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欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: スフィーダ


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第037話 母様の視察

 工作員による襲撃未遂から一夜明け、国立魔導学園の空気は一変していた。


 精霊祭の開催を目前に控え、本来ならば華やかな喧騒に包まれるはずの校内は、墓所のような静寂と、肌を刺すような緊張感に支配されている。

 その原因は、学園の正門から校舎に至るまで、数メートル間隔で直立不動の姿勢を取るヴァルゼイド公爵家の精鋭騎士団にあった。

 漆黒の甲冑を纏い、一分の隙もない彼らの存在は、ここが国家直轄の学び舎であることを忘れさせるほどに威圧的だ。


 「ユウ様。本当にこれで良かったのでしょうか?学園の皆様、すっかり怯えてしまって」

 俺の隣を歩くリーゼロッテが、周囲の様子を窺いながら不安げに呟いた。


 彼女は、俺を気遣うように少しだけ歩幅を合わせ、そっと寄り添ってくれている。

 現在、公爵邸で共に育ち、学園の寄宿舎ではなく邸宅から共に通う彼女は、俺にとって家族同然の、そしてそれ以上の存在だった。


 「父様が仰っていた通り、学園の警備体制は公爵家の管理下に移されたみたいだね。でも、少しやりすぎな気もするけれど」


 俺は苦笑いを浮かべながら、昨日までとは比較にならないほど重苦しくなった廊下を進む。

 本来、国立の施設に私兵が立ち入るなど言語道断のはずだ。

 だが、この学園は建学以来、その運営予算の七割をヴァルゼイド公爵家の寄付に依存している。

 さらには学園内の巨大魔導炉の維持に必要な高純度魔石の供給元も、すべて父様の帳簿の中にある。

 王宮ですら、ヴァルゼイド家の機嫌を損ねて学園が機能不全に陥ることを恐れ、沈黙を貫いていた。



 学園長室の重厚な扉が開かれた。

 中に招き入れられたのは、俺とリーゼロッテ、そしてゼノン兄様とサリア姉様だけだった。

 だが、その室内に満ちる威圧感は、講堂を埋め尽くす群衆のそれよりもはるかに重く感じる。


 「……お久しぶりね、学園長。国立魔導学園の教育環境が、これほどまでに劣悪だとは思わなかったわ」

 凛とした、しかし氷点下の冷たさを孕んだ声が室内に響き渡る。


 上座の椅子に、まるで自分の家の主人のように腰掛けるのは、母様――エレイン・ヴァルゼイドだった。

 流れるような金髪を靡かせ、その瞳には魔導の深淵を覗き込んだ者特有の、底知れない光が宿っている。


 「エレイン様、お越しをお待ちしておりました」

 学園長が額に汗を浮かべ、深々と頭を下げる。


 王国最高の賢者と謳われ、年齢も母様より二回り以上も上であるはずの老魔導師が、一介の貴婦人を前にして、蛇に睨まれた蛙のように震えていた。

 彼は知っているのだ。かつて戦場を更地にしたエレインの魔力が、老いなどという概念を置き去りにして、今この瞬間も絶頂期にあることを。


 「学園長。挨拶は不要よ。私がここに来た理由は一つ。私の宝物であるユウが、この学園で不当な殺意に晒されたという報告を受けたから」

 母様の手元で、一通の書類が青白い炎に包まれて消えた。


 「教団の工作員が紛れ込み、あろうことか精霊灯を落として事故を装おうとした。これを、学園側の過失ではないと言い張るつもりかしら?」



 「ユウ、こちらへ来なさい」

 母様、慈愛に満ちた、しかし絶対的な命令の響きを帯びた声で呼んだ。

 俺は学園長の青ざめた顔を横目に、ゆっくりと母様の前へ歩み寄る。

 母様は俺の両肩をそっと抱き寄せ、その指先で俺の頬を撫でた。


 「……顔色が良くないわ。昨日の無理が響いているのでしょう?」

 「大丈夫だよ、母様。少し熱を持っただけだから」

 母様は俺を自分の側に引き寄せたまま、再び学園長を冷徹に見据えた。


 「今日からこの学園の査察、および警備の全権はヴァルゼイド家が預かります。精霊祭の期間中、ユウに指一本でも触れようとする不届き者がいれば、その瞬間にその者の血筋すべてを、王国の魔導系譜から抹消させていただきます。あぁ、肉体そのものもね。これは警告ではなく、決定事項よ」


