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欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: スフィーダ


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第042話 寵愛という名の不可視な檻

 十歳という幼年期から三年の月日が流れ、中等教育課程の最終学年である十三歳へと成長した俺を待っていたのは、より強固な愛という名の檻だった。


 国立魔道学園において、この時期は本来ならば自己の適性を見極め、未知なる高等教育への期待に胸を膨らませる季節である。 だが、俺にとってのこの三年間は、自身の特異な立場を再確認し続ける日々に過ぎなかった。 魔力こそが万物の尺度となるこの世界で、俺は一切の魔力を持たない()()()()として通っている。


 しかし、それにもかかわらず、俺は入学以来一度として首席の座を譲ったことはなかった。

 魔力を一切介在させない純粋な魔道理論の構築において、俺の右に出る者は存在しない。


 それは、前世の記憶がもたらした異質な知見の賜物でもあった。

 前世の俺こと佐々木優真は、建設現場で重機を操り、鋼材の接合点にかかる応力や、基礎杭が支える地盤の支持力を肌で理解していた。

 図面上の線が実体として立ち上がる際の力の伝達経路を叩き込まれた後、子供たちの心の機微を見守る保育士へと転身した経歴を持っている。


 魔導式を数式ではなく、建物の梁やトラス構造の荷重バランスとして捉える視点。

 支点にかかるモーメントを計算し、破断限界を見極める現場の感覚と、魔力の暴発を子供の『ぐずり』や不安と同質の予兆として察知する観察眼。

 言葉にできない幼い命が発する微かな感情の揺らぎを読み取ってきた経験は、不安定な魔力の『機嫌』を察知する特殊な能力へと昇華されていた。

 その二つが組み合わさった俺の理論は、魔力に頼り切ったこの世界の魔道士には見えない、術式の構造的な脆弱性や力の重心を正確に射抜いていた。



 放課後の図書室で、俺は修了課題である魔道回路の構造分析に取り組んでいた。

 左の袖口は、肩の付け根から先が失われているために、力なく垂れ下がっている。

 その脆くも美しい佇まいに、周囲の視線が突き刺さる。

 そんな俺を遠巻きに見つめていた級友たちが、意を決したように一人、また一人と机を囲み始めた。


 「あの、ヴァルセイド様。ここ、どうしても出力が安定しないんです」

 おずおずと声をかけてきたのは、実技では上位の成績を誇る伯爵家の嫡男だった。


 彼が差し出した魔導回路の設計図には、出力の無理な増幅によって歪んだ力の流れが散見される。

 俺は羽ペンを手に取ると、回路の接続点を鋭い眼差しで見据えた。


「ここだね。接合部の噛み合わせが甘い。強度の足りない石材を無理に積み上げても、重み、つまり応力を逃がす構造がなければそこから崩落する。それと同じだ。君は魔力を強引に流し込もうとしているけれど、この回路の支柱にかかる負荷を計算していない」

 俺が静かに指摘すると、周囲にいた他の級友たちも吸い寄せられるように集まってきた。


「ヴァルセイド様、私の術式も見ていただけますか?起動のたびに微かな震動が止まらないんです」

「それは術式の重心が右に寄りすぎているからだよ。不安定な地層の上に、補強もせず高い塔を立てればどうなるか、想像すればわかるはずだ。この並列回路の長さを変えて、モーメントのバランスを整えればいいよ」


 次々と投げかけられる質問。

 かつて現場で図面の不備を精査していた時の感覚と、泣き止まない子供の背中を撫でて原因を探っていた時の感覚が、俺の中で溶け合っていく。


「いいかい、魔力は意志だけじゃ動かない。力の伝達経路を物理的に整えてやる必要があるんだ。この部分の歪みは、不安を抱えた子供が泣き出す直前の呼吸に似ている。力で押さえつけるのではなく、その不安、つまり抵抗を取り除いてやれば、術式は勝手に安定する」


