第050話 真実の光
父様の書斎に満ちる沈黙は、かつてないほど濃密だった。
人払いは完全になされ、重厚な扉の向こう側には、公爵家と王家の最高機密を守るための静寂だけが横たわっている。
俺は自らの足で、書斎の中央へと進み出た。
「陛下、父様、母様。兄様、姉様。リゼ―ロッテ、聞いてください。今日、一人の成人として認めていただいた今こそ、僕の魂の根底にある真実を打ち明けさせてください。僕が幼い頃から、この世界の常識にはない造構の理を語り、聖イシュタル大橋を再建するほどの知恵を持っていた理由。そして……、僕の左腕が、なぜ生まれながらに欠損していたのか。その理由を」
俺の声は、自分でも驚くほど静かに、そして深く響いた。
俺はゆっくりと目を閉じ、意識を自身の深淵へと沈めていく。
その瞬間、書斎の空気がびりびりと震え、俺の左肩の付け根から、凄まじい密度の『光の粒子』が溢れ出した。黄金色の輝きは瞬く間に濁流となって室内を席巻し、真昼の太陽を凝縮したような眩さに、誰もが咄嗟に腕で目を覆った。だが、その光は不思議と温かく、暴力的なまでの神聖さを纏っていた。
光が収束していくにつれ、そこには物理的には存在しないはずの俺の左腕が、透き通るような陽炎の輪郭をもって、その場に現出した。
それは皮膚や筋肉の代わりに、無数の幾何学的な紋様と、脈動する青白い法力のラインで構成された概念的な腕である。指先が動くたびに、空間そのものが共鳴し、微かな鈴の音のような残響が書斎に響き渡る。
国王エドマンドは身を乗り出し、その輝きを食い入るように見つめた。王の鋭い眼光さえも、その光の前では畏怖に揺れている。
ウィンザー兄様は思わず腰の剣に手をかけたが、その腕から放たれる圧倒的な気配に、触れてはならない神域を感じたのか、そのまま硬直していた。
「僕の魂には、遠い異世界で生きていた記憶があります。そこには魔法は存在しませんでした。僕はそこで、佐々木優真という名の一人の人間として生きていました。元々は建設現場で巨大な建造物を組み上げる設計士として働いていましたが、そこで出会った子供たちの笑顔を守りたいと、一念発起して保育士になったのです」
「保育士……だと?子供の世話役か?」
父様が俺の言葉を遮る。
「父様、保育士というものを、単なる子供の世話係だと思わないでください。保育士は親が仕事などで、子供と一緒に過ごせない時間に、親に代わって子供の面倒を見るのです。食事に排泄、睡眠に着替えといった基本的なことを支えるのです。それは、こどもの自立を助けるものなのです。同時に、予測不能な動きをする子供たちの安全を確保し、命を守る護衛騎士としての役割もあるのです」
俺は黄金に輝く左腕をそっと前に突き出し、静かに続ける。
「僕がかつていた世界では、人は魔法を使う事ができません。代りに科学と言うものが発展していました。例えば、雲にとどきそうな高い塔も、魔法で石を積み上げたものではありません。重さを骨組み全体で均等に分散させる鉄骨構造と、巨大な揺れをしなやかに受け流す柔構造の結晶です。力は力でねじ伏せるのではなく、数字によっていなす。地盤の圧力、風の振動、すべての数値をあらかじめ解き明かし、僅かな誤差も許さぬ設計を行うことで、人は自らの知識で発展させたのです。僕が聖イシュタル大橋を再建できたのも、魔法による補強ではなく、この構造の知識を用いたからに他なりません」
建築という具体的な成果に結びついた説明に、父様の瞳に鋭い光が宿る。
「僕は三十歳の時、隣接する倉庫の爆発火災から、園の子供たちを救うために命を落としました。崩れ落ちる巨大な梁から五人の子供たちを逃がすため、僕は最後の一瞬まで、この左腕一本で瓦礫を突き上げ、肉体が焼けるのも厭わず彼らの未来を支え続けました」
俺の声が、少しだけ熱を帯びる。
