第035話 仕組まれた惨劇
異端審問軍の不当な介入を退けてから数日が経過したが、国立魔導学園を包む緊張感は緩和されるどころか、密度を増して生徒たちの呼吸を苦しめていた。
学園内では恒例の精霊祭に向けた準備が、まるで義務を遂行するかのように形式的に進められている。しかし、本来そこにあるべき浮き足立った華やかさは、どこを探しても見当たらなかった。
視界に入るのは、廊下の要所に立ち塞がるヴァルゼイド家の私兵たちの威圧的な姿。そして、俺の影を縫い合わせるかのように密着し、一切の自由を許さないゼノン兄様とサリア姉様の存在だ。
教団がバラ撒いたユウ・ヴァルゼイドは禍根を呼ぶという悪辣な噂は、家族が振るう圧倒的な武力と、執念に近い過保護によって、今や、触れてはならない禁忌として学園内に封じ込められていた。言葉を交わすことすら許されない空気に、潜伏していた教団の工作員たちは目に見えて焦燥を募らせ、その殺気は学園全体を歪ませるほどに高まっている。
「ユウ、今日の移動はすべて専用の馬車を使わせる。校舎間のわずかな距離であっても、お前を無防備に外へ歩かせるわけにはいかないからな。いいか、一歩でも離れるな。あんな下俗な連中と視線を合わせることさえ、お前には毒だ」
ゼノン兄様が、まるで戦場での作戦会議のような険しい表情で俺の予定表を墨で塗りつぶす。そこには俺の意思が介在する余地など一欠片も残されていない。
「そうよ、ユウ。精霊祭の式典も、貴方は一番安全な貴賓席の奥底にいてちょうだいね。姉様が学園の全魔力を動員した最強の遮断結界を張って、貴方を世界から隠してあげるから。……貴方はただ、綺麗なお花だけを見ていればいいのよ」
サリア姉様の瞳には、深い慈愛と同時に、俺が普通の講義を受けることすら「生命の危機」と混同しているような狂信的な色が宿っていた。
二人の守護本能は、教団の襲撃という火種によって臨界点を超えてしまったようだった。
そんな歪な静寂の中、教団はついに最後の一線を越えた。
俺を直接狙っても、ヴァルゼイドという名の鉄壁に阻まれると悟った彼らは、標的を俺の周囲へと切り替えた。俺の目の前で凄惨な犠牲者を出し、それを俺の呪いのせいにする。俺を社会的に抹殺し、その精神をへし折るための残酷なシナリオを力ずくで完成させようというのだ。
精霊祭の前夜祭、中庭に設置された巨大な精霊灯の周囲に、祭りの始まりを期待する多くの生徒たちが集まった、その瞬間だった。
不自然な魔力の揺らぎを、俺の存在しない左腕が敏感に察知した。
スローモーションの世界で、精霊灯を天井から吊るす太い鎖の因果の糸が、何者かの悪意ある指先によって、プツリと引き千切られるのが見えた。
「危ない!」
俺が叫び声を上げるのと同時に、数トンもの重量を持つ鉄製の精霊灯が、談笑していた一般生徒たちの頭上へと、死の顎を開いて落下を開始した。
それは魔法の暴走を装った、明白な殺意の行使。
逃げ惑う生徒たちの悲鳴が上がる中、ゼノン兄様とサリア姉様は瞬時に反応したが、彼らが真っ先に向かったのは生徒たちの救助ではなかった。二人は弾かれたように俺を庇い、その視界から凄惨な光景を隠すように立ちはだかった。彼らにとって、他人が何人死のうが、俺の瞳に不快なものが映らないことの方が優先されるのだ。
だが、ここで誰かが死ねば、教団の描いた『悪魔の子』の物語が完成してしまう。
俺の目の前で血が流れれば、それを口実に家族は俺を外界から完全に遮断し、日光さえ届かない深奥へと一生閉じ込めるだろう。それは家族による守護という名の、魂の死に等しい。
この檻の扉が完全に閉ざされるのを防ぐには、俺が、俺の手で、この不条理を書き換えるしかなかった。
俺はゼノン兄様の鋼のような腕を振り払い、弾かれたように一歩前へ踏み出した。
「ユウ、下がれ! 手を出すな!」
「ダメよ、ユウ! 行かせないわ、危ないから!」
背後から飛んでくる悲痛な制止の声。