 級友たちの顔が、驚愕に染まっていく。

 彼らにとって、魔道とは天賦の才であり、力でねじ伏せるものだった。

 だが、魔力を持たず、左腕すら欠いた少年が、自分たちの術式を堅牢な構造物として、あるいは繊細な心を持った存在として鮮やかに解体し、再構築していく様。

 蔑みの対象だったはずの無魔力者への視線が、一瞬ごとに熱を帯び、畏怖と崇拝へと塗り替えられていく。


「……凄い。僕たちが三日かけても解けなかった方程式を、たった一箇所、線の太さを変えるだけで解決してしまった」

「ヴァルセイド様、失礼ですが……、貴方は本当に魔力をお持ちでないのですか?この視点は、もはや世界の魔道そのものを覗いているかのようです」

 一人、また一人と、彼らは俺の机の前に跪くようにして教えを請い始めた。

 級友たちの熱い眼差しが、俺を逃げ場のない知の偶像へと押し上げていく。

 俺が彼らの術式を直せば直すほど、彼らは俺を特別な存在として祭り上げてしまった。



「皆様、名残惜しいとは存じますが、本日はここまでにしていただけますか?これ以上お引き止めしては、お身体に障りますわ。ユウ様を健やかにお守りすることこそ、私たち学友の何よりの願いではありませんか」


 リーゼロッテが鈴の音のような、しかし拒絶を許さぬ柔らかな声で告げると、級友たちはハッと我に返ったように表情を引き締めた。

 彼らは、自分が熱中のあまり、この脆く、至高な存在を疲れさせてしまったという自責の念に駆られたようで、誰からともなく恭しく一礼した。


 魔力を持たぬはずの俺を、かつては遠巻きに眺めていた彼らが、今や俺の放つ一言一句を宝物のように抱え、その安寧を何よりも優先しようとしている。

 図書室の権力構造は、力ではなく、俺という存在によって完全に書き換えられていた。

 それは、敬愛・尊敬という名の、逃げ場のない熱を帯びた支持。

 彼らが俺を崇め、慈しむほど、俺の周囲には保護という名の透明な壁が積み上がっていく。

 級友たちの目は、その叡智を自分たちだけのものにしたいと言う狂熱に満ちていた。


「ユウ様、もう一人だけよろしいでしょうか」

 リーゼロッテが困ったように微笑み、一人の少年を招き入れた。

 彼は学園でも屈指の攻撃魔道を得意とする騎士爵家の息子だったが、その手は微かに震えていた。


「ヴァルセイド様……、先程の講義で、僕の放った火球が標的に当たる直前、なぜか霧散してしまったんです。魔力密度は完璧だったはずなのに、まるで何かに拒絶されたようで……」

 俺は彼の術式展開時の記憶を、構造心理学の視点から紐解く。


「それは君の心が、術式の出口を無意識に絞りすぎたせいだ。君は標的を射抜くことよりも、魔力が暴発して周囲を傷つけることを恐れていたね?その怯えが、術式全体の梁を歪ませ、自重で崩落するような結果を招いたんだ。次はもっと、自分の魔力を信頼してあげればいいよ。魔力は君の不安を敏感に読み取る繊細な同居人なんだからさ」

 少年は目を見開き、雷に打たれたような顔で立ち尽くした。


「心……魔力の呼吸を、僕は無視していたのですね。ヴァルセイド様、これからは、貴方の教えを胸に刻んで修練に励みます」

 少年の瞳には、もはや師を仰ぐ狂信者のような光が宿っていた。


 その後も、俺の知を求める列は一向に衰える気配を見せない。

 一人が術式の悩みを解決するたびに、その周囲にいる者たちまでが、俺という存在の異質さと尊さを再確認していく。


「ヴァルセイド様、この防御術式の強度計算について、もう一度だけ……」

「ヴァルセイド様、僕たちの世代に貴方がいてくださることは、神の祝福に他なりません」

 飛び交う称賛と、向けられる熱視線。

 俺が一つ答えを出すたびに、彼らの中にある『ヴァルセイド様を守らなければならない』という共通認識が、鋼鉄の補強材を打ち込むように強固になっていく。


 俺は、熱狂に満ちた彼らの背中を見送るリーゼロッテの、満足げな微笑みを見つめた。

 構造を理解し、周囲の術式や心の機微を整えてやるほど、俺は彼らにとって代えのきかない『守るべき奇跡』となり、その愛という名の鎖は、より優しく、より強固に編み上げられていく。


 俺が書き換えた完璧な安定を誇る術式図と同じように、俺の人生もまた、周囲の至れり尽くせりな愛によって、一分の隙もなく構築されようとしていた。

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