第031話 未完の審判
学園の渡り廊下に、不吉な魔力の波動が渦巻いていた。
夕闇を切り裂くようにして振り下ろされた異端執行官カシウスの大剣は、大気を焦がす不浄な炎を纏い、俺の頭上へと迫る。
それは単なる物理的な斬撃ではない。
教団が『完膚なきまでの断罪』と呼ぶその術式は、対象の肉体のみならず、その存在を支える因果の糸さえも焼き切る、宗教的処刑術の極致であった。
周囲には、不気味なほどに人影がない。
放課後の喧騒はどこへ消えたのか、風の音さえも遮断されたような静寂が、この場所を世界から切り離された異空間のように変貌させていた。
カシウスがあらかじめ展開した、認識阻害と結界の術式によるものだろう。
助けを呼ぶ声も、目撃者の視線も届かない死の檻の中で、カシウスは勝ち誇ったように笑みを浮かべていた。
「消えろ、神の敵め!」
カシウスの咆哮と共に、炎の奔流が俺を飲み込もうとしたその瞬間、俺は静かに左腕を掲げた。
俺にしか見えない銀色のパサージュの鍵が鋭く回転を始める。
今回、俺が意識の層で選択したパサージュの鍵は、自身の左腕が物理的に存在しないという”欠損”そのものを理に転じる、未完の救世主である。
この世界において、神ならぬ人の手が作り上げたものに完璧など存在しない。
どれほど強大な魔法であろうとも、それを構成する数式の末端には、必ず論理的な隙や微細な不備という未完成な傷口が残るのだ。
俺の左腕は、その未完成な部分を正確に捉え、強制的に操作する。
相手を完成へ導くのではなく、未完成ゆえの脆さを一点に集約させ、崩壊という形での終焉へと無理やり固定する力。
俺はカシウスが放つ炎の術式に生じていた、論理の継ぎ目という名の欠損に、不可視の鍵を深く差し込んだ。
「……見苦しいね。信仰という名の盲信で補強しているようだが、その術式、接続部があまりにも脆い」
俺の冷静な声が、爆音を突き抜けてカシウスの耳に届く。
俺の視界には、カシウスが放つ炎の術式の不完全な継ぎ目が、黒い亀裂のように浮き彫りになって見えていた。
俺はその亀裂を、こじ開けるように鍵を回す。
「な、何をした……!?私の炎が、なぜ届かない!」
カシウスの驚愕も無理はなかった。
俺の鼻先まで迫っていた断罪の炎は、物理法則を無視して凍結したかのように静止し、次いでガラス細工が砕けるような音を立てて霧散したのである。
俺は一歩、また一歩と、炎の残滓を踏みしめながら執行官へと近づいていく。
「君たちの術式は、神という絶対的な完成形を前提に組まれている。だが、それを行使する君自身は不完全な人間だ。理想と現実、その解離こそが君の最大の欠損だよ。カシウス。君は神の代行者を演じることで、己の空虚さを埋めようとしている。その歪んだ精神構造が、そのまま術式の脆弱さに直結しているんだ」
「黙れ!私が、私の信仰が不完全だと抜かすか!」
カシウスは逆上し、再び大剣を構え直した。
魔力を限界まで絞り出し、己の肉体を触媒にしてさらなる術式を展開しようとする。
だが、その焦りこそが俺の狙い通りであった。
「もう遅いよ。君の術式は、今この瞬間に『自壊』という完成形へと向かい始めた」
俺がパサージュの鍵をさらに深くねじ込み回すと、カシウスの全身から吹き出していた炎が、不自然な逆流を始めた。
本来ならば外側へと向けられるはずの破壊のエネルギーが、術式の不完全な接続点を通って術者であるカシウスの体内へと還流していく。
未完の救世主の理により、カシウスが抱えていた信仰の揺らぎという名の未完成な隙間が一気に拡大されるのだ。
「ぐ、あぁぁぁ!?身体が……私の、神聖なる力が逆流する……!」
カシウスの皮膚の下を、どす黒い炎の筋が這い回る。
血管が浮き出し、瞳は恐怖と苦痛に染まった。
彼がこれまで異端を焼き尽くしてきた『断罪の炎』が、今度は彼自身の臓腑を内側から焼き始めたのだ。
「助けて……くれ……。主よ、なぜ私をお見捨てになるのです……!」
「神が君を捨てたんじゃない。お前が自分の手の中にあったはずの人間性を捨てただけだ」
俺は倒れ伏すカシウスを見下ろし、慈悲のない事実を突きつけた。
「完成された正義なんて、この世には存在しない。お前は不完全であることから逃げ、偽りの完成品を求めた。その結果が、この無惨な自壊だよ。お前の肉体も、お前の誇りも、その術式と同じように最初から継ぎ接ぎだらけだったんだよ」
カシウスの絶叫が静まり返った渡り廊下に響き渡り、やがて彼は塵となってその場に崩れ落ちた。
物理的な死ではなく、その存在を定義する不完全な術式が暴走した末に、存在そのものが解体されたかのような最後であった。
残されたのは、ひび割れた黒い十字架の大剣だけだった。
「……終わった」
俺が呟くと同時に、周囲を覆っていた不自然な静寂が霧散した。
遠くから生徒たちの笑い声や、部活動に励む掛け声が聞こえ始める。
まるで、今までの時間が白昼夢であったかのように、世界が日常の色を取り戻していく。
その変化を察知したのか、離れた場所で別件に当たっていたゼノン兄様とリーゼロッテが、血相を変えてこちらへと走ってくるのが見えた。
「ユウ様……!お怪和はありませんか?急に、貴方の気配が消えたような気がして……」
リーゼロッテが震える手で俺の肩を掴み、何度も無事を確認する。
「ユウ、何があった。この不吉な魔力の残滓は……。まさか、教団の刺客か?」
ゼノン兄様が抜剣せんばかりの勢いで周囲を警戒するが、そこにはもはや灰一つ残っていない。
「大丈夫だよ。少し、魔法の暴走に巻き込まれそうになっただけだ」
俺は左腕の袖を整え、穏やかな微笑みを浮かべた。
その夜、学園の一角で起きた事象は、公式には実験魔法の暴走による自爆として処理されることになった。
だが、聖教団の中枢には、一人の無力な少年が執行官を瞬殺したという事実が戦慄と共に伝わっていた。
聖女に続き、執行官までもが、ユウ・ヴァルゼイドという名の深淵に飲み込まれたのである。
寮の自室に戻った俺は、窓から見える月を眺めていた。
(完成を目指せば目指すほど、世界は壊れていく。皮肉なものだね)
左腕の欠損部分に、微かな熱が宿っている。
未完の救世主。
その力を使うたびに、周囲からの過保護は強まり、俺はますます『不憫で守られるべき存在』として認識されていくだろう。
だが、それでいいと俺は思っている。
誰にも気づかれぬまま、この不完全な世界を自身の鍵で少しずつ書き換えていく。
それこそが、転生という数奇な運命を背負った俺の唯一の正解なのだから。
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