第069話 地下に沈む腐敗
王都の最下層、陽の光も歴史の光も届かぬ場所には、大排水回廊と呼ばれている場所がある。
湿り気を帯びた空気にはカビと鉄錆、そして濃密な魔力的な澱みが混じり合い、呼吸をするだけで気分が悪くなる。
背後には、父様が直々に招集した王国の精鋭工兵連隊が、重厚な鎧の擦れる音一つ立てず、ビシッと整列している。彼らの視線は作業場ではなく、俺を一点に見つめている。それは、俺の護衛のためである。
さらにその後方には、この工事の完遂を不都合とする水利組合の貴族たちが連れてきた私兵たちが、剥き出しの敵意を俺達に向けている。彼らは、俺たちがこの地の封印を解くこと
を以上に恐れている。多分だが、長年の不正の証拠が見つかることを恐れているようだ。その焦りが、重苦しい緊張感として場を支配していた。
確かに高貴な身分である騎士や文官は、好んで泥にまみれた地下へは入らない。ましてや水底をさらうような真似は、誰もが嫌悪する作業である。
水利組合の貴族たちは、その名の通り、水路の管理者なのだ。その知識は、どの流路にいつ水が流れ、どこが溜まり場になるのかを完璧に把握している筈だ。自分たちが管理する場所であれば、臨時の検分があっても事前に細工をしたり、場所を移したりすることが容易なのだろう。
そこまで、俺達の妨害をしようとするのは、ここに大事な物が隠していると言う事であり、それを見つけられたくないからなのだろう。
「ユウ様、各地点に配置した魔導端末の同期、完了いたしました。魔力波形は安定しています。ですが、地下の流圧が予想を超えています。本当にやるのですよね?ここを開放すれば、地下に巣食う掃除屋たちが一斉に襲ってくることでしょう」
リーゼロッテが、今にも泣き出しそうな顔で訴えてくる。
――掃除屋――
それは、この閉鎖された大排水回廊に長年閉じ込められ、王都の排泄物や死体を喰らって異常進化を遂げた魔物たちのことである。飢餓に狂った彼らにとって、水門の開放は新たな餌の到来を意味する。彼女の震える手は、俺の服の袖を掴もうとして空を切る。
「大丈夫だ、リーゼロッテ。この国の膿は物理的にも政治的にも、今日すべて洗い流す必要があるんだ。今止めれば王都は内側から腐り落ちるんだ。アルフォンス先輩、カイル、メアリ。準備はいいかな?臆するなよ」
アルフォンス先輩が、青ざめた顔で特製の魔導触媒を握りしめ、上擦った声を絞り出した。彼の瞳には恐怖が色濃く映っている。
「……ああ。ヴァルゼイド君。計測器の数値は狂っているが、君の計算を、君の論理だけを信じるよ。だが、君に万が一のことがあれば、私は生涯自分を許せないだろう」
その隣では、身の丈ほどもある大剣を肩に担いだカイルが、周囲の私兵たちを獣のような鋭い眼光で威嚇しながら不敵に笑う。
「おう、任せとけ!掃除屋だか何だか知らねえが、化け物が何百匹出ようが俺が肉壁になってやるよ。ユウに指一本触れさせねえ!安心しろ!」
さらにメアリが、使い込まれた魔導杖を胸に抱えながら、必死に声を張り上げた。
「防御結界、展開準備完了!」
仲間たちの言葉は心強い。
だが、その内容はどこか盲目的なまでの過保護さが感じられる。彼らにとって、王都の救済という大義以上に、俺を傷一つなく保護することに全神経が注がれている。
「これより、緊急排水および流路切り替えを断行する。全員、足場を固定しろ。水門、開放せよ!」
俺は錆びついた巨大なレバーに手を添えた。表向きは工兵たちが一斉に魔力を込める合図だが、俺は誰にも悟られぬよう、内なる理を静かに励起させる。パサージュの鍵、『虚数解の左腕』を差し込み回す。
パサージュの鍵が、世界の因果を直接掴み取る。俺の視界の中で、錆びつき固着した水門の『動かないという現在』が歪み、書き換えられていく。
世界の理を書き換える不条理な力が、数万トンもの水圧を無視して水門を力ずくで跳ね上げた。刹那、轟音と共に黒ずんだ濁流が溢れ出す。それと同時に、水門の奥の暗闇から、無数の不気味な複眼が赤く光りだす。掃除屋の筆頭格、巨大な多足型の魔物ドレインクロウラーの群れが、濁流と共に姿を現したのだ。
