな家族の再会を、穏やかで慈愛に満ちた眼差しで見守っていた。
父様は俺の頭を優しく撫でると、一歩前へ出て、三人の家長の方へと和やかに歩み寄った。
「ベルシュタイン侯爵、ロドリック伯爵、そしてヴァレンタイン子爵。貴公らの子息の働き、実に見事であった。我が息子、ユウがこの困難な職務を完遂できたのは、ひとえに彼らという得難い友が、その知恵と勇気をもって支えてくれたからに他ならない。ヴァルゼイドを代表して深く感謝する」
その低く、重厚ながらも温かみのある声が響いた瞬間、三人の家長は驚きに目を見開き、そして感激に打ち震えながら深く頭を垂れた。王国最強の公爵が、一介の貴族である自分たちに対し、対等な協力者として謝意を示したのだ。
「公爵様!勿体なきお言葉にございます!どうか、頭をお上げください!息子らこそ、ご子息様という偉大なる光に導かれ、多大なる褒賞を賜りましたこと、生涯の誇りとなることございましょう!」
父様は満足げに頷き、彼らの肩を一人ずつ軽く叩いた。
「これからは家族同士の付き合いも増えるだろう。ユウの友の親として、貴公らとも良き関係を築けることを願っている。今夜の祝宴では、彼らの功績を存分に称えてやってほしい。私も息子を支えてくれた君たちと杯を交わせることを楽しみにしているよ」
――――
数刻後。王宮の主賓舞踏会場は、黄金のような輝きと、芳醇な香りに支配されていた。
広大な会場の天井からは、数千もの魔導灯が星屑のように煌めき、最高級の絨毯が歩くたびに微かに沈み込む。
アルフォンス先輩は、以前の活気を取り戻し、群がる令嬢たちを軽妙ながらも知的なトークでいなしていた。彼は決して道化ではない。ベルシュタイン家が王立魔導院との太いパイプを得たことを、高位貴族たちにこれでもかと印象付けるための、極めて高度な外交を展開しているのだ。
カイル・ロドリックは、技術官僚や大商会の主たちに囲まれながら、新設流路の設計思想や今後の利権運用について、冷徹なまでの正確さで議論を戦わせていた。実務を重んじるロドリック家の一員として、彼は現状を正確に把握し、家門の利益を最大化させるための最適解を導き出そうとしているのだ。
メアリ・ヴァレンタインは、夜空を映したような深い青のドレスを纏い、舞踏の輪に加わっていた。自由を勝ち取った一人の女性としての凛とした美しさは、会場に集った社交界の花々を圧倒し、多くの貴族たちがその変貌ぶりに目を見張っていた。
新たに『ヴァルゼイド公爵家特派監察官』として公認されたリーゼロッテは、漆黒のドレスに身を包み、俺の斜め後ろに影のように控えていた。華やかな祝宴にあっても、彼女の鋭い視線は常に俺の動向を追い、打算を持って近づこうとする不届きな者たちの前に鉄壁の如く立ちはだかっている。
俺は、ワインを一口含み、眼下に広がる祝宴の光景を見渡した。
「ユウ、そんなに離れたところで何を見ているんだ?ユウがこの宴の主役なのだぞ。さあ、こちらへおいで。リーゼロッテも一緒にくればよい」
従兄である王太子ウィンザーが、美しく整えられた正装を翻して近づき、誇らしげに俺の肩を抱いた。彼は自身が認めた唯一の親族としての親愛を隠そうともせず、主役である俺をさらに華やかな輪の中心へと導こうとする。
その賑わいの少し先では、父様がベルシュタイン侯爵、ロドリック伯爵、そしてヴァレンタイン子爵ら家長たちと円卓を囲んでいた。
普段の冷徹な鉄血公の仮面を脱ぎ捨て、一人の友の親として、彼らと楽しそうに酒を酌み交わしている。時折、彼らが語る息子の武勇伝に声を立てて笑い、自らも俺の活躍を誇るようにグラスを傾けるその姿は、周囲の貴族たちが驚愕のあまり沈黙するほどに温厚で、慈愛に満ちたものであった。
そんな屈託のない笑顔を見たことがない貴族が多いからである。
この清潔で美しい祝宴の光景こそが、俺が求めていたものだ。
しかし、その輝きが強ければ強いほど、俺を囲い込もうとするヴァルゼイド家という名の檻もまた、より美しく、より逃げ場のないほど強固に、俺の運命を縛り上げていくのだろう。そう感じている自分がいた。
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