第053話 深夜の盟約
ユウがリーゼロッテと共に自室へと下がり、重厚な扉が閉まった後の書斎には、言葉にできないほどの熱量が残されていた。
主賓の席に深く腰掛けていた国王エドマンドは、暖炉で爆ぜる薪の音を聴きながら、隣に座る実弟、ヴァルゼイド公爵へと視線を向けた。その瞳には、先ほど見た黄金の左腕の残光が焼き付いている。
「……おい、ガルドよ。とんでもない息子を持ったようだな。あれはもはや、人の知恵を超えている。パサージュの鍵……次元の管理人が授けた神の理だと?お前はあの子が語った内容を、どこまで呑み込めた」
エドマンドの、王としての威厳を脱ぎ捨てた、一人の伯父としての素直な感嘆に、ガルドは苦笑を浮かべて応じた。
「恐縮にございます、兄上。ですが、あの子が語ったのは奇跡ではなく、積み上げられた道理と、凄絶な過去の対価にございました。親である私ですら、あの痛みの正体を知り、深淵に触れて震えが止まりませぬ。……あの子は十五年もの間、私たちの過保護を魔力に変えて、あの腕を育ててきたというのですから」
ガルドはそう言って、深く椅子に身を沈めた。二人は同じ血を引く兄弟であり、長年、王と公爵として国を支え合ってきたが、今夜ほど互いの顔を見合わせた夜はなかった。
その隣では、エレインが、まだ少し赤くなった目元を拭いながら、王妃イザベラ様と静かに言葉を交わしている。
「エレイン、驚いたわね。けれど、ユウのあの光の腕。あんなにも哀しく、それでいて誇り高い輝きを、私は他に知りませんわ。あの子が精霊祭で見せたという火災の痛み……。それを共有させた理由も、今なら分かります。あの子は、自分だけがその地獄を知っていればいいと、ずっと隠していたのね」
イザベラは、遠くを見つめるように言葉を継いだ。
「あの子は、前世で自分を犠牲にしてまで子供たちを救った。その魂が、今はパサージュの鍵を振るい、私たちの国を救おうとしているのですもの。あの子の語る建築の理も、鍵の権能も、すべては人を守るための祈りそのものに見えましたわ」
「イザベラ様。私はただ、あの子の背負っているものが重すぎて、胸が締め付けられる思いでございました。十五年間の過保護が力の源だったなんて……。私たちが注いできた愛が、あの子を縛り付ける檻であり、同時に救いの力でもあった。その矛盾が、愛おしくて、切なくて……、辛いのです」
エレインの切実な願いに、イザベラはそっとその手を重ねた。
「ええ、分かっていますわ。私たちは、あの子を便利な道具として扱うのではなく、一人の愛すべき家族として守り抜くと誓いましょう。パサージュが定めたチャージ期間は終わったかもしれませんが、私たちの過保護は終わりません。あの子を永遠に愛し、この世界の残酷な出来事から隠し通すこと。それが、あの子が一番に望んでいることなのですから」
その時、それまで沈黙を守っていた王太子ウィンザーが、弾かれたように顔を上げた。
「父上、伯父上。ユウが語ったパサージュの鍵。これらが他国、特に好戦的な国に漏れれば、この大陸の均衡は一瞬で崩れます。因果律を書き換え、歴史そのものを消去する。そんな力が、一人の少年に宿っていると知れば、世界はユウを奪い合うか、さもなくば抹殺にかかるでしょう。ユウは平和のためにその知恵を使うと誓いましたが、周囲がそれを悪用せぬよう、軍事を超えた絶対的な秘匿が必要です」
「ウィンザー。其方の危惧は正しい。ユウの知恵は世界を潤す水にもなれば、すべてを焼き尽くす業火にもなる。そしてその『パサージュの鍵』は、神の怒りそのものだ。だからこそ、秘匿の術を固めねばならぬ」
国王はグラスを置き、鋭い眼光を息子に向けた。
