第020話 十歳の春
ヴァルゼイド公爵家の三男として、この世界に産声を上げてから十年の月日が流れた。
この国の教育体系は、王国の礎を築く指導者を育成すべく、極めて厳格かつ段階的な階梯を設けている。十歳からの一年間は基礎教養を叩き込む『初等教育』、続く十一歳からの中等部、さらに専門性を高める高等部を経て、最終的には国家の心臓部を担うプロフェッショナルを輩出する専門教育へと至る。
その入り口となる国立魔導学園初等部への入学試験は、貴族の子弟にとって、己の家門の価値を証明し、一生を左右する最初の、そして最も残酷な試練であった。
俺の左肩にある欠損は、この十年という歳月を経て、万象の扉を解錠するための『パサージュの鍵』としての権能を完璧に確立させていた。俺はこの見えない鍵を用い、邸内の防衛機構を最適化し、家族の命の律動を密かに調整することで、公爵邸を一つの完成された聖域へと昇華させてきたのである。
入学試験当日。ヴァルゼイド公爵邸の正面玄関には、いつにも増して重厚な空気が漂っていた。十歳を迎え、幼子の面影が消え、静かな鋭さを帯び始めた俺の肩を、父様がその強靭な手で力強く叩いた。
「ユウ。お前が学園に通う日が来るとはな。お前がその才をひけらかす必要はないと思っている。だが、ヴァルゼイドの名を汚す輩がいれば容赦はするな。お前の左腕を嘲笑う者がいれば、その家門ごと、歴史の表舞台から消し去ってやろう」
父様の言葉には、息子への狂おしいほどの誇りと、相変わらずの過保護な威圧感が同居していた。傍らで見守る母様も、潤んだ瞳で俺を見つめている。
「ユウ、お友達と仲良くするのですよ。もし意地悪をされたら、すぐにこの魔導通信機を鳴らしなさい。母様が親衛隊を率いて、その子の実家へご挨拶に伺いますからね」
母様の視線の先には、同じく十歳に成長したリーゼロッテが控えている。あの日、子爵へと陞爵したフェルトン家の令嬢である彼女は、今やこの公爵邸の住人となっていた。
きっかけは、父であるフェルトン子爵が、陞爵後の激務により多忙を極めたことだった。母様は、その隙を見逃さず、なかば脅迫に近い勧誘をフェルトン家へ突きつけたのだ。
「大切なお友達であるリーゼロッテさんを、警備の薄い子爵邸に置いておくなんて危なくて仕方がありませんわ。まさか、私共の厚意を無下にはなさいませんわよね?」
微笑を崩さぬまま、背後に公爵家の威光をちらつかせたその提案に、子爵が首を縦に振る以外の選択肢はない。こうしてリーゼロッテは、俺の友人として公爵邸で寝食を共にすることになったのである。
「ユウ様、ご準備はよろしいでしょうか。私、精一杯頑張ります」
彼女の声には、かつての卑屈さは微塵もなく、自分の家門を救ってくれた俺への揺るぎない献身が宿っている。
学園の正門を潜ると、そこには王国中から集まった若き才能たちが溢れている。ヴァルゼイドの家紋を冠した漆黒の馬車が現れると、喧騒に満ちていた広場が一瞬にして静まり返る。だが、その沈黙は長くは続かなかった。俺とリーゼロッテが馬車を降りると、周囲の受験生たちの間で、抑えきれない囁き声が波のように広がっていった。
「おい、あれが例の……ヴァルゼイド家の不具の公子か」
「ああ。魔力も持たず、左腕もないという噂のな。不憫を通り越して不吉だぜ」
「見てみろよ、受験の列に並んでる。魔力ゼロの癖に、何の冗談だ?」
強化された俺の聴覚には、彼らの悪意に満ちた好奇心が鮮明に届いていた。俺は一瞬だけ足を止め、隣で拳を握りしめ、震えているリーゼロッテを振り返った。
「気にしなくていい、リーゼロッテ。彼らはただ、自分たちが理解できないものを恐れているだけだろよ。前だけを見ていればいい。君の隣には、僕がいるだろ?」
