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欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: スフィーダ


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第028話 偽りの福音

 国立魔導学園に、春の陽光とは不釣り合いな冷厳な空気が流れ込んだのは、昼下がりのことだった。

 正門から悠然と現れたのは、純白の法衣に身を包んだ一団。その中央を歩くのは、大陸全土に信徒を持つ聖教団の象徴、聖女エレナだった。

 彼女が歩くたびに周囲には芳醇な花の香りが漂い、その背後には神の加護を体現するかのような淡い後光が差している。

 だが、俺の目にはその光が、あまりに作為的な演出にしか見えない。それは、他者の精神を摩耗させるためだけの舞台装置にしか見えない。


「フェルトン嬢。主の御導きにより、貴女を迎えに参りました」


 エレナは慈愛に満ちた笑みを浮かべ、俺たちの前に立った。

 その視線は、隣に立つリーゼロッテに射抜くように向けられている。先日の再鑑定において、カサンドラの『真理の鏡』さえも揺るがせた彼女の魔力の胎動。その清浄な魔力の噂を聞きつけた教団が、彼女を『聖なる器』として独占しようと、なりふり構わず動き出したのだ。


 学園長や教官たちさえも、教団の権威の前には容易に口を出せない。聖女の背後に控える聖騎士たちは、既に無言の圧力で周囲を包囲している。リーゼロッテは不安げに、俺の袖を掴んだ。彼女の指先が、小刻みに震えている。


「ユウ様、私……」

「大丈夫だよ、リーゼロッテ。君が望まない場所へ行かせるつもりはない」


 俺の言葉に、聖女エレナの端正な眉が微かに動いた。


「公子、これは神の思し召しなのです。その娘が宿した純粋な魔力の種は、卑俗な人の世で扱うにはあまりに危うい。彼女を聖都へ連れ帰り、神の秩序の下で管理することこそが、この世界にとっての正解なのです」


 エレナが掲げた黄金の杖から、眩いばかりの光が放たれた。

 それは見る者の戦意を削ぎ、強制的に平伏させる精神干渉魔法。周囲の学生たちが次々と膝をつき、祈りを捧げるような恍惚の表情を浮かべ始める。リーゼロッテまでもが、その重圧に跪く。


 だが、俺にはその光は通用しない。

 信仰という名のフィルターを通し、個人の意志を磨り潰して一つの規格に従わせる。それは世界の調律などではなく、ただの暴力的な上書きに過ぎない。


「神の秩序……か。随分と一方的な言葉だね。聖女様、君が今行っているのは救済ではなく、思考を放棄を強いる強制執行に過ぎないよ」


 俺の静かな否定に、エレナの微笑が凍りついた。


「不遜な!主の光を拒むというのですか?」


「拒んでいるんじゃないさ。その光の構造が欠陥品だと言っているんだよ。信仰という名で誤魔化しているが、その本質はただの隷属魔法だろ?神の名を語りながら、実際には個人の自我を摩耗させて、教団にとって都合の良い部品へと作り変える。それを正解と呼ぶ君たちの傲慢さには、驚きを通り越して欠伸が出るよ」


 俺の言葉は、中庭全体へと響き渡っていた。聖騎士たちが怒りに顔を赤くし、剣の柄に手をかける。だが、俺は構わずに続けた。


「リーゼロッテの持つ力は、生命を育み、多様な可能性を肯定するものだ。それを一つの秩序に押し込め、管理下に置くという行為自体が、彼女の才能に対する最大の冒涜だということに気づかないのかな?自分の教義を維持するために他者の才能を奪わなければならないのなら、君たちの神とやらは、随分と貧弱で余裕のない存在なんだね」


「黙りなさい!貴公のような魔力を持たぬ者に、何がわかるというのです!」


 エレナが激昂し、杖を突き出した。放たれる光圧がさらに強まるが、俺は一歩も引かなかった。


「魔力がないからこそ、本質が見えるんだよ。君の奇跡は結局のところ、信者の盲信という名の魔力供給がなければ維持できない。客観的な論理性を欠いた蜃気楼だね。君が掲げる教義とやらは、他者の犠牲の上に成り立つ極めて利己的な仮説に過ぎない。そんな脆弱な論理で、一人の少女の人生を縛れると本気で思ってるのか?」


