閑話 四家の没落と繁栄
王都ヴァルゼイドを南北に貫く白石の目抜き通り。あの日、並木の若葉を揺らしたのは柔らかな春風ではなく、王国元帥ガルド・ヴァルゼイドが放った、万軍を凍りつかせる剥き出しの殺気であった。
事の端緒は、傲慢な名門貴族の嫡男たちが仕掛けた、卑劣な待ち伏せに過ぎない。アトウッド伯爵家のレオを筆頭とする少年たちは、自らの特権意識を拠り所とし、不憫な公子の友人として認められた当時のフェルトン男爵の馬車を路上で遮った。彼らが投げつけた不浄な泥の種という罵倒、そして指先に灯した火球による恫喝。それは、一介の弱小貴族に向けられた『よくある嫌がらせ』として処理されるはずのものだった。
だが、彼らは致命的なまでに知らなかった。その古ぼけた馬車の中に、自らの魂の光である末息子ユウを愛し、その友人を守らんと誓った覇王が同乗していたことを。
「……誰の名を汚すと、今、そう言った?」
ガルドが馬車から降り立った瞬間、アトウッド、チェスター、ロウェルの三家が築き上げてきた歴史は、事実上の終焉を迎えたのである。ガルドが怒ったのは、単なる路上での小競り合いに対してではない。自分が友と認め、妻や息子たちが絆を結んだ賓客に対し、盗賊紛いの待ち伏せをして暴言を吐いたその不敬に、王国元帥としての、そして一人の父としての逆鱗が触れたのだ。
その後、ありったけの財宝を抱えて謝罪に訪れたのだが、公爵家当主ガルドは「二度とその顔を私に見せるな」とだけ言い、追い払われたのである。
ガルドが放ったその宣告は、法的処罰よりもはるかに重く、逃げ場のない存在の抹消を意味していた。
――――
アトウッド伯爵邸の内部は、あの日を境に、血の通わぬ邸宅へと変貌した。真っ青な顔で帰宅した父親を待っていたレオに、父の怒号がぶつけられる。
「貴様の、貴様のせいで我が家は終わったのだぞ、レオ!」
伯爵は、震えの止まらないレオの胸倉を掴み上げ、床に叩きつけた。かつては跡取りとして甘やかされていたレオは、今や一族を破滅へ導いた呪子として、実の父から忌み嫌われる存在となった。伯爵は、ガルド公爵から受けた『顔を見せるな』という言葉の重圧に耐えかね、その恐怖と苛立ちのすべてを息子へとぶつけた。
レオは自室に閉じ込められ、食事さえ扉の隙間から差し入れられるだけの囚人となった。
毎日、壁越しに聞こえるのは、父が酒に溺れながら叫ぶ『お前のせいで!』という呪詛の言葉。
かつては王都の羨望を集めた美貌も、数年にわたる軟禁生活で青白く痩せこけ、その瞳からは魔導師としての未来が完全に失われてしまった。
彼は狂うことさえ許されぬ正気のまま、自分がフェルトンへ投げつけた『泥』という言葉が、今の自分たちにこそ相応しい現実を、何年もかけて骨の髄まで叩き込まれることとなったのだ。
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チェスター子爵家もまた、同様の、あるいはそれ以上の地獄を彷徨っていた。
あの日、レオに同調して膝を突いた嫡男は、父である子爵からヴァルゼイドの怒りを買った無能として、公式な記録からその名を消され、日光の届かぬ地下の小部屋へと幽閉された。
チェスター子爵は、ガルドの沈黙に耐えきれず、自らの手で家系を解体し始めた。『許しを得るには、捧げ続けるしかない』という強迫観念に突き動かされ、彼は私財を切り売りし、頼まれてもいない謝罪の品を、公爵家の友であるフェルトン家へと送り続けた。
三家が公爵邸へ呼び出された際に『置いて出て行け』と命じられ、略奪同然に差し出した魔石や土地の権利。
それだけでは足りないと、チェスター子爵は一族に伝わる名馬、歴史ある美術品、果ては一族の女たちが身につける宝石までもを次々とフェルトン領へと運び込ませた。だが、返らぬ返信、拒絶される謝罪。チェスター家は、一方的に資産を吸い上げられるだけの乾いた搾りかすへと成り果てた。かつて社交界を彩ったその家名は、今や誰もがその関わりを否定する呪われた名として、緩やかに風化していくのを待つのみであった。
――――
ロウェル子爵家を襲ったのは、より逃げ場のない存在の剥奪であった。
