第043話 初等部
国立魔導学園の広大な敷地内に、春を告げる柔らかな陽光が降り注いでいる。
俺は、周囲の狂おしいまでの期待と執着を、全身にこびりつく呪詛のように背負いながら、相変わらず首席という揺るぎない座に居座り続け、高等教育課程へと進学した。
そんな俺に、今回、あえて初等部への演習指導補助という役目が課された。
本来、ヴァルゼイドの家門が、あるいは王家が、片腕を欠いた至宝である俺を、制御の利かない子供たちの前に晒すなど、あり得ないはずだった。だが、この不自然な人選の裏には、学園を要塞という名の檻へと変貌させた家族たちの、歪んだ打算が透けて見えていた。
「ユウ。お前がその圧倒的な格を見せつけることは、新入生たちの精神を根底から挫き、ヴァルゼイドへの絶対的な服従を植え付ける、最も効率的な手段だ。お前に仇なそうなどという不届きな芽を、十歳の時点で根絶やしにしておけ」
父様ガルドが、俺の首元を絞めるような力強さで肩を抱き、低く語りかけた日のことを思い出す。
彼らがこの公の場への露出を許したのは、俺を自由にするためなどでは断じてない。俺という、魔力を持たぬ身でありながら世界の法則を支配する完璧な偶像を、幼い子供たちの脳裏に原体験として焼き付け、彼らの魂を、ヴァルゼイドの威光から一生逃れられぬように縛り付けるための静かなる侵略である。
それは教育という名の慈愛ではなく、王家とヴァルゼイド家による、次代に向けた洗脳の儀式に他ならなかった。
対象は、十歳になったばかりの子供たち。
かつての俺が、世界の理不尽さと、家族たちの歪な寵愛の狭間で揺れながら、この門を潜った時と同じ年齢の少年少女だ。
演習場に足を踏み入れた瞬間、そこを支配していた騒がしい喧騒が沈黙に飲み込まれた。
整列した新入生たちの間に、息を呑む音だけが、不気味なほど鮮明に響き渡る。
俺は、無力な彼らの怯えを見渡しながら、優雅に、けれどどこか拒絶を感じさせる完璧な所作で一礼し、自ら口を開いた。
「初めまして。改めて名乗らせてもらおう。ヴァルゼイド公爵家次男、ユウ・ヴァルゼイドだ。学園の記録にある通り、俺には皆さんのような魔力はない。そして、見ての通り左腕も持たない。けれど、その欠損こそが、俺にこの世界の真実を教え、首席という座を与えた。今日は学園から、皆さんの魔導を少しだけ修正するようにと言われている。仲良くしよう、後輩諸君」
俺の声が、冷徹な静寂を切り裂いていく。
魔力を持たぬ欠損者という自虐にも聞こえる自己紹介が、皮肉にも、俺が纏う圧倒的な威圧感と矛盾して、子供たちの心に得体の知れない恐怖を植え付けた。
俺は、震える手で魔導杖を構え、震動する魔力を抑え込めずにいる一人の少年の前に立ち、足を止めた。
「……君、名前は?」
俺が静かに問いかけると、少年は心臓を跳ねさせたように肩を震わせた。
「は、はいっ!ア、アル。アル・レヴィスです、ユウ様!」
「アル君、か。いい名前だね。どうしてそんなに震えているんだい?杖が泣いているよ。君が無理に魔力を押し込もうとするから、この子は行き場を失って、君の手を焼こうとしているんだ」
俺が微笑むと、アルと呼ばれた少年は、涙をこらえるように唇を噛み締めた。周囲の新入生たちも、まるで処刑台を見守るような緊張感で、固唾を呑んで俺たちのやり取りを注視している。
「す、すみません……。僕、魔力があまり強くなくて……。家の期待を背負って入学したのに、こんな簡単な火球の術式さえ上手く編めなくて。先生たちにも、出来損ないだって……」
少年の杖からは、主の不安に呼応するように、不安定な火花が散っている。担当教師たちが「情けないぞ、レヴィス!ヴァルゼイド様の前で何を見せている!」と怒号を飛ばそうとしたが、俺はそれを片手で制し、少年の背後に回った。