「な……なんですって……!?」


 エレナの顔から余裕が消え、眉間には深い皺が刻まれた。


「君は聖女という()()()()()に守られているだけで、その実、中身は空っぽだ。神の代弁者を自称しながら、実体はただの教団の拡声器だよな。リーゼロッテのような本物の才能を前にして、自分という器の小ささが露呈するのが怖いんだろう?救済という甘い言葉で包み隠した、醜悪な嫉妬だよ、それは」


「黙れ……黙れ黙れ黙れ!私が、私が嫉妬しているというの!?この崇高な私が、そんな卑俗な感情に支配されていると!」


 エレナの肩が激しく上下し、握りしめた杖がミシリと音を立てる。


「事実を指摘されて激昂するのは、認めているのと同義だよ。君の言葉には真理がない。あるのは自分こそが世界の中心でなければならないという幼い独占欲だけだ。君がどれほど美しく装おうとも、その根底にあるのはドロドロとした承認欲求の塊だ。そんな不浄なものに、リーゼロッテを触れさせるわけにはいかない」


「あああああ!ありえない!認めないわ!こんな、こんなことがあってはならないのよ!」


 突如、エレナは自身の頭を掻きむしり、喉を引き裂くような叫び声を上げた。


「何よ……何なのよ貴方!魔力も持たない出来損ないのくせに!私の、私の完璧な人生に土足で踏み込んで!よくも、よくもそんな口が叩けたわね!」


 彼女は手に持っていた黄金の杖を、まるで幼子が駄々をこねるように、何度も、何度も地面へと叩きつけた。ガラン、ガランという硬質な音が中庭に響き、精緻な装飾の宝石が剥がれ飛び、聖なる象徴が無惨に破損していく。


「忌々しい!忌々しいわ!どうして私の思い通りにならないの!?跪きなさいよ!謝りなさいよ!神の火で焼き尽くしてやるんだから!」


 エレナは髪を振り乱し、よだれを垂らしながら地団駄を踏み、ヒステリックに叫び続けた。かつての淑やかな仕草はどこへやら、彼女は大地を何度も強く蹴り、周囲を威嚇するように腕を振り回す。その貌は怒りと屈辱で真っ赤に染まり、目は血走って焦点が定まっていない。


「なんなのよ!全員、私の足元に跪くべきなのよ!私が正解なの!私が神なのよ!それを、それを貴方みたいな不気味なガキが!嫌!嫌よ!認めない、こんなの認めないわ!私は聖女なの!誰よりも、誰よりも尊い存在なのよ!」


 ただ己のプライドを粉々に砕かれたことに耐えられない、未熟な女の凄惨な癇癪がそこにはあった。


「おぼえていなさい……。必ず、必ず後悔させてやるわ……。ヴァルゼイド……貴方の全てを、この手で……!」


 俺は、もはや聖女を振り向くこともなく、リーゼロッテの手を引き、その場を後にした。


――――

 その日の夜、公爵邸に戻ると、事の顛末を聞きつけた父様が豪快な笑い声を上げていた。


「ハッハッハッ!あの傲慢な教団の鼻を明かしたか!流石は我が息子だ。ユウ、お前が守ったリーゼロッテは、今やヴァルゼイドの宝も同然。教団が何と言おうと、このガルドが全身全霊をもって跳ね返してやろう!」


「父様、ありがとう」


 母様も、俺の言葉による勝利を熱烈に称賛し、リーゼロッテを優しく抱きしめていた。サリア姉様はいつにも増して過保護に俺の身体中を点検し、どこも欠けていないことに安堵の表情を浮かべていた。


「ユウ、本当に見事だったわ。言葉だけであの聖女を退けるなんて、誇らしくて涙が出そうよ。でも、次はもしものことがあったら、私が教団ごと消してあげるからね」


 サリア姉様の物騒な発言に苦笑しながら、俺は暖かい紅茶を啜った。リーゼロッテは、庭園の月明かりの下で俺に言った。


「ユウ様、私、もっと強くなりたいです。あの聖女様のように、自分の弱さを神様のせいにするのではなく、自分の足で立てるように」


「もう十分、強くなっているよ」


 不信を、確信へ。偽りの福音を、真実の対話へ。

 どんなに高く吠える偽りの神が相手だろうとな。

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