第070話 粛正
王宮の広大なる謁見の間。そこは本来、国家の慶事や外交の儀礼を行うための荘厳な空間である。だが、今宵は冷徹なまでの断罪の気が満ちている。
玉座に深く腰を下ろした国王エドマンド・ヴァルゼイドの前には、地下の大排水回廊から引きずり出された泥にまみれた不浄の山々が積み上げられている。
それは、ユウが新設流路を稼働させたことで剥き出しとなった、水利組合の罪の結晶である。
偽造された玉璽が押された公文書、王室の紋章を塗り潰した金塊の箱、そして代々の汚職を克明に記した裏帳簿が、無慈悲に曝け出されている。
エドマンドは、その不浄な証拠の群れを、冷徹な双眸で見下ろしていた。その傍らには、すでに剣を抜き、感情を削ぎ落とした彫像のように佇むガルド・ヴァルゼイドの姿がある。
「これらが、余が統治する都の真の姿であったか……。水路の維持管理費として国から多額の予算を引き出しながら、実際にはろくな清掃や補修を行っておらんようだな。その差額を裏帳簿につけて私物化とはな。その淀みの中で自分たちだけが肥え太ることに執心していたということか」
エドマンドの声は、高い天井に反響し、地下の澱みさえも凍りつかせるような冷気を帯びていた。
玉座の前に跪かされた水利組合の貴族たちは、その場に崩れ落ちた。もはや弁明の余地など、この謁見の間のどこにも残されてはいなかった。目の前に転がる金塊の一つ一つが、彼らの首を絞める絞首刑の縄に等しかったからだ。彼らは震え、泥にまみれた膝を突き、声にならぬ絶望を瞳に湛えるしかない。
「ガルドよ、命じる。これより、一切の情けを排した浄化を開始せよ。この地下の泥と共に、都の膿をすべて掻き出せ。余の庭を汚した害虫どもに、二度と陽の光を拝ませるな」
エドマンドの冷酷な宣言に、ガルドは音もなく跪き、深い恭順を示した。
「御意。地下に沈んでいた不浄は、今この瞬間をもって根絶いたします。彼らに関与した一族、家臣、そしてその血脈に至るまで、王宮の歴史から一字残らず抹消いたしましょう。末子が、この穢れた地盤の上に立ち続ける必要がないよう、私が責任を持って清掃を完遂いたします」
ガルドの言葉に含まれた熱量は、忠誠心というよりも、聖域を侵された狂信者の殺意に近い。
彼にとって、水利組合の汚職とは単なる政治的犯罪ではない。ユウが心血を注いで設計し、密かに完成させていた新地下水路を、その汚泥によって汚してしまったからである。ガルドの脳裏には、先ほどまで地下で頑張っていた愛息の姿が焼き付いている。その努力を台無しにした者たちへの怒りは、すでに人間としての理性を超えていた。
直後、静止していた精鋭騎士たちが、機械的な冷酷さで動き出した。彼らが手にする槍の穂先は、魔物を狩るためのものではなく、罪人を追い詰めるための壁へと変わる。
「お待ちください!陛下!私は……、私はただ、先代からの慣習に従っただけで!悪意はなかったのです!」
一人の貴族が、泥にまみれた公文書を掴み、狂乱した様子でエドマンドの足元へ這い寄ろうとした。
だが、その指が王の壇上に触れる前に、ガルドが、その男を大理石の床に叩き伏せた。グシャリと嫌な音が謁見の間に響くが、ガルドは眉一つ動かさない。
「不浄な手で、陛下に触れるな。そして、この空間をこれ以上、貴様らの見苦しい声で汚すな。ここにある証拠の一つ一つが、貴様らの家門を灰にするための十分な呪いとなるのだ」
ガルドの瞳には、憐れみなど微塵も存在しなかった。
拘束は瞬く間に行われた。泣き叫び、許しを乞う貴族たちは、精鋭たちの手によって、家畜のように引きずられていく。彼らが向かう先は、もはや日の当たる牢獄ですらない。国家反逆の罪による処刑場であった。
地上では、王太子ウィンザー・ヴァルゼイド率いる騎士団による大粛清が同時に開始されていた。