それでも俺は止まらない。家族の制止に従うことは、彼らの望む「無力な、守られるだけの犠牲者」であることを受け入れることと同義だからだ。
意識を「無い」はずの左腕に集中させ、世界の理を上書きする。
|停滞する残響《エコー・オブ_ヘイロウ》。
これは、物事の『終わり』を無限に先延ばしにし、現状を維持する権能である。
落下する精霊灯と、死を覚悟して蹲る生徒たちの間に、誰の目にも見えないパサージュの鍵を使う。
物理的な衝突が起こる直前、事象が『終わり』を迎えることを世界の理が拒絶する。
空中で静止した巨大な鉄塊は、物理法則をあざ笑うかのようにその場に留まり、あたかも時間が凍りついたかのような異様な光景を現出させた。
「な、何だ……? 止まった……のか……?」
震えながら顔を上げた生徒たちの目に映るのは、ただ必死に手を伸ばし、祈るように立ち尽くしている俺の姿。
家族の目には、これが俺の計算された力だとは映らない。彼らにとっては、あまりの危急に無意識に発動し、偶然にも奇跡を起こしたようにしか見えていないのだ。
だが、俺の左腕からは激しい熱量と共に銀色の粒子が溢れ出し、崩れ落ちる精霊灯を支える不可視の支柱となっていた。さらに俺は、もう一つの権能『未完の救世主』を起動させた。
この鍵が司るのは、世界に存在する『欠落』と、それを埋める『対』の因果だ。
例えば、目の前に『切断された鎖』という『不完全な結果』があるとしよう。この世に理由のない破壊など存在しない。鎖が切れたという事実がある以上、そこには必ず、それを切った『刃』と『犯人の意志』という対になる原因が存在しているのだ。
この権能は、目の前の壊れた破片を起点に、見えない糸で繋がったままの犯人という情報を無理やり引きずり出す。
欠けたパズルを完成させるように、世界が『鎖の断面』から『犯人の居場所』へと因果の線を繋ぎ合わせてしまうのだ。
俺は鍵を深く回し、その因果の糸を逆流させた。
鎖を切った瞬間に犯人が放ったはずの破壊の衝撃を、今、そのまま犯人自身の肉体へと送り返す。
どれほど遠くへ逃げようと無駄だ。何かを壊し、世界に『不完全な状態』を作り出した時点で、その元凶は俺のパサージュの鍵から逃れることはできないのだから。
「ぐっ、あぁぁぁぁぁぁ!」
爆発的な衝撃と共に、物陰から工作員たちが転がり出る。
「見て!魔法の暴走じゃない。彼らが、わざと鎖を切ったんだ」
俺は震える指で犯人を指した。あくまで『恐怖の中で真実を指摘しただけの、守られるべき子供』を演じきらなければならない。
「……教団の犬どもめ。弟を陥れるために、罪なき生徒まで巻き込もうとしたか」
ゼノン兄様は、この奇跡すらも『ユウの奇跡による幸運』が生み出したものだと確信し、その瞳には犯人への殺意以上に、俺を二度と外に出すまいという暗い決意が宿った。
周囲の生徒たちは助かった安堵感に包まれていたが、俺を見る目は以前よりもさらに遠くなった。
「ユウ・ヴァルゼイドの近くにいれば、理外の奇跡が起きる。だが、それはあまりに不気味で、近寄りがたい」
その畏怖は、家族の『もう一歩も外へは出さない』という独占欲を正当化させる強力な材料となっていく。
「……笑うがいい! これですら聖絶の序曲だ!」
捕らえられた工作員が狂ったように叫ぶが、サリア姉様の冷気がその口を即座に凍りつかせた。
俺は、自分の周囲に築かれた透明な檻が、さらに分厚く、強固になっていくのを感じていた。
俺が檻を壊すために振るった力が、皮肉にも家族に『こんなに危うい子を一人にしておけない』という口実を与えてしまう。
俺は左腕に宿る、誰にも言えない秘密を抱えたまま、夜空に浮かぶ冷たい月を見上げた。
真実を隠したまま、過剰な愛という名の呪縛の中で、俺は次なる鍵をどこに差し込み、この閉ざされた物語を書き換えるべきか、静かに思索を巡らせるのだった。
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