「この腕は、あちらの世界の理を止めるために使い果たされ、子供たちの未来に置いてきたものなのです。次元の管理者パサージュは、その代償として、失われた左腕の場所に世界の理を回す『パサージュの鍵』を封じ込めてくれました。僕が成し遂げてきたことは、前世での建築の経験と、この見えないはずの左腕が放つ、運命を書き換える力によるものなのです」
あまりに荒唐無稽で、しかし目の前の光とこれまでの実績が証明する壮絶な真実。
母様は、俺の過去高潔さに、声を上げて泣き崩れた。父様は、組んだ両手の隙間から、まるで聖遺物を拝むような痛切な眼差しで、俺の腕を凝視している。その瞳には、息子が背負っていた孤独と、建築という形で昇華された前世の遺志への深い畏敬が滲んでいた。
「……ユウ、ひとつだけ答えよ」
父様の低く、重みのある声が響いた。
「今、我々の前に立っているお前は誰なのだ。我々が慈しみ、育ててきた息子なのか。それとも異世界の男の魂が、死した我が子の抜け殻に入り込んだ擬態なのか」
俺は逃げることなく、父様の、そして国王の視線を真正面から受け止めた。
「魂の起源がどこにあるのか、それは僕にも分かりません。けれど、父様に導かれ、母様に慈しまれ、兄様や姉様と共に過ごしてきたこの十五年間の記憶こそが、今の僕のすべてです。僕は異世界の知識と、左腕をありませんが、僕の心は、この公爵家で育まれた貴方たちの息子、ユウ・ヴァルゼイドです。子供を守り抜き、この家で愛を浴びたことで、僕は完成したのです。前世の建築の知恵も、今はただ、この国と家族を守るためにこそあります」
俺の言葉が、張り詰めた沈黙を断ち切った。
一番に動いたのは母様だった。
彼女は椅子を蹴るようにして立ち上がると、俺の元へ駆け寄り、俺の体を、そして実体として熱を帯びて輝く光の左肩を壊れ物を扱うように優しく、しかし力強く抱きしめた。
「何を言っているのですか、ユウ。貴方がどれほど不思議な知恵を持っていようと、貴方が私の腕の中で産声を上げたあの日から、貴方は私の愛する大切な息子です。その左腕が……そんなにも気高い理由で失われたものだったなんて。建築の才も、その優しさも、すべてが私の誇りです」
「母様……」
続いて、王太子ウィンザーが歩み寄り、光り輝く左腕のすぐ傍まで顔を寄せた。
「この輝きは、偽りでは出せぬ。お前がその腕で守り抜いた魂の輝きだ。納得がいったよ、ユウ。お前の設計する建物に、なぜこれほどの優しさと強さが宿るのか。それはお前の前世からの誓いが形になったものなのだな。お前は我が従弟であり、この国の誇りだ。この知恵を異端と呼ぶ者がいるならば、私がこの剣で黙らせよう」
最後に、国王エドマンドがゆっくりと立ち上がり、俺の前へと歩み寄ってきた。彼は父様と視線を交わすと、満足げに頷き、俺の頭に大きな掌を置いた。
「ユウ、よく話した。成人とは、己の出自を受け入れ、未来を切り拓く者のことを指す。お前が何者であれ、ヴァルゼイドの一族であることに変わりはない。その『パサージュの鍵』の秘密については、今この場にいる者だけの不可侵の誓いとしよう。これより王家と公爵家は、お前の知恵を、そしてその尊き左腕がもたらす未来を護る守護者となる。その知恵で、この国をかつてない高みへと導くがよい」
家族と王族の無条件の愛に触れ、俺の心はかつてないほどの充足感に満たされる。
書斎の隅で控えていたリーゼロッテは、音もなく膝をつき、誰よりも深く頭を垂れていた。彼女の肩は微かに震えており、その瞳からは、忠誠心を超えた深い情愛と安堵の涙が滴っていた。
「ありがとうございます。僕は、この知恵を使って、この国を、この世界をもっと素晴らしい場所にしてみせます。父様や母様、そして陛下が誇りに思えるような、そんな大人になります」
成人の儀の夜、俺は本当の意味で、この世界の住人として、新たな一歩を踏み出した。
光の腕は静かに俺の体へと溶け込んでいったが、その温もりはいつまでも消えず、家族の絆をより一層強く結びつけてたようだった。
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