第032話 断罪の軍勢
国立魔導学園の朝は、重厚な金属音と地を揺らす軍靴の響きによって無惨に引き裂かれた。
正門を包囲したのは、聖教団が誇る最高戦力、異端審問軍である。
純白の甲冑に身を包んだ数千の兵士たちが、禍々しいまでの魔力を放つ槍を揃え、学園を完全な封鎖下に置いていた。
空には巨大な魔法陣が展開され、外部との通信も転移魔法も完全に遮断されている。
「国立魔導学園に告ぐ!貴公らは、主の代行者たる執行官カシウスを殺害した異端者を隠匿している!」
軍の先頭に立つ審問官の声が、拡声魔法によって校舎全体に響き渡った。
「今すぐユウ・ヴァルゼイドの身柄を引き渡せ!さもなくば、この地を浄化の炎で焼き尽くし、全生徒を悪魔の協力者と見なして処断する!」
あまりにも理不尽な通告に、学園内はパニックに陥った。
窓から外を覗く生徒たちの顔は恐怖に引き攣り、あちこちで悲鳴が上がっている。
俺は学生寮のラウンジで、冷え切った紅茶のカップを静かに見つめていた。
教団の対応は、俺の予想よりも一段と強引なものだった。
カシウスの死を悪魔の仕業と断定することで、彼らは学園への武力介入という暴挙を、神の名の下に正当化しようとしている。
彼らにとっての真実とは、主神の権威を守るために都合よく書き換えられた解釈の積み重ねに過ぎない。
「ユウ様、大変なことになりました……。審問軍が、本当に火を放とうとしています」
リーゼロッテが真っ青な顔で俺の元へ駆け寄ってきた。
彼女の細い指先は、小刻みに震えている。
「公爵様やエレイン様、ゼノン様、サリア様も学園の応接室で足止めを食らっているようです。教団は、ヴァルゼイド家ごと葬り去るつもりかもしれません」
「大丈夫だよ、リーゼロッテ。僕たちが怯えれば、それこそ彼らの思う壺だ。いつも通り、冷静に対処しよう」
俺は左腕を意識しながら椅子から立ち上がった。
銀色のパサージュの鍵が、俺の意識の底で冷たく共鳴している。
教団が数千年の歴史の中で積み上げてきた聖域という概念。
それは、彼らが信じる正義以外を排斥し、自分たちの都合の良い事実だけを記録に残してきた強固な歴史の集積だ。
だが、その歴史そのものが『支払い』を済ませていない不当な借金だとしたらどうだろうか。
俺はラウンジの窓を押し開け、立ち込める煙の向こう側にある軍勢を睨みつけた。
「……ユウ。無事だったか」
廊下の向こうから、鋭い殺気を隠そうともしないゼノン兄様が姿を現した。
その隣には、優雅ながらも瞳の奥に烈火を宿したサリア姉様もいる。
「兄様、姉様。父様たちは?」
「父様と母様なら、学園長室で審問官の鼻柱を叩き折っているところだ。あの二人を力で抑え込めると思っているのなら、教団も随分と甘く見られたものだな」
ゼノン兄様が不敵に笑い、腰の剣の柄を強く握りしめた。
「だが、外の軍勢は本気だ。浄化の光のチャージが始まっている。発動すれば、学園の結界ごと俺たちは蒸発するだろう」
「それなら、その光を代償として受け取らせてもらおうかな」
俺は短く答え、中庭へと向かって歩き出した。
「ユウ、待ちなさい。私が露払いを担当してあげる。あんな不潔な軍勢に、貴方の純粋な空気を汚させはしないわ」
サリア姉様の周囲で、青白い魔力の燐光が舞い踊る。
彼女の本気は、山一つを更地にするほどの破壊力を秘めている。
だが、今回の相手は物理的な武力だけでは不十分だ。
教団の『理』そのものを打ち砕かなければ、この不条理な連鎖は止まらない。
中庭に出ると、そこには黄金の法衣を纏った枢機卿ベネディクトが、空中に浮遊する円盤の上から見下ろしていた。
「出たな、悪魔の申し子。ユウ・ヴァルゼイドよ、貴公の存在こそがこの世界の調律を乱す不協和音だ。主の名において、その魂を虚無へと帰してくれよう」
「調律、か。随分と都合の良い言葉を使うんだね」
俺は一歩前に出て、傲慢な枢機卿を正面から見据えた。
