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<完結済み> 欠落の聖遺物(レリック) 〜神の鍵束は、僕の左腕に宿る〜  作者: 第三ひよこ丸


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第104話 隣国の眼

『礎の教育院』の開校から数ヶ月。

 かつてバルト伯爵が私欲を満たすために築き上げた邸宅は、今や王都の未来を担う若き技術者たちの熱気によって、その色彩を塗り替えられていた。だが、その輝かしい学び舎の入り口には、依然として消えることのない暗い楔が、もっとも無残な形で打ち込まれている。



 ある朝、正門前には豪奢な馬車が列をなし、物々しい空気の騎士たちに守られた一団が降り立った。建築と魔導の両輪で大陸を牽引する自負を持つ隣国、ガルヴァニア帝国からの視察団だ。

 団長のエドモンド老男爵は、鼻にかかった声で周囲を見渡し、出迎えた俺を、隠そうともしない侮蔑の目で見下ろしてきた。


「ほう、これが噂の教育院ですか。公爵家の七光り……、失礼、若き天才の設計と聞いて期待しておりましたが、いささか実用性に欠ける野蛮な装飾があるようですな」


 エドモンドが指差したのは、正門の土台となっている例の石像だ。

 地を舐めるような屈辱的な姿勢で、巨大な門の全重量を背中で受け止めている男の彫像。その背中は床石として平滑に削り込まれ、登校する生徒たちが泥のついた靴で容赦なく踏み越えていく。


「ヴァルゼイド卿、これは何の冗談だ?罪人を模した彫像を門柱にするなど、悪趣味にも程がある。我が国の高貴なる建築美学では考えられん野蛮な発想だ。おい、念のために調べておけ」


 エドモンドが不敵な笑みを浮かべて命じると、同行していた主任魔導師が、怪訝そうに石像へ歩み寄った。彼は杖をかざし、石の構成を調べるための解析魔法を秘密裏に投じる。

 だが、次の瞬間、魔導師の顔から血の気が一気に失せ、杖を持つ手が目に見えて震えだした。


「……な、なんだ、これは……!?意識がある……それも、底知れぬ憎悪の塊だ!この波長、まさか……!」


 石の檻の奥深くで、伯爵の精神はとっくに限界を迎えていた。

 数ヶ月間、光も音も遮断されたまま、かつて家畜と呼び、汚物のように扱った者たちの足音を全身で受け止め続けた屈辱。その暗黒の時間は、彼の理性を完膚なきまでに破壊し、その魂を呪いへと変質させていた。


 魔導師の解析回路を逆流し、伯爵のどす黒い念波が視察団の脳内に直接叩きつけられる。

(……痛い……重い……どけ……殺してやる……全員引き裂いて、その肉を喰らってやる……!!)


「これはいけません、エドモンド様!この石像は本物の人間だ!禁忌の固定魔法で、生きたまま建築資材にされている!これは人道に対する明らかな冒涜だ!」


 魔導師の叫びに、エドモンドの顔色が変わった。驚愕は一瞬で邪悪な歓喜へと塗り替えられる。これは王国の非道を国際社会に訴え、外交的優位に立つ絶好の材料になると確信したのだろう。


「ヴァルゼイド卿!言い訳を聞こうか。大逆罪人とはいえ、貴族をこのような形で晒し者にするとは。我らは人権を重んじる国だ。この蛮行、黙って見過ごすわけにはいかんぞ!今すぐ解放せねば、我が国は貴国を非文明国家として断罪し、即座に通商を停止するだろう!」


 エドモンドは勝ち誇ったように俺を指差し、唾を飛ばしてまくし立てた。俺は一歩前に出ると、冷ややかな笑みを浮かべた。


「人道、ですか。その言葉があなたの口から出るとは、実に滑稽ですね」


 俺の背後に控えるサリア姉様が、不快そうに扇子を閉じ、その鋭い視線で視察団を射抜いた。


「この男……バルト元伯爵が、地下で何をしていたかご存知のはずだ。あなた方は情報に長けているのでしょう?彼は罪なき人々を汚い檻に繋ぎ、家畜のように扱い、その命を削って不当な利益を得ていた。そして、その利益をあなた方の国にも流そうとしていたことも。……姉様、彼らに素材の今の状態をより鮮明に見せて差し上げてください」


