第051話 次元管理人と過保護の因果
父様の書斎に満ちる空気は、先ほどよりもさらに密度を増していた。
人払いは完全になされ、重厚な扉の向こう側には、公爵家と王家の最高機密を守るための静寂だけが横たわっている。
俺の左肩から溢れ出す、黄金と銀が混ざり合ったような複雑な輝き。それは実体を持たず、しかし確かにそこにある空間の歪みだ。指先が動くたびに、空間そのものが共鳴し、微かな鈴の音のような残響が書斎に響き渡る。
父様は、その陽炎のように揺らめく概念としての腕を凝視しながら、一歩、また一歩と俺に歩み寄った。
「ユウ、お前が今言った『パサージュ』という男……。その者は、お前に何を期待してその『鍵』を授けたのだ。対価もなしに世界を弄ぶ力を与えるほど、神という存在は甘くはあるまい。管理という名の下に、お前を何かの手駒にしようとしているのではないか?」
父様の問いは鋭く、かつ重い。一国の公爵として、そして一人の親として、息子の魂を弄ぶ不透明な存在を許容できないという強い意志がそこにはあった。
俺は、あの乳白色の霞が流れる回廊で出会った、銀髪の男の穏やかな微笑みを思い浮かべた。
「父様、おっしゃる通りです。神に近い存在が、ただの善意で動くことはありません。ですが、パサージュが求めたのは僕の服従ではなく、僕という”異物”がこの世界で描く物語そのものでした。彼は、あの日、僕が取った選択を『運命の天秤を揺らした』と言いました。本来の寿命よりも先に、自らの意思で死を超えた自己犠牲を選び取った……。それは、彼が管理する壮大な物語の台本にはない、最大級のイレギュラーだったのです。パサージュとは元の世界で”通り道”や”一節”を意味します。彼は物語が淀みなく流れるよう、詰まった扉を開ける『鍵』を見守る者。その彼が、自らの筋書きを書き換えた僕への献辞として、また、物語に新たな彩りを加えるための投資として、この力を提示したのです。彼が持つ、最も古く、最も強力な鍵の一つを……僕の失われた左腕の場所に封じ込めたのです」
俺は視線を上げ、国王陛下と父様、母様の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。その場に控える王太子ウィンザー兄様も、息を呑んで俺の言葉を待っている。
「パサージュの鍵。それは、あちらの世界の理を止めるために使い果たされた僕の腕の代わり。物理的な腕がないことで生じた空白に、神の魔力が渦巻く領域を埋め込んだものです。ですが、これを使うには膨大なエネルギーが必要でした。そこで彼は、僕に一つの条件を提示したのです。それが、僕がこの十五年間、皆さんの大きすぎる過保護をあえて受け入れ続けてきた理由です」
「過保護を……?受け入れてきた理由?」
ウィンザー兄様が怪訝そうに呟く。その表情には、未知の力に対する純粋な好奇心と、俺を案じる困惑が混ざり合っている。
「はい。この鍵の魔力は、僕に向けられる愛、そして僕を案じるがゆえの過保護な干渉によって蓄積されます。パサージュははっきりと言いました。
『甘やかされれば甘やかされるほど、神に近い力が蓄積される。そして、その過保護状態は、向こうの世界の成人までの間だ』と。つまり、僕を縛り付けていたあの異常なまでの皆さんの執着や保護欲は、この鍵を回すための、神の理に基づいた蓄積期間だったのです。僕が皆さんの愛に溺れれば溺れるほど、この左腕には世界を再構築するためのエネルギーが満ちていきました」
その言葉が落ちた瞬間、母様の俺を抱きしめる腕に、より一層の力がこもった。
俺は深く息を吸い込み、魂の最奥に刻まれた最も生々しい痛みの記憶を呼び起こす。
「鍵を振るう時、逃れられない副作用が顕著に現れます。例えば、学園の精霊祭の夜、皆さんが経験した『あの痛み』。あれも、この鍵の蓄積された力が漏れ出した結果でした」
書斎にいた全員が、一様に自分の左腕をさするような、あるいは庇うような仕草を見せた。あの夜、イザベラの乱入と共に全員が味わった、焼けるような熱さと、もぎ取られるような激痛。