あの日、レオの傍らで怯えていたロウェルの少年は、帰宅するなり父である子爵から烈火のごとき叱責を受け、その場で一族の恥辱として廃嫡を言い渡された。
ロウェル子爵は、ガルド公爵の怒りを逸らすためだけに、実の息子を、かつて自分たちが蔑んだフェルトン領へと、文字通り『奴隷同然の無償労働力』として差し出すという暴挙に出た。
「貴様のその身を粉にして、フェルトンの大地を耕せ。それができぬなら、もはやロウェルの名を名乗ることは許さん」
少年は、王都の華やかな生活から切り離され、かつて自分が嘲笑った泥臭い農作業に従事することを余儀なくされた。かつてリーゼロッテを嘲笑った自身の言葉は、今や泥にまみれて農具を振るう際の荒い呼吸へと変わり、精神を蝕んでいく。
冬の凍てつく日も、夏の焦げ付くような日差しの中でも、彼はフェルトンの農民たちに混ざり、泥を啜りながら土を耕した。自分たちが差し出した金貨で潤うフェルトンの繁栄を、最も惨めな立場から、文字通り地を這う視線で見上げ続けなければならない。ロウェル家という名の残骸の中で、少年は己の存在そのものがフェルトン家を引き立てるための生け贄にされたことを、その正気すぎる頭脳で絶望と共に咀嚼し続けつしかなかった。
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そして、これら三家の陰惨な自滅と、完全なる対称をなして繁栄の極致に達したのが、フェルトン子爵家であった。
ガルドが『置いていけ』と命じ、アトウッドらが命乞いのために床に並べた財宝の山。それは、エレインの手によって、一銭の不足もなくフェルトン領の振興へと注ぎ込まれた。三家から剥ぎ取られた家宝の魔石、金貨、土地の利権書。それらは、かつて不浄と罵られたフェルトンの大地を潤すための、最も良質な養分へと転生したのだ。
アトウッドが置いていった金貨は、フェルトン領に網の目のように走る最新鋭の魔導灌漑システムへと姿を変え、荒れ地を黄金の小麦の波へと変貌させた。
チェスターが恐怖から差し出し続けた名馬や家財は、フェルトン家が王都の物流を支配するための資産となり、その馬車が王都の街道を堂々と闊歩するたびに、チェスター家はその資産が敵の手にあることを思い出させられる。
そして、ロウェルの息子が泥にまみれて耕した土壌からは、これまでにないほど瑞々しい野菜や果実が収穫され、それは『フェルトンブランド』として王宮の食卓を飾るまでに至った。
フェルトン子爵。かつて泥臭い弱小貴族と蔑まれた男は、今やガルドの全幅の信頼を置く腹心として、社交界の最上席にその身を置いていた。彼が身につける豪奢な衣装も、領地に建ち並ぶ壮麗な魔導温室も、すべてはアトウッドら三家が、自分たちの愚かさゆえに、捨てていかされた財、そしてその後も恐怖から貢ぎ続けた財によって構築されたものである。
リーゼロッテが庭園で微笑むたびに、三家の者たちは、自分たちが失ったすべてが、彼女を輝かせるための背景に過ぎなかったことを思い知らされる。かつてリーゼロッテの種を泥と呼び、ユウとの絆を引き裂こうとした少年たちは、今、その種が芽吹き、王国の未来を背負う大輪を咲かせるための『肥料』として、実の親からも疎まれ、自らの人生を惨めに費消させられている。
法も、慈悲も、神の審判さえも介入しない。ただ、ガルド・ヴァルゼイドという男が不敬を断じ、エレインが采配を振るった。それだけで、一つの家門は救われ、三つの家門は生きた屍へと変えられた。それは、暴力よりもはるかに静かな、ヴァルゼイド流の断罪。
アトウッド、チェスター、ロウェルの屋敷から漏れる灯火が、日を追うごとに細くなっていくのと対照的に、フェルトン領からは、三家の屍を吸い上げて咲き誇る、眩いばかりの黄金の光が溢れ出していた。
覇王の鉄槌は、一度振り下ろされただけで十分であった。その余波は、数年をかけて名門の殻を粉砕し、新たな忠義の萌芽を、誰の手も届かぬ巨木へと育て上げたのであった。
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