「君たちが守ろうとしているのは神の秩序じゃない。自分たちの権威という名の、継ぎ接ぎだらけの虚飾だ。その大軍勢も、浄化の炎も、本質的には恐怖で人を縛り付けるための道具に過ぎない」
「黙れ!不信者が聖なる業を語るな!全軍、浄化の法陣を起動せよ!」
枢機卿の合図と共に、数千の兵士が一斉に詠唱を開始した。
空に浮かぶ魔法陣が、網膜を焼くほどの白光を放ち、一点へと収束していく。
それは単なる熱量ではなく、対象を『無』へと還す概念破壊の輝きであった。
「ユウ、下がりなさい!」
ゼノン兄様とサリア姉様が俺の前に立ち、多重の防御障壁を展開しようとする。
リーゼロッテも、必死に祈るような表情で杖を構えた。
だが、俺は彼らの背後から静かに左手を伸ばした。
俺が選択したのは、かつて失った命と左腕という絶大な負債を盾に、世界へ無理難題を強いる権能だ。
因果の天秤。
俺はすでに『死』という、人間が支払える最大級の対価を前払いしている。
この世界が公平であるというのなら、今この瞬間に俺を殺そうとする数千の光など、すでに支払い済みの代償の前では無価値に等しい。
「俺はもう、十分に失っている。だから、この程度の奇跡、タダで受け取らせてもらうよ」
俺が虚空で指を弾いた瞬間、眩い白光を放っていた魔法陣のエネルギーが、霧が晴れるように急激に減衰し始めた。
「な、何だと……!?術式が消失した……いや、吸い込まれているのか!?」
枢機卿が悲鳴のような声を上げた。
数千人の魔力を集束させた浄化の光は、俺の左腕へと吸い込まれ、そのまま何の現象も起こさずに虚無へと消えていった。
世界が、俺の支払った『死』という対価に対し、この程度の攻撃を無効化することで帳尻を合わせようとしたのだ。
審問軍の兵士たちは、自分たちの放った魔力が何の手応えもなく消えたことに戦慄し、槍を落としてその場にへたり込んだ。
「奇跡なんて、どこにもない。あるのは、不完全な人間が不完全な神を作り上げたという、滑稽な事実だけだ」
俺の声は、混乱に陥った審問軍の隅々にまで冷徹に届いていた。
「ユウ……お前、今のは……」
ゼノン兄様が呆然とした様子で、俺を見つめている。
サリア姉様もまた、言葉を失ったように立ち尽くしていた。
リーゼロッテは、ただ涙を浮かべて俺の無事を確かめるように寄り添っている。
「ユウ!」
校舎から、拘束を自力で振り払った父様と母様が悠然と現れた。
「はっはっは!見ろ、ベネディクト!我が息子の一言で、お前たちの自慢の軍勢がこのザマだ!ヴァルゼイド家を異端と呼ぶなら、まずはその腐った根性を叩き直してからにするんだな!」
父様の地を這うような怒号が、トドメを刺すように響き渡った。
枢機卿は顔を真っ青にし、ガタガタと震えながら敗走の命令を下した。
「おぼえていろ……!ヴァルゼイドめ、この屈辱は……必ず……!」
捨て台詞と共に、最強を誇った異端審問軍は、蜘蛛の子を散らすように学園から去っていった。
後に残されたのは、不自然なほど静まり返った学園と、冷たく澄み渡った朝の空気だけであった。
「ユウ、本当に凄いわ……。お姉様、もう言葉もないわ」
サリア姉様が俺を抱きしめ、愛おしそうに頬を摺り寄せてくる。
「お前は、俺たちの想像を遥かに超える場所にいるんだな。誇らしいよ」
ゼノン兄様も、感銘を受けたように俺の肩を強く叩いた。
俺は家族の温もりに包まれながら、遠ざかる教団の不穏な気配を感じていた。
「これで終わったわけじゃないよ。彼らはまた、別の理由をでっち上げてくるだろうからね」
過保護な家族と、自分の中に眠る未知の理。
この世界がどんなに不条理で歪んでいようとも、俺の左腕がその隙間を捉え続ける限り、誰にも俺の大切な居場所は奪わせない。
俺は深く息を吐き、ようやく訪れた静かな朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
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