「誰だって最初は、自分の内側の熱に戸惑うものだよ。ねえ、アル君。君のその手、少しだけ預けてもいいかな?」
「え……あ、はい。お願いします……!」
俺は少年の震える右手に、自らの掌を重ねた。
左腕の肌の下、パサージュの鍵は今はただ、静かに沈黙を保っている。
権能など振るうまでもない。ただ、魔力というノイズを持たぬ俺の眼には、少年の杖から漏れ出すエネルギーの淀みが、あまりにも明白な欠陥として映っていた。
「肩の力を抜いて。……そう、杖の木目を感じるんだ。魔力は放つものではなく、世界の呼吸に合わせるものだ。君の指先に眠る熱を、ただ、あるべき場所へ流してあげるだけでいい。……今だ!撃ってごらん。君が望む場所、あの石標の真ん中へ」
俺は少年の手首の角度を数ミリだけ修正し、魔導回路の接点を指先の圧力だけで完璧に導いた。
次の瞬間、アルが放った火球は、本来十歳児が到達し得るはずのない、極限の密度と透明なまでの直進性を帯びて空を裂いた。
爆発音ではない。硬質な物質が、一点の無駄もなく貫かれたことで生じる鋭利な破砕音。
標的の石標は粉々に砕け散り、後に残ったのは、焦げた大気の匂いと、絶対的な沈黙だけだった。
「わ……っ。僕、僕が……今、これを?嘘だ……まるで、自分の腕じゃないみたいに、勝手に……」
アルが自分の両手を凝視し、呆然と呟く。
周囲の子供たちからは「嘘だろ……」「あんな火球、見たことない」という驚愕の声が次々と上がり、それはやがて、俺に対する狂信に近い称賛の眼差しへと変わっていった。彼らにとって、俺はもはや先輩ではなく、願いを叶える神か何かに見えているのだろう。
「見たかい?君にはこれだけの力があるんだ。……さて。先生、彼の今の術式構築、何か問題はありましたか?」
俺が静かに背後の教師たちに問いかけると、彼らは弾かれたように姿勢を正し、そして、自らの無能を突きつけられた屈辱と戦慄を押し殺すようにして、その場に跪いた。
「……っ、失礼いたしました、ヴァルゼイド様……!!」
代表の教師が、額を地面に擦り付けるほど深く頭を下げた。彼が握り締めた拳が、畏怖で震えているのが手に取るようにわかる。
「我々凡庸な教師が数年、あるいは十数年かけて教え込む真実を……わずか一言で、しかもこれほど美しく示されるとは。教育の根幹を揺るがすその慧眼、ただただ、恐れ入りました……っ。我々の指導など、あなた様の前では泥遊びにも等しい……!」
教師たちの震える声が、土埃の舞う演習場に惨めに響く。
俺は、彼らの横で、慈愛に満ちた公子の微笑みを、完璧な仮面として貼り付けたままだった。
「先生、顔を上げてください。僕はただ、彼の背中を少し押しただけですから。……ねえ、みんな。次は誰の番かな?君たちの迷いも、俺が全部取り除いてあげよう」
俺の言葉に、子供たちが一斉に「僕も!」「私にも触れてください!」と、救いを求める信徒のように、あるいは禁断の果実に手を伸ばす罪人のように、俺の元へ駆け寄ってくる。
彼らには見えていない。
俺がアルの魔力を整えたのは純粋な技術だが、その際に生じた微細な衝撃波が、学園を囲む結界の波長とどのように干渉したか、その物理的なデータを俺が冷静に読み取っていたことなど。
少年に与えた成功体験という名の毒が、彼らの心に、俺への狂信という名の楔を深く打ち込んだことなど。
(……いい子たちだ。だが、申し訳なさもあるな……)
家族たちの期待通りに圧倒的な格を見せつけながら、その裏側で俺は、子供達を洗脳していたのだから。
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