第060話 模擬試験
ヴァルゼイド公爵邸に突如として出現した白亜の合宿棟は、冬の夜に不夜城のごとき輝きを放っていた。
国立魔導学園の専門課程試験まで、残された時間は九十日を切っている。
カイルやメアリを筆頭とする三十名の友人たちは、公爵家の全面的な支援を受け、かつてない密度で学問に没頭していた。
しかし、俺はある重大な欠陥に気づき、一人図書室でペンを走らせていた。
この計画は、今回の勉強会において最大の秘策となる。
「ユウ様、何をそんなに険しい顔で書いていらっしゃいますの?」
リーゼロッテが、夜食の差し入れを手に、心配そうに覗き込んできた。
「ああ、リーゼロッテ。これからの学習計画を見直していたんだ。君も今日はもう遅いから、早めに休んで明日の勉強に備えてほしい」
「はい、畏まりました。ユウ様もあまり根を詰めすぎないでくださいませ」
彼女自身もまたこの試験に挑む受験生の一人だ。
だからこそ、俺が今作っている模試の内容は、彼女に対しても当日まで完全に秘匿しなければならない。
こっそりとリーゼロッテにだけは教えようかとも考えたのだが、公平性を期すため、そして初見の衝撃こそが実力を引き出す鍵となるからだ。
翌日の夕刻、合宿棟の講義ホールに集まった一同を前に、俺は刷り上がったばかりの紙の束を伏せて配った。
「いいかい、みんな。今日は今までの成果を試すため、僕が独自に作成した『第一回・公爵邸模擬試験』を実施する!これはリーゼロッテ、君も例外じゃない。本番と同じ緊張感で解いてほしい」
「……ええっ!私まで試験を受けるのですか?」
驚くリーゼロッテの前に、俺は容赦なく白紙の面を上にした問題用紙を置いた。
「模試?そんなの、学園の公式試験以外に聞いたことがないぞ」
カイルが不思議そうに首を傾げる。
「ルールは簡単だ。制限時間は六十分。問題数は学園の二倍。そして、配点は今は公表しない。始めの合図があるまで、中身は絶対に見ないように」
教壇に立つ俺の言葉に、教室内の空気が一変した。
かつての保育士時代、園児たちに新しい遊びのルールを教えていた時の優しさは、今の俺の瞳にはない。
これは、彼らを確実に合格させるための試練なのだから。
「……始め!」
一斉に紙をめくる音が響き、直後、ホール全体に戦慄が走った。
「な、なんだこれ……!第一問から、前の問題の答えを使わないと解けない連動式になってる!?」
「こっちは、正しい記述をすべて選べ……?一つでも間違えたら点数にならないのかしら!?」
阿鼻叫喚の声が上がりかけるが、俺は鋭い視線でそれを制した。
「私語は慎んで!ほらほら、試験時間は刻一刻と過ぎていくよ」
友人たちは、血の気の引いた顔でペンを動かし始めた。
俺が作った問題には、前世の受験ノウハウをこれでもかと詰め込んである。
計算ミスを誘発する巧妙な選択肢、一見難解そうに見えて実は基礎的な公式だけで解けるボーナス問題、そして後半に配置された時間食い虫の超難問。
「……っ」
リーゼロッテも唇を噛み、昨日まで俺が何を隠していたのかを理解したようだ。
彼女の手は震えながらも、一歩も引かずに数式と格闘している。
一階の騒ぎを聞きつけたのか、二階のラウンジから双子の兄姉であるゼノン様とサリア様が様子を見に現れた。
「ユウ、これは一体何の騒ぎだ? まるで戦場のような緊張感じゃないか」
ゼノン兄様が剣の柄に手をかけ、室内を見渡した。
「ゼノン、騒ぎすぎよ。ユウが何か面白いことを始めているだけじゃない」
サリア姉様が横から口を挟む。
双子である二人は、互いに対しては遠慮のない、飾らない口調で言葉を交わす。
「兄様。これは、僕が考案した精神と知能の訓練です。試験という形式を借りた、一種の模擬戦だと思ってください」
「模擬戦……、だと?」
俺の説明に、サリア姉様が興味深げに手元の予備の問題用紙を拾い上げた。
「驚いたわ。この引っかけの作り方、情報の整理能力を問う構成。ユウ、あんたどこでこんな残酷な評価方法を思いついたの?」
「独学ですよ、サリア姉様」
「へえ、なかなかの性格の悪さね。でもこれ、騎士団の戦術官採用試験にも使えるわよ。ゼノン、あんたもそう思うでしょ?」
サリア姉様の問いかけに、ゼノン兄様は数分で問題を一読し、深く頷いた。
「ああ。兵士の冷静さを測るのに最適だ。極限状態での判断力がこれ一枚で暴かれる。後で父様にも共有しておくぞ」
窓の外では、ミラが影の中から、生徒たちの筆記音の乱れを感知し、体調不良者がいないか監視を続けているようだ。
彼女の結界のおかげで、外界の音は一切遮断され、室内にはペンが紙を削る音だけが満ちている。
六十分が経過し、俺は非情に告げた。
「そこまで!筆記用具を置いて。解答用紙を前へ送ってほしい」
回収された用紙は、どれも空白が目立ち、消しゴムの跡でボロボロになっていた。
自信に満ちていた友人たちの顔は、今は一様に沈んでいる。
「ユウ……。俺、半分も解けなかった。あんなの、時間が足りなすぎるだろ」
カイルが力なく笑った。
「それでいいんだ、カイル。今の君たちに足りないのは、知識じゃない。問題を捨てる勇気と、全体を俯瞰する視点なんだよ」
俺は黒板に向かい、前世で培ったテクニックを解説し始めた。
「いいかい。この第一問の引っかけは、ここにある。そして、第四問の難問は、実は解かなくても合格点には届くように配点されている。試験とは、満点を競うものじゃない。合格点を確実に勝ち取る遊びだと思えばいい」
俺の言葉に、生徒たちの瞳に再び光が宿り始めた。
「問題を捨てる……? そんな考え方、学園では一度も教わらなかったわ」
メアリが感心したように呟く。
リーゼロッテも、自分の解答用紙を見つめながら、深く頷いていた。
「ユウ様が、昨夜あんなに静かにペンを走らせていたのは、私たちが一番必要としているものを準備してくださっていたのですね」
「これからは、三日に一度は僕が作った模試を受けてもらう。この形式に慣れれば、本番の試験なんて、ただの退屈な作業に感じるはずだよ」
俺の宣言に、友人たちは戦慄しながらも、同時に言いようのない高揚感に包まれていた。
深夜、合宿棟の灯りは消えることがない。
模試の復習に励む生徒たち。
それを支える、母様が用意させた栄養満点の軽食。
ゼノン兄様が指導する、集中力を高める呼吸法。
ヴァルゼイド公爵家の総力が、一つの試験に向けて一点に集約されていく。
俺は、自分が生み出したこの異様な光景に、苦笑いを禁じ得なかった。
「……さて、次はもう少し難易度を上げた第二回を作らないとな」
ペンを握り直す俺の背後で、パサージュの鍵が微かに熱を帯びた気がした。
前世の受験戦争という名の知恵が、この異世界で最強の武器として研ぎ澄まされていくのだ。
国立魔導学園の専門課程試験の合格という目標は、もはや通過点に過ぎない。
この白亜の合宿棟から、常識を塗り替える新たな世代が羽ばたこうとするのだから。
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