俺が静かに声を掛けると、彼女はハッとしたように顔を上げ、深い安堵と共に頷いた。
午前の第一試験は、教養と魔導理論を問う筆記試験であった。静まり返った試験会場で、俺はペンを走らせる。かつての世界で建築士として培った論理的思考と、この十年間で解読した書庫の知識を総動員すれば、提示された問題はあまりにも幼稚であった。俺は周囲の受験生が呻き声を上げている間に、全回答を完璧に埋め、静かに席を立った。
続いて行われた魔力適性検査では、測定用の水晶球が俺の鍵の余波に耐えきれず、粉々に砕け散るという事態を招いたが、俺は驚愕する試験官たちを尻目に、悠然と会場を後にした。
そして午後。試験の山場である、自律型魔導人形を用いた模擬戦闘が始まった。
周囲の野次は最高潮に達していた。魔力を持たぬ公子が、戦闘人形に無残に踏み躙られる姿を期待しているのだ。
「水晶が壊れたのは偶然だろ。見てろよ、実技になればボロが出る」
「そうだ、魔力がない奴に何ができる。あの女に泣きつくだけさ」
戦闘開始の合図と共に、重装甲を纏った魔導人形が地面を爆ぜさせ、俺を目掛けて突進してきた。圧倒的な質量が迫る中、俺は右手を無造作にかざした。
「ハハッ! 見たかよ、あのポーズ! 魔法も使えないのに格好つけてやがる!」
(ちょっと、うるさいな。少しだけ、観客にサービスしてやろうか)
その嘲笑を打ち消すように、俺は欠損した左腕から『パサージュの鍵』を引き抜く。万象を司る仕組みに干渉する、人知を超えた神威を、あえて視覚化する。
ドォォォォォン……!
突如として、俺の左肩から立ち昇ったのは、銀色の粒子が渦巻く巨大な腕の幻影である。その圧倒的な存在感、神々しくも禍々しい魔力のプレッシャーが、演習場全体を圧壊せんばかりに襲う。空間そのものが『ひれ伏せ』と命じているかのような静圧が、居並ぶ受験生たちの魂を直撃した。
「な、なんだ……あ、あの腕は……!?」
「息が、できない……っ!? これが、魔力がないと言われた男の力なのか!?」
俺は左手のパサージュの鍵を使い、人形の動力核に繋がる見えない扉へ、鍵を差し込み回す。
カチッ。
ただそれだけで、人形の突進は不自然に逸れ、重力に逆らうようにバランスを崩して前のめりに倒れ込んだ。金属が軋む絶叫のような音が響き、大地が大きく揺れる。
「今だ!リーゼロッテ。君が育んできた力を見せてやれ!」
俺の指示に従い、彼女は迷いなく前へ出た。彼女が両手を広げると、殺風景な演習場の石畳から、猛烈な勢いで巨大な蔓が噴き出した。それは人形の四肢を瞬く間に絡め取り、凄まじい緊縛力で装甲をひしゃげさせていく。
仕上げに、蔓の先から幾百もの純白の花が咲き乱れ、狂暴な戦闘兵器を、一晩で現れたかのような壮麗な花の彫像へと変貌させた。
会場は、死を思わせる静寂に包まれた。
俺は静かに左腕の幻影を収めると、恐怖のあまり失禁し、あるいは膝を突いて震えている貴族家の子息たちを、冷めた一瞥で射抜いた。
(ちょっと、サービスしすぎたかも知れないな)
試験を終え、夕暮れ時の学園の回廊を歩きながら、リーゼロッテが深々と溜息を吐いた。
「終わりましたね、ユウ様。私、ユウ様が道を作ってくださったのが分かりました。あの瞬間のユウ様の背中、一生忘れません」
「君の魔法が強かっただけだ、リーゼロッテ。これからが本番だな」
俺は学園の奥に鎮座する、巨大な魔導図書館の塔を見上げた。
十歳の初等教育。俺はこの学園という舞台で、不憫な公子の皮を被りながら、世界という巨大な仕組みの断片を、一つずつ手中に収めていくつもりだ。
報告を心待ちにしているであろう家族の顔を思い浮かべながら、俺は新たな一歩を踏み出したのだ。
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