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<完結済み> 欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: 第三ひよこ丸


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第109話 因果の鍵

 突如として王都近郊を震撼させた魔物の氾濫(スタンピード)。その発生源となったのは、王都の北西に数キロにわたって横たわる『黒死の絶嶺(こくしのぜつれい)』であった。


 この『黒死の絶嶺』とは、文字通り『死を招く黒き絶壁の連なり』を指す。標高の高い連峰が万里の長城のように王都を守る天然の障壁となっているが、その山肌は日光すら遮る巨大な黒樹の原生林に飲み込まれており、内部は無数の断崖絶壁と、底の見えない峡谷が複雑に入り組んだ生きた迷宮と化している。

 古来より強力な魔生物が繁殖する禁忌の聖域として恐れられ、そのあまりに峻険な地形ゆえに軍の調査すら拒んできたその深淵から、今、数千を超える魔物の軍勢が飢えた濁流のごとく溢れ出し、麓の集落を飲み込みながら王都へと今まさに牙をむこうとしていた。


 事態を重く見た国王とウィンザー王太子は、王家直属の精鋭騎士団を即座に動員。同時に、王国最強の武力と謳われるヴァルゼイド公爵家も、父様である当主自らが指揮を執り、ゼノン兄様を先陣とした私兵団を先発隊として出撃させることが決定した。


 公爵邸の広大な玄関ホールは、重厚な鎧が擦れる金属音と、緊迫した怒号、そして出陣を控えた騎士たちの荒い息遣いで満たされていた。

 

「ユウ、お前は屋敷から一歩も出てはならない。いいな?繰り返すが、これは公爵家当主としての命令だ。何があっても扉を開けるな」


 出陣の直前、父様はこれまでにない厳しい表情で俺に言い渡した。

 その背後には、エレイン母様とサリア姉様、そしてリーゼロッテまでもが、まるで難攻不落の城壁のように俺を取り囲んでいる。彼女たちの瞳に宿るのは、戦いへの恐怖ではない。俺という『守るべき聖域』を外敵から、あるいは俺自身の危うい慈悲から守り抜こうとする、苛烈なまでの保護欲だった。


「そうですわ、ユウ様。あのような危険な場所に貴方が足を踏み入れるべきではありません。もし貴方の肌に傷一つでもついたら、私はこの世の全てを呪ってしまいますわ!貴方はここで、私と共に祈りを捧げていれば良いのです。外の汚れなど、貴方が知る必要はありません」


 リーゼロッテが俺の手を壊れ物を扱うように強く握りしめ、悲痛なまでの面持ちで訴えてくる。彼女の指先は微かに震えており、その震えが俺への深い愛情と、失うことへの恐怖を物語っていた。サリア姉様も、その背後に潜ませた膨大な魔力の揺らぎを隠そうともせず、断固とした口調で頷いた。


「ええ。ユウに指一本でも触れようとする不届き者がいれば、私がその種族ごと根絶やしにして差し上げます。たとえそれが神の遣いであっても容赦はしません。だからユウ、貴方はここでお茶でも飲んで待っていなさい。これは貴方の自由を奪うものではなく、貴方を守り抜くためなのよ。外の世界は、貴方にはあまりに毒が強すぎるわ」


 だが、俺は知っている。今回の氾濫の規模は、これまでの歴史にあるものとは質が違う。絶嶺の奥で蠢くのは単なる魔物の集団ではなく、世界の因果そのものが捻じ切れたような不吉な予兆だ。父様や兄様がどれほど武勇に優れていようとも、今のままでは必ず取り返しのつかない犠牲が出る。


「父様。僕を信じてください。僕は貴方たちが思うほど、ただ守られるだけの無力な存在ではないんです」


 俺の声が、張り詰めた玄関ホールに静かに、そして深く響いた。


 その瞬間、ホールの空気がびりびりと震え、俺の左肩の付け根から、凄まじい密度の『光の粒子』が溢れ出した。黄金色の輝きは瞬く間に濁流となって周囲を席巻し、真昼の太陽を凝縮したような眩さに、出陣を控えた騎士たちが咄嗟に腕で目を覆い後退する。だが、その光は不思議と温かく、暴力的なまでの神聖さを纏っていた。