「ええ、喜んで。真実を直視するのは、教育の一環ですものね」


サリア姉様が指先を鳴らし、石像に施していた遮音と消臭の結界を一時的に緩めた。


 途端、広場一帯に、胃を掴まれるようなひどい悪臭と、物理的な悪寒を伴う凄まじい殺気が噴き出した。石の隙間から漏れ聞こえてくるのは、もはや人間の言葉ではない、獣じみた怨嗟の咆哮だった。


(……死ね死ね死ね死ね死ね!!助けに来るのが遅いんだよ、無能ども!貴様らも道連れだ!解放しろ、今すぐこの門をどけろ!全員、俺の足元で肉塊にしてやる!!)


 その殺意の矛先は、俺だけでなく、目の前に立つ視察団全員に向けられていた。

 伯爵にとって、自分を助けなかった世界すべてがもはや敵だった。隣国の救援など期待していない。ただ、石の外で息をしているすべての生者を、自分と同じ地獄へ引きずり込むことだけを願う怪物へと成り果てていたのだ。


「……ひ、ひっ……!?な、何だこのおぞましい気配は……!」


 エドモンドが悲鳴を上げ、よろめきながら後退した。しかし、運悪くその足がもつれ、彼は石畳の上に無様にへたり込んでしまう。彼が手をついた場所は、ちょうど伯爵の頭頂部にあたる削り込まれた床石だった。


「お聞きになりましたか?彼は今、解放された瞬間に、目の前にいる最も弱そうな獲物であるあなた――エドモンド卿の喉笛を噛み千切ることだけを夢想しています。何の理性も残っていない狂った獣です。あなたが彼に触れた瞬間、彼はあなたの指の骨を一本ずつ砕く想像をしたようですよ」


「ば、馬鹿な!私は彼を救おうとして……ぎゃあぁぁっ!」


 エドモンドが触れていた石の表面から、まるで怨念が物理的な熱を持ったかのように、じりじりと焼けるような感覚が伝わったのだろう。男爵は火がついたように跳ね起き、震える手で自分の掌を見つめた。


「さあ、貴国の人道主義に従って、今ここで魔法を解きましょうか?暴れ狂う怨霊と化したこの男を、あなた方が責任を持って引き取ってくださるなら、我々に異存はありません。さあ、どうします?ああ、私の手を止めないでください」


 俺が右手を挙げ、魔法の解除を暗示させる仕草を見せると、エドモンドの顔は青から土色へと変わった。


「ま、待て!よせ!待ってくれ!!」


 老男爵は必死の形相で両手を振り回し、醜く取り乱しながら叫んだ。


「解放しろと言ったのはあなたですよ。伯爵も石の中で、あなたの肉を喰らう準備を整えている」


「……いや……これは……その……」


 エドモンドは歯をガチガチと鳴らし、額から大粒の汗を流しながら、必死に言葉を絞り出した。ここで拒否すれば伯爵の怨念に怯えていることを認め、受け入れれば確実に自分が殺される。追い詰められた老男爵は、引きつった笑みを浮かべた。


「……素晴らしい……実に……画期的な、教育的な配慮だ。反逆者が、こうして身を挺して平和を支え、自らの罪を反省し続ける……。これこそが、建築の……真の役割というものだ。ヴァルゼイド卿の……この深い慈悲と知性に……我々は、心の底から感服した……。そうだろう、皆の者!」


 視察団の面々は、主人のあまりの豹変ぶりに戸惑いながらも、伯爵の放つ殺気に耐えかねて、青い顔で激しく同意の首を振った。


「ご理解いただけて光栄です。では、視察を続けましょうか。ああ、足元には気をつけて。そこは少し、滑りやすくなっていますから。伯爵の悔し涙が石に染み出しているのかもしれませんのでね」


 俺がそう告げると、視察団は震えながら、伯爵の背中を、まるで地雷でも踏むかのような腰の引けた足取りで通り過ぎていった。エドモンドに至っては、石像に触れることすら恐れ、大きく跳びはねるようにして門をくぐる始末だった。


 後に残されたのは、今日もまた誰の耳にも届かない石の中で、全人類への呪詛を吐き続ける伯爵の孤独な絶望だけだ。

 生徒たちの明るい笑い声が、石の檻の中に無慈悲に響き渡っていた。

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