「ガルド、ユウの技術を形にするための、新たな受け皿となる組織を立ち上げようではないか。名称や形態はこれから詰める必要があるが、表向きは王家直轄の機関とし、ユウをその中心に据える。実務を担うのはお前のヴァルゼイド公爵家だ。ゼノン、其方は弟の右腕となれるか」
話を振られたゼノンは、迷うことなく力強く頷いた。
「もちろんでございます、陛下。ユウが描く未来の図面を、寸分の狂いもなく現実のものとする。そして、弟を脅かす不届き者は、たとえ神であろうと私が斬り伏せましょう。ユウの十五年間の平穏を支えてきたのは家族の愛です。ならばこれからは、その愛を鋼の剣に変えて、私が彼を守護します」
「頼もしいな。サリアも、社交界での噂話を封じる役割を担ってくれるか。ユウの知恵を天才ゆえの閃きとして処理し、異世界や『パサージュの鍵』の秘密については、墓場まで持っていく秘密とするのだ」
サリア姉様は、優雅に扇を畳むと、いたずらっぽく、それでいて決意に満ちた微笑を浮かべた。
「お任せくださいませ。弟のあまりの優秀さに、周囲が嫉妬する暇もないほど、私が華やかに立ち回って差し上げますわ。ユウはただ、好きなように図面を引き、私たちに甘えていればよいのです。……あの子の痛みが、少しでも和らぐように」
会議は深夜にまで及んだ。
「……陛下。一つだけ、私からお願いがございます」
母様の控えめな、しかし通る声が書斎に響いた。
「何かな、エレイン」
「ユウには、あまり国家の英雄としての重圧を与えないでやってくださいませ。あの子は前世で、重い梁を独りで支えて死んだのです。今世では、あの子が図面を引く時、どうかその隣で、誰かが『無理はしないで』と言ってやれる余裕を、残していただきたいのです」
書斎の空気が、ふわりと和らいだ。イザベラがクスリと笑う。
「それは私たちの役目ではなく、あの子の傍にいる、あのリーゼロッテという娘の役目かもしれませんわね。ユウが語った凄絶な過去を知ってもなお、あの子を見つめる彼女の瞳には、打算など一切ございませんでしたもの」
「ふむ、確かに。ユウを守る盾は我らが作り、ユウの心を癒やす花は彼女に任せるとしよう。ガルドよ、お前の息子は、この国の希望そのものだ。そして、我らが愛を注ぐべき最高の宝だ」
国王の明るい声が、深夜の書斎を包み込んだ。
「明日、ユウには伝えよ。お前の十五年間の蓄積を、伯父である私も全力で肯定する。お前がその腕を振るい、皆の笑顔を守るというのなら、その道は私が全力で切り拓いてやるとな」
「はっ。あの子も、それを聞いて心底安心することでしょう。兄上、感謝いたします」
ガルドは深く、深く頭を垂れた。その顔には、公爵としての厳格さだけでなく、一人の父親としての誇らしさが溢れていた。窓の外では、夜の帳がゆっくりと明け始め、東の空が淡い群青色から桃色へと染まりつつあった。
「さあ、我々も少し休むとしよう。明日は、新しい世界の幕開けだ。ユウが蓄えた愛の力が、この国をどこへ導くのか、楽しみで仕方がない」
国王が立ち上がると、皆がそれに続いて一礼した。
廊下を歩く王族や家族たちの足取りは、先ほどまでの緊張が嘘のように軽やかだった。前世の記憶、そしてパサージュの鍵という、あまりに巨大な秘密を共有したことで、彼らの絆はもはや鉄よりも強固なものとなっていた。
一人の少年の魂に宿った異世界の知恵と、神の如き鍵。それを、この世界の最高権力が過保護という名の絶対的な愛で受け入れた。それは、歴史の教科書には決して記されない、けれど最も重要な平和への設計図が完成した瞬間でもあった。
朝日が書斎の机に置かれた白紙の図面に差し込み、まるでユウがこれから描く未来を祝福するように、黄金色に輝いていた。
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