 光が収束していくにつれ、そこには物理的には存在しないはずの俺の左腕が、透き通るような陽炎の輪郭をもって現出した。

 皮膚や筋肉の代わりに、無数の幾何学的な紋様と、脈動する青白い法力のラインで構成された、次元の管理者パサージュから授かった『概念的な腕』。

 世界の理を回す鍵――『パサージュの鍵』。


「なっ……!ユウ、お前、その腕を……!陛下との誓いも忘れて、外で出すというのか!狂ったか?何を考えている!」


 父様が驚愕に目を見開く。それもそのはずだ。この腕はかつて前世で子供たちを守り抜くために使い果たし、代償として捧げた場所。そこにあるのは、この世界の因果律を書き換え、あらゆる事象の『扉』を掌握する権能だ。


「父様、僕はこの腕で『因果の天秤(リーブラ・カルマ)』を回しました。失った左腕を『前払いした代償』とし、不条理な奇跡を無理やり引き出す理です。僕には、この鍵でしか開けられない道が見える。この腕が輝く時、僕はもはや欠落した子供ではなく、運命そのものを設計し直す者として、そこに立ちます」


 黄金に輝く指先を動かすたびに、空間そのものが共鳴し、微かな鈴の音のような残響がホールに響き渡る。そのあまりに高潔で、しかし異質な気配に、歴戦の騎士たちまでもが本能的な畏怖に打たれ、膝を突きそうになっていた。


「父様が仰った通り、僕は皆に愛され、守られるだけの無力な息子かもしれません。でも、この『欠けた腕』があるからこそ、僕は世界に理不尽な奇跡を強いることができます。僕が同行すれば、本来なら届くはずの死の運命を、僕が代償となって書き換え、皆を救うことができる。この力は誰かを守るために、前世で子供たちの未来を支え抜くためにパサージュがくれた、僕の魂の遺志そのものなんです。……僕を連れて行ってください。僕をここに閉じ込めることは、僕に救えるはずの命を、僕の目の前で見捨てろと言うのと同じです。そんな生き方は、ヴァルゼイドの人間として、僕は選べない!選べる筈はないんだ!」


 パサージュの鍵が放つ、抗いようのない神聖な圧力。それは父様たちが俺に対して抱く『既に代償は払ったのだから、これ以上何もさせたくない』という、過保護ゆえの軟禁の正当性を、真っ向から打ち砕くものだった。

 俺の覚悟が、そしてこの世ならざる腕の輝きが、父様の、そして泣き崩れそうになっていた母様の心を動かした。


「……分かった。これほどの覚悟を見せられては、もはや止める言葉も持たん。だが、離れるなよユウ。私の影から一歩も出ることは許さん。お前に何かあれば、私はこの国ごと敵を滅ぼすことになるだろう。それが例え神であろうとな」


 父様の苦渋に満ちた、しかし俺を一人の『理を持つ者』として認めた重い言葉。

 それを受け、俺は父様たちの騎行に同行することになった。馬車ではなく、父様の駆る巨馬の背に乗り、俺は戦場へと向かう。


 王都の堅牢な門を出て、険しい絶嶺へと近づくにつれ、景色は刻一刻と地獄の様相を呈していく。

 空を覆う不気味な暗雲は、魔力の発露によって禍々しく渦を巻き、遠くからは腹に響くような、地響きのような魔物の咆哮が絶え間なく聞こえてくる。街道沿いの村々は避難を終えて無人となり、ただ重苦しい静寂と近づく破滅の足音だけが支配していた。避難が遅れた馬車が転倒し、捨て去られた荷物が散乱する光景が事態の深刻さを物語っている。


 やがて到着した戦場の後方待機所は、絶嶺の入り口に設置された阿鼻叫喚の光景だった。

 前線から次々と運び込まれる負傷兵たちの絶叫、必死に止血を試みる衛生魔導師たちの血に塗れた叫び声、そして鼻を突く強烈な咽せ返るような鉄錆の臭い。

 

 俺は父様の馬から降り、光り輝く左腕を隠すことなく露わにしながら、一歩、その凄惨な場所へと踏み出した。周囲の騎士たちが、俺の異形なる黄金の腕を見て驚愕に目を見開く。

 

「ユウ様!?なぜこのような場所に……その腕は一体……」

 

 驚き、問いかけようとする騎士たちの声を置き去りにして、俺は視線を鋭く尖らせた。パサージュの鍵を通じて、俺の瞳には、絶嶺の黒き影を蹂躙しようとしている世界の綻びと、そこに抗う人々の命の灯火がはっきりと見えていた。


「ここからは、俺の出番だ。一人の脱落者も俺は許さない」


 黄金の腕がさらに強く脈動し、戦場の絶望を塗り替えるためのパサージュの鍵が確実に回り始めようとしていた。

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