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欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: スフィーダ


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第059話 爆走する過保護

 国立魔導学園の専門課程進学に向けた大勉強会が、ヴァルゼイド公爵邸で始まってから一週間が経過した。


 当初は図書室の片隅で数人が集まる程度のささやかな学習会であったが、その輪は瞬く間に広がり、今や雪だるま式に膨れ上がっていった。


 学園祭でのアスレチック建設を経て、俺を取り巻く空気は劇的に変化してしまった。

 魔力を持たぬ身でありながら、前世の知識に基づいた建築様式で次々と解決した俺の姿は、級友たちにとって、頼もしい先導者として映っているような気がしている。



 放課後、我が家の重厚な門をくぐる馬車の列は日を追うごとに長くなり、邸内は活気に溢れている。


 「ユウ! 今日も来たぞ。この間の式の展開、家で一晩中考えたんだけど、どうもこの一点が腑に落ちなくてな」

 そう言って俺の肩を叩いたのは、カイルだ。

 彼は名門の武芸の家系に生またからだろうか?学習意欲は低かった。

 だが、俺に教えて貰う日々を過ごして行くと、数学という学問の楽しさに目覚めたようだ。


 「ユウ、これ見て。これ図形問題の対策ノートなのよ。自分なりに、ユウの教えを整理してみたの」

 メアリが誇らしげに分厚い束を差し出す。


 クラスの三分の二近い人数が押し寄せている現状に、俺は嬉しい反面、少しだけ冷や汗をかいてしまう。

 公爵邸の図書室は確かに広大だが、三十人近い十代の若者が熱心に議論しノートを広げ、消しゴムの粉を散らすには、いささか静けさが足りなくなってしまった。


 「……さすがに、これだけの人数を毎日馬車で送迎してもらうのは、みんなの家にも相当な負担だろうね」

 休憩時間、窓の外を眺めながらふと漏らした俺の独り言。

 それが、この屋敷に潜む過保護な守護者たちの耳に届かないはずがなかった。


 「なるほど、ユウ。友人たちの通学時間が()()()、ということだな」

 報告を受けた父様が、重々しく頷いた。

 「ええ、父様。三か月後の試験に向けて、みんな本当に必死なんです。往復の移動時間を少しでも勉強や休息に充てられたら、もっと効率が上がるだろうなと思っただけなんですけど」

 俺が補足すると、父様は隣に座るゼノン兄様へと視線を向けた。

 兄様は待ってましたと言わんばかりに、騎士らしい鋭い動作で身を乗り出した。


 「父様の仰る通りです。ユウがせっかく最高級の教育を提供しているというのに、環境が不十分なのはヴァルゼイド公爵家の不名誉。通うのが大変なら、ここに泊まればいいだけの話です」

 「泊まるって、兄様、三十人近いのですよ?」

 「問題ない。ユウ、お前がいつも口にしている『空間の有効活用』を、我々の財力と魔導建築で体現すればいいだけじゃないか」


 俺の心に、()()()()が走った。

 この家族が問題ないと言う時、たいてい常識の枠組みは音を立てて消し飛ぶのを知っている。


 「サリア、お前は食事と生活面の管理を徹底しろ。エレイン、子供たちの栄養管理と癒やしの魔法によるサポートを頼めるか」

 「ええ、任せてくださいな。受験生の皆さんが、ユウと一緒に心置きなく学べるよう、最高の献立を料理長に指示しておきますわ」

 母様が優雅に微笑む。

 「ふふ、私は王都中の優秀な教育資料をさらに集めておきますわね。ユウが疲れないよう、補助の体制も整えましょうね」

 サリア姉様も楽しげだ。



 翌朝。

 俺が目を覚ますと、図書室の隣にある広大な中庭から、聞いたこともないような轟音が響いていた。

 「な、何、何、何……!?」


 窓を開けて絶句した。

 そこには、公爵家が抱える腕利きの魔導建築士軍団が勢揃いし、父様とゼノン兄様の直接指揮の下、巨大な建物を文字通り生やしていたのだ。

 母様が魔力で地盤を鋼のように固め、父様とゼノン兄様が鋭い剣筋で石材を空中で切断し、精密に配置していく。

 魔力を持たない俺の目には、それは魔法というよりも、物理法則を暴力的に書き換えているようにしか見えない。

 わずか一晩の間に、かつての美しい噴水広場は、規則正しく積み上げられた石材の壁に飲み込まれていた。


 「あ、ユウ様。お目覚めですか。おはようございます」

 庭の端で、ミラがいつものように無表情で箒を使っていた。


 しかし、彼女の周囲には見たこともないほど複雑な探知結界の紋様が、薄緑色の光を放っている。

 「ミラさん、あの結界は一体……?」

 「……雑音の排除です。ユウ様の神聖な学びに、鳥の囀りも、風のうねりも邪魔です。このエリア一帯の因果を少しだけ捻じ曲げて、完全なる静寂を確保しました。不審な羽虫一匹、この中へは通しません」


 やりすぎだ!!