「あの時、僕の鍵の一つ『未完の共感』が、外部からの害意に共鳴して発動してしまいました。皆さんの神経系に流れ込んだあの凄まじい熱量と絶望的な痛み……。あれは僕が前世の最後、猛火の中で子供たちを助けるために梁を支え続け、腕が炭化し、神経が焼き切れた時の本物の苦痛に近いものなのです。あの焼けるような熱さと痛みこそが、僕がこの左腕を向こうの世界に置いてきた証であり、魂に刻まれ続けている熱さと痛みの正体なんです。皆さんが感じたあの熱さは、僕の魂が燃えた温度そのものだったのです」
母様が耐えかねたように嗚咽を漏らした。俺は静かに、しかし力強く告げる。
「鍵の種類によっては、さらに悲劇的な認識を周囲に植え付けます。失われた腕で運命を掴み取る『虚数解の左腕』を振るう際、皆さんの目には、僕が『無い腕で空を掴み、幻肢痛に狂い叫ぶ姿』に見えるように世界が上書きされます。僕が奇跡を起こすたび、皆さんは僕を『一瞬でも目を離せば壊れてしまう不憫な子』だと思い込み、より深く、より狂おしく、僕を閉じ込め、守ろうとする……。今日、この成人を迎えるまでの十五年間、僕は皆さんの愛を糧に、この左腕に神の如き権能を溜め込んできたのです」
俺は書斎の鏡に映る、自分の華奢な姿を見つめた。
前世で、百九十センチの巨躯を誇り、プロレスラーのような体格で子供たちを守り抜いた男。その魂は、今世の十五年間、家族の温かな掌の中で慈しまれ、守られる側に徹することで、かつて失った左腕を概念として再構築したのだ。
「パサージュは言いました。『成人までの間、思いっきり甘えなさい』と。そして今日、僕は成人を迎えました。蓄積は完了しました。これからは、溜め込んだこの力を使い、僕が皆さんを、そしてこの国を支える番です。皆さんの十五年分の愛を……。僕は世界を再設計するための輝きに変えます。父様、僕はパサージュの手駒ではありません。彼がくれたのは、僕が僕として生き直し、今度こそ誰も失わずに済むための設計図なんです」
父様は、組んだ手の隙間から深いため息を漏らした。自分たちが注いできた愛が、息子の強大な力の源になっていたことを知り、誇らしさと、そして寂しさが混ざり合った表情を浮かべる。その瞳には、息子が背負っていた孤独と、建築という形で昇華された前世の遺志への深い畏敬が滲んでいるように感じた。
「ユウ。お前がその不自由さと引き換えに、我々の愛をこれほどまでに重く受け止めてくれていたとは。ならば、成人を迎えたからといって、我々の愛が止まると思うなよ!お前がどれほどの奇跡を成そうと、お前は我々の愛しき息子だ。その重みを背負って、お前の思うままに世界を描いてみせろ」
国王エドマンド陛下が、ゆっくりと立ち上がった。彼は父様と視線を交わすと、満足げに頷き、俺の前に歩み寄ってきた。
「相分かった、ユウ!管理人パサージュとやらに伝えておくがいい。我が甥を甘やかすことは、もはや理などではなく、我ら一族の本能であるとな!蓄積期間が終わったところで、お前を案じる心が消えるわけではない。その満ち足りた力をもって、この国にかつてない輝きをもたらすがよい!」
母様は涙を拭い、しかしその腕は依然として俺を離さなかった。彼女の瞳に宿る光は、慈愛でありながら、同時に抗い難い執着の輝きを帯びている。
「成人おめでとう、ユウ。これからは、貴方のその『見えない腕』が、私たちの誇りです。でも、無理だけはしないで。貴方が痛むなら、世界なんてどうなってもいいのですから……」
左肩の疼きは、感謝の熱を帯びていた。
建築士としての知恵、パサージュの鍵、そして十五年間にわたり注がれ続けた濃密な愛。
俺の二度目の人生。成人の儀を経て、蓄積された愛の力は、ついにこの世界を書き換えるための真の光を放ち始めたようだった。
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