「全員、迎撃開始!」
「させねえ!おらぁー」
カイルの咆哮と共に巨大な大剣が旋風を描き、襲い来る魔物たちの硬質な甲殻を次々と粉砕していく。
アルフォンスの魔導触媒が眩い光を放ち、精鋭工兵連隊の長槍と盾が一斉に前進して、魔物の波を鉄の規律で食い止める。
メアリの結界が、跳ねる汚泥や魔物の体液から俺を完全に遮断し、仲間と精鋭たちが一体となって掃除屋の群れと死闘を繰り広げている。
「貴様ら!何の権限があって我らの管轄を荒らすか!排水を止めろ!殺しても構わん、我らの財産を守れ!」
水利組合の貴族たちが逆上し、私兵をけしかけて俺に詰め寄ろうとする。
その行く手を遮り、アルフォンス先輩が魔導触媒を高く掲げ、地下回廊に響き渡るほどの大声を張り上げた。
「公爵令息の御前である!無礼は控えよ!」
その一喝に呼応するように、精鋭工兵連隊が魔導盾で私兵たちの進路を物理的に遮断する。
先輩の鋭い警告と連隊の威圧感に、私兵たちは気圧され、成す術なく壁際へと押し込められていく。
父様は一言も発さず、ただ冷徹な眼差しで、自分たちが守ろうとした汚職の証拠が流れる様子を見て震える貴族たちを見据えていた。その静寂は、後の凄惨な粛清を予感させるに十分だった。
「ユウ、あまり無理をするな。お前がその繊細な体で不浄な者たちと対峙するのを見るだけで、私の胸は裂けるように疼くのだ。あとの汚れ仕事はすべてこの私が引き受けよう。お前はただ、完成した美しい都の図面だけを見ていればいい」
父様の肩を抱きしめるその手からは、俺を世界の不浄なものから隠し通したいという感情が熱を持って伝わってくる。
「……流路、切り替えろ!」
俺は父様の横をすり抜け、内なる理をさらに加速させる。俺の視界には、すでに極秘裏に完成させていた新設路への導線がはっきりと見えている。
奔流は意志を持った巨大な龍のようにうねり、既存の腐敗した旧水路から俺が密かに設計・建造させておいた強固な新設水路へと吸い込まれていく。堆積していた泥が剥ぎ取られ、露出した地下の底には、横領の証拠たる金塊の箱や、偽造された公文書、それに加えて崩落寸前だった王宮の直下にあるはずの支柱が、無慈悲な姿で転がっていた。
「……見てください。これが、この都を支えていたものの正体です」
俺の声が反響する地下回廊に響き渡る。貴族たちも、地盤のあまりの脆弱さに顔を青白くして呆然としていた。工事が完了し、ホッと息をつく。その極限の緊張から解放された俺の視界が、かすかに暗く揺らいでしまった。
「ユウ様!大丈夫ですよ。あなたはもう、十分になさいました。さあ、エレイン様の待つ、温かいお屋敷へ帰りましょう」
リーゼロッテに抱きかかえられ、俺の体は冷たい地下から引き上げられた。
王都を救うための一歩を刻むたびに、俺の活躍は父様たちの手によって塗り替えられ、俺は再び、何一つできないはずの儚い公爵家の子として、過保護な日常という名の檻へと引き戻されていく。
広場の隅には、すでに豪華な馬車が用意されていた。
「汚れが……ユウ様の清らかな肌に、地下の澱みが触れてしまいました。すぐに、浄化をしなくては……」
彼女の呟きはもはや独り言の域を超え、狂気じみた叫び声のようにも聞こえる。馬車が動き出すと同時に、窓の帳が下ろされ、外界との繋がりは完全に断たれた。
新設水路は完璧に機能し、王都の物理的な崩壊は免れた。しかし、その代償は大きい。
地下で暴いた腐敗の証拠は、父様という強大な権力者の手によって、反対勢力を根絶やしにするための武器へと形を変えるだろう。
明日には、水利組合に連なる家々から悲鳴が上がるだろう。俺が救ったはずの王都は、俺への執着を糧にした新たな統治へと塗り替えられていく。
母様の待つ屋敷が見えて来た。そこは、俺にとっての安らぎの場所であり、同時に世界で最も脱出困難な監獄でもあるのだった。
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