ウィンザーは父王から授かった全権を背景に、淀みのない指揮で都の闇を切り裂いていく。水利組合に関連する有力貴族の屋敷は、真夜中にもかかわらず次々と包囲され、一切の抵抗を許さぬまま制圧されていく。重厚な門扉が斧で叩き割られ、華やかなシャンデリアの下で、昨日まで権勢を誇っていた者たちが這わされる。
「ひとりも逃すな。すべての帳簿、すべての連絡網を確保しろ。ユウが暴き出したこの糸口を、一本たりとも無駄にはさせん。これこそが、我が従弟が身を削って作り上げた機会なのだ!」
ウィンザーの冷徹な命令が夜の静寂を切り裂く。
没収された財産、焼き払われた系図、そして闇に葬られた関係者の数は、一晩で数百名に及んだ。王都の夜空には、焼却される汚職文書の灰が、まるで雪のように舞い散る。
謁見の間では、エドマンドが玉座から立ち上がり、ガルドと共に階下を見下ろしていた。その足取りは重くも、確固たる意志に満ちている。背後では、文官たちが次々と運び込まれる証拠品を、一切の不備なく記録し、整理していた。彼らの作業は、明日からの裁判という名の公開処刑に向けた完璧な準備であった。
「ガルド。今回の件、ユウの功績は……」
「まだ何も考えておりません」
エドマンドは深く、静かに頷いた。
「あの清らかな子に、この血生臭い粛清の報告は不要だ。救世の功績は考えておく。泥の中の罪人はお前が屠れ。良いな」
「はっ」
こうして、王都を支えていた腐敗した階級は、一晩のうちに跡形もなく消滅した。明日、市民たちが目にするのは、驚くほど澄み渡った水路と、昨日まで王宮で威張っていた貴族たちが忽然と姿を消した世界である。人々は、王家の権威が再び盤石になったことを称えるだろう。
だが、その清潔な世界の裏側には、血に濡れたガルドとウィンザーの手、そして不都合な真実をすべて流し去った、冷酷なまでの粛清が存在していた。救世主の知らないところで、王都は浄化という名の、凄惨な新生を遂げたのだ。
浄化の嵐は、王宮内に留まらず、都の隅々にまで波及した。水利組合と結託していた商人たち、賄賂を受け取っていた下級役人、それらの情報を売っていた情報屋ども。
ガルドが放った追手は、それらすべてを害悪として処断していく。ユウが守ってくれた美しい都を二度と汚させない。その使命感が、王家、そしてヴァルゼイド公爵家の兵たちを突き動かすのだった。
夜が明け始める頃、王都を囲む城壁の外では、運び出された死体と機密文書が巨大な炎となって燃え上がる。
ガルドは自らの屋敷への帰路、馬車の中で血の付いた手袋を脱ぎ捨てた。彼の表情には、大仕事を終えた安堵ではなく、これから対面するであろう愛息に対する保護欲だけが浮かんでいた。
一方、王宮の執務室に戻ったウィンザーは、ゼノンやサリアからの報告書を手にしていた。彼らもまた、それぞれの領分で地下組織の掃討を終えていた。報告書の末尾には、共通して一言だけが記されている。
――すべては、ユウのために――
王族と公爵家が一体となり、一人の少年の功績を歴史から抹消し、代わりに絶対的な保護という名の檻を完成させる。地下の膿が消えた後の王都は、昨日よりも遥かに美しく、そして遥かに残酷なほど、ユウ・ヴァルゼイド一人に対する執着で満たされていた。
こうして、王都の浄化は終了した。だが、それは新たな管理の始まりに過ぎないだろう。ユウが意図した救済は、彼を取り囲む者たちの過保護によって、より深く、より密室的な依存へと変質していくのだ。都の空気が澄めば澄むほど、ユウの周囲の檻は、逃げ場のない愛の形を成していく。
夜明けの光が王宮の尖塔を照らす中、エドマンドは、謁見の間に漂う死の残り香を払うように窓を開けさせた。
エドマンドはただ一言、風に乗せるように呟いた。
「これでよいのだ。あの子が望んだ清潔な都を、あの子に代わって余たちが守り抜く。そのためならば、この手を幾度血に染めようとも厭わん」
王都を揺るがした地下の動乱は、こうして幕を閉じたのであった。
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