第105話 赤ペンの先生
視察の後半、俺は一行を教育院の最深部にある特別応接室へと案内した。エドモンド特使の顔には、先ほど正門前で味わった底知れぬ恐怖を払拭しようとする、焦りにも似た虚勢が張り付いている。彼は震える手で、同行の魔導師に命じて一本の巨大な筒を取り出させた。
それは、ガルヴァニア帝国が国家の命運と威信、そして天文学的な予算を投じて開発を進めている超大型プロジェクトである『大陸横断魔導大橋』の最終設計図だった。
「ヴァルゼイド卿、先ほどは少々、趣味の悪い装飾に驚かされたが、本来の視察目的である技術交換といこうではないか。これを見るがいい。大陸最大の河川を跨ぎ、魔導動力の重馬車を同時に百台以上通行できるのだ。さらに橋脚そのものに魔力集積機能を持たせ、都市の電力を補うという、まさに人類の至宝となるべき設計だ。いかに歴史あるヴァルゼイド公爵家といえど、これほどの規模と効率を両立させた構想は持ち合わせておるまい?」
エドモンドは、あわよくば俺に『これは我が国でも不可能だ』と言わせることで、剥がれ落ちた特使の自尊心を繋ぎ止めようとしているようだった。机の上に広げられた図面は、緻密極まる幾何学模様で複雑な魔力回路が幾重にも重なり合っていた。一見すれば完璧な機能美と、莫大な資本が投じられたことを誇示するような圧倒的な情報量を備えている。
傍らではサリア姉様が静かに椅子に腰掛け、扇子で口元を隠しながら、一切の口を挟まずにこの光景を見守っていた。その静謐な佇まいは、まるでこれから執り行われる残酷な解体ショーを特等席で眺める観客のようだ。エドモンドはその底知れない沈黙に、時折チラチラとサリア姉様のほうを見ている。
俺はその図面を手に取ることもなく、ただ座ったまま一瞥した。
「……ゴミですね。設計者の顔が見てみたい。これは橋ではなく、ただの巨大な墓標だ」
俺の冷たく断定的な否定に、応接室の空気が一瞬で凍りついた。エドモンドは顔を真っ赤にして立ち上がろうとするが、俺のすべて見通しているかのような瞳に射すくめられ、言葉を喉の奥に押し戻す。
「な、何を仰る!これには帝国が誇る一級建築魔導師たちが、三年もの歳月をかけて算出した計算の結晶だぞ!利益率、耐久性、そして魔力変換効率。我が帝国の誇りにかけて、一点のミスも許さず検算し尽くされているのだ!」
「計算すら満足にできていない結晶に、何の価値があるのですかね?赤ペンを貸してください」
俺は呆然とするエドモンドの手から、彼が署名用に使っていた高級な赤ペンを無造作に奪い取る。そして、広げられた白図の中央部に、迷うことなく巨大なバツ印を書き込んでやった。さらに、主塔の接合部や魔力伝導の基点に、流れるような動作で修正の注釈を書き加えていった。
「この主塔の配置、荷重分散の計算が根本から間違っています。魔導馬車の重量という物理的な動荷重に対し、それを中和すべき魔法陣の術式が、互いに干渉し合って不協和音を奏でています。このままだと開通から三日も持たず、馬車が百台通った時点で、支柱の中に逃げ場を失った魔力の歪みが蓄積され、石材そのものを内側から爆ぜさせることになるでしょう。支柱が砕ければ、主塔は自重を支えきれずに崩落するでしょうね。橋が落ち、数千の市民の阿鼻叫喚が河に響き渡ってから、損失を再計算するつもりですか?」
「……し、しかし、魔力の排出経路は、この回路で担保されているはずだ!帝国の最高賢者たちが理論値を何度も検証し、安定を確認したのだぞ!」
エドモンドが額に青筋を立てて食い下がる。俺は鼻で笑い、ペン先で図面の一点を激しく叩いた。
「この排出路に当たる術式の接続角度を見てください。四十五度?冗談でしょう。高速で循環する魔力流に対し、この角度で接続すれば角で乱流が発生するのです。それは魔力の滞留を招き、周辺回路への熱干渉を引き起こす引き金になります。あなた方が誇る至宝は、設計段階で自爆装置を内蔵しているも同然です。エドモンド卿、あなたなら理解できるはずだ」