 かつての隠密スキルが、完全に受験会場のSPとして転用されている。

 彼女が元スパイであることを、公爵家はすでに見抜いているが、こうして俺のために尽力する姿を見て、あえて黙認しているのだ。

 今やミラにとって、俺に仇なす者はすべて排除の対象であり、それは騒音や集中を乱す環境すらも含まれるということなのだろう。




 放課後、学園から来た友人たちは、昨日は存在しなかった三階建ての白亜の別棟を目の当たりにして、揃って腰を抜かした。

 まぁ、当たり前だろう。


 「おい、ユウ……。俺の見間違いか? 昨日までここは噴水広場だったよな?」

 カイルが震える指で建物を指差す。

 「カイル、落ち着いて。僕も驚いているんだ。まさか一日で完成するなんて」


 新築された『ヴァルゼイド特別学習棟』。

 内部は最新の魔導式空調が完備され、常に人間の脳が最も活性化するとされる適温に保たれている。

 一階は巨大な円形図書室を兼ねた講義ホール。

 二階は全個室の宿泊室。

 三階は、エレイン様とサリア様が厳選した、集中力を高めるハーブティーや栄養食が二十四時間提供されるラウンジである。


 「さあ、皆さんも中へ。今日からここが、貴方たちの戦場であり聖域よ!」

 サリア姉様が優雅に手招きする。


 その背後には、リーゼロッテが公爵家一同の連名で用意された合宿のしおりを手に持って控えている。


 友人たちは、あまりの豪華さと徹底した環境に最初は圧倒されていたが、提供された資料の圧倒的な質と、何よりユウと一緒に夜まで議論できるという抗いがたい魅力に、すぐに順応し始める。


 「……やるしかないわね。これだけの環境を与えられて落ちたら、ユウ、いいえ、ヴァルゼイド家の名に傷がつくわ」

 メアリが筆を握りしめ、覚悟を決めたような鋭い目で言った。

 「そうだな。よし、みんな! 三か月後、全員で合格するぞ!」

 「「「おー!!」」」


 三十人の若者たちの咆哮が、防音結界の中で響き渡る。


 俺は、前世で目にした予備校の夏合宿の光景を思い出し、少しだけ遠い目になった。

 ただの高校生程度の数学を教えるつもりだったはずが、いつの間にか、俺は公爵家が総力を挙げてバックアップする私塾の偉い人のような立場になってしまったようだ。


 夕食の時間になると、母様が自ら監修した合格祈願メニューが運ばれてきた。

 「ユウ、お友達の皆さんも、たくさん召し上がれ。このスープには、集中力を高める薬草と、体力を維持する秘伝のエキスが入っているのよ」

 母様の言葉通り、一口飲めば全身に活力が漲るのが分かる。

 友人たちは涙を流さんばかりの勢いで食事を口にし、再び学習机へと向かっていく。


 ゼノン兄様は、時折図書室を覗いては、姿勢の悪い生徒を騎士の目線で正して回っている。

 サリア姉様は、個々の進捗を魔導具で記録し、誰がどの分野で躓いているかを瞬時にデータ化している。


 「ユウ様、皆さん本当に素晴らしい熱気ですわ。私、公爵様が仰った言葉の意味が、ようやく分かりました」

 リーゼロッテが、傍らで学習しながら静かに呟く。

 「父様が、何を言っていたの?」

 「ユウ様の周りには、自然と人が集まり、その人が自らの限界を超えて成長していく。それは魔法の力ではなく、ユウ様の持つ慈愛のなせる業だと」

 リーゼロッテの瞳には、尊敬を通り越した何か別の情愛が宿っているように見えた。

 彼女は、父様や母様たちが、この異常なまでの設備投資を惜しまなかった理由を、お礼状に理解してるようだった。



 窓の外では、月明かりの下でミラが木陰に潜み、不審者の侵入を警戒している。

 彼女の存在さえ、この過保護な結界の一部となっていた。

 俺の描く数式が、彼らの未来を、そしてこの国の教育の常識をも塗り替えていくことになるのだが、今の俺はただ、友と学ぶ楽しさに、わずかな気恥ずかしさを混ぜて微笑むことしかできなかった。


 「……さて。じゃあ、今日はこの関数の応用について始めようか」

 俺が教卓に立つと、全員が食い入るようにこちらを見つめた。

 かつての保育士時代、子供たちの純粋な好奇心に応えていた日々の記憶が、今の俺の言葉に重みを加える。



 高校生程度の学問。

 だが、それは俺にとっての事。この世界では、難問中の難問であろう。 


 国立魔導学園の歴史上、最も贅沢で、最も熱い九十日間になる。

 ヴァルゼイド公爵邸に灯る明かりは、夜が更けても消えることはない。

 友人たちのペンが走る音と、時折混じる消しゴムの音。

 そして、それを見守る家族の大きすぎる過保護。

 俺たちは、この白亜の学習棟から、新しい時代の扉を叩こうとしているのだった。

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