 一通りの宣告を終えると、母様の視線が、俺の背後で控えていたリーゼロッテへと向けられた。

 それまでの凍てつくような厳しさが嘘のように、母様の表情がわずかに和らぐ。

 「リーゼロッテ、こっちにいらっしゃい」

 「はい、エレイン様」

 リーゼロッテが優雅な所作で母様の前に歩み出た。

 「昨日からの騒動、さぞ心細かったでしょう。ユウを一番近くで支えてくれたのは、他ならぬあなただわ」


 「あなたの献身には感謝しているわ。あの子がこうして無事でいられるのは、あなたの細やかな気遣いがあってこそ。よくやってくれましたね」

 「も、勿体なきお言葉です、エレイン様。私はただ、ユウ様をお守りしたい一心で……」

 リーゼロッテの頬が、安堵と喜びで微かに赤らむ。


 母様は彼女の頭を、まるで実の娘を慈しむかのように優しく撫でた。

 「これからもユウの側にいて、その健やかな笑顔を守ってあげて。あなたになら、あの子の婚約者候補筆頭として、その隣を任せられるわ」

 「はい……!身に余る光栄に存じます、エレイン様。生涯を賭けて、ユウ様にお仕えいたします!」


 リーゼロッテに向ける母様の眼差しは、確かに温かいものだった。

 だが、その温かさの根底には、ユウという太陽を飾るための月として、彼女を完璧に認め、そして固定しようとするヴァルゼイド家特有の支配的な愛が透けて見えた。

 母様の公認を得たことで、リーゼロッテの立ち位置は、単なる婚約者候補ではなく、候補筆頭へと昇格したのだ。


 「学園長。今後の運営については、後ほどアルカイドから詳細な通達を送らせます。不服があるなら、王家か他の貴族に予算の工面を頼むことね」

 「め、滅相もございません……。すべてはヴァルゼイド家のご意向に従います」


 「……アルカイド」

 「御前に」

 老執事が音もなく現れ、控える。

 「学園の全施設を再検分しなさい。少しでも不潔な、あるいは危険な箇所があれば、即座に改修を。予算の心配は不要よ。教団から没収した資産が山のようにあるのだから」


 学園長室を出る際、俺はリーゼロッテと視線を交わした。

 彼女の瞳には、母様に認められたことへの確固たる自信と、俺へのさらに深い忠誠、そして未来への期待が宿っていた。


 「ユウ様、エレイン様が仰った通り、これからはより一層、私が皆様の悪意からお守りいたします。もう、誰にも触れさせはしません」

 リーゼロッテの声は柔らかく、それでいて揺るぎない決意に満ちている。

 俺の手を引く彼女の指先は、昨日よりも力強く、さらに熱を持っていた。


 学園は、一夜にしてヴァルゼイド家の聖域へと変貌を遂げた。

 俺を害しようとする者は物理的に消され、俺を恐れる者は精神的に屈服させられる。

 母様の圧倒的な武威と、リーゼロッテの献身的な愛。

 その二重の檻の中に、俺は静かに閉じ込められていく。


 「……ありがとう、リーゼロッテ。君がいてくれると、僕も安心だよ」


 俺がそう告げると、彼女は世界で一番幸せそうな微笑みを浮かべた。

 その微笑みが、これからの学園生活をどれほど特別すぎるものに変えてしまうのか、その時の俺はまだ、正しく理解できていなかったのかもしれない。


 中庭では、騎士たちが空の雲さえも監視している。

 不完全な因果がもたらした、完璧すぎる保護。

 俺は、その過剰な愛の重みに耐えながら、明日に控えた精霊祭がどのような祭典になるのかを考え、静かに目を閉じた。


 「ユウ様、お疲れですか?宜しければ、私の肩にお寄りください」

 リーゼロッテの甘やかな声が、俺を現世へと繋ぎ止めていた。

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