「う、ぐ……。そ、それでは、この接合部の多重硬化魔法はどうだ!物理的な強度はこれで維持できる。魔力の乱れなど、力押しでねじ伏せれば済む話だ!」
「魔法の多重展開は、維持コストを無視した愚策の極みです。一万本の杭を打つより、一本の正しい楔を打つ方が堅牢であるという理屈も、帝国では教えないのですか?ここに描かれている補強魔法は、橋の自重に耐えるためのものではなく、設計者の無能さと杜撰さを隠すための厚化粧に過ぎませんよ。美しくない設計に、真の強度は宿りません。そんなことも分からない者に、特使の資格があるとは思えませんね」
「……美しくない……だと?建築は効率だ!利益だ!芸術品を作っているのではないんだぞ!」
エドモンドは声を荒らげるが、その瞳には明らかな動揺が走っていた。俺は冷酷に、トドメとなる事実を突きつける。
「真に効率的なものは、必然的に美しくなるのです。無駄を削ぎ落とし、理に適った形に帰結すれば、そこに不必要な摩擦も不協和音も存在しません。あなたたちの設計図は、欲と誤魔化しの継ぎ接ぎです。この接合部一点にしても、魔力の伝導効率が周囲より若干低い。これが三年、五年と積み重なれば、微細な金属疲労ならぬ魔力疲労が、大理石の芯を砂へと変えるでしょう。ガルヴァニア帝国は、国民の命を載せる天秤を随分と軽んじているようですね」
俺が淡々と指摘する数値と構造的矛盾は、エドモンドたちが誇っていた三年の結晶を、わずか数分で無価値な紙屑へと変えた。エドモンドは震える指で図面をたどり、俺の書き込んだ注釈を自らの知識で追走する。やがて、彼の顔から脂汗が滝のように噴き出し、唇がガタガタと音を立てて震え始めた。
「あ、ああ……間違いない。術式の反動、魔力の逆流、構造的脆性……。理屈の上で、一点の疑いようもない……。いや、あなたの仰る通りだ。開通すれば、我が帝国の信用は文字通り地の底へ落ちていた……!莫大な建設費だけでなく、帝国の未来そのものを失うところだった……!」
数字を重んじる彼らにとって、自国の最高傑作が致命的な欠陥品であると論理的に証明されることは、魂の根底を否定されるに等しい。絶望は一瞬で、圧倒的な正解を提示した俺への盲信へと変質した。彼はその場に崩れ落ちるように膝をつき、絨毯に額を擦り付けるようにして平伏した。
「……ヴァルゼイド卿。不勉強な私をお許しください!この図面を……どうか、あなたの手で、正しき形へ導いていただけないでしょうか!報酬ならいくらでも積みます!帝国の国庫を空にしてでも、あなたの英知を授かりたい!私たちが信じてきた効率は、あなたの足元にも及ばない、ただの紛い物だった!あなたこそが、我らが仰ぐべき真の導き手だ!」
誇り高いはずの特使が、俺の足元で鼻水を垂らしながら教えを乞う。サリア姉様は、その醜くも滑稽な様子を傍らで眺め、満足げに一度だけ扇子をパチンと鳴らした。他国の特使が自らの誇りをかなぐり捨て、俺の軍門に完全に下った瞬間だった。
「顔を上げてください、エドモンド卿。ここは教育院です。己の無知を自覚したのなら、そこが学びの開始地点だ。この設計図、全面的に書き直させてもらいますよ。もちろん、その対価はガルヴァニア帝国が隠し持っている『古代魔導回路の拓本』の全面開示……これで手を打ちましょう」
「喜んで!すぐに手配いたします!ああ、なんという慈悲……なんという幸運だ……!」
エドモンドは救いを得た聖者のような顔で、何度も何度も床に額を打ち付け、俺の書き込んだ赤ペンの跡を、まるで神託であるかのように熱烈な眼差しで見つめていた。
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