第102話 地下に眠る残滓
バルト伯爵の邸宅解体工事が始まったのは、あの卑劣な男への断罪が下されてから、僅か三日後のことであった。本来ならば、数ヶ月の月日を費やして複雑な版図の返上手続きや権利の精査を行うのが通例だ。しかし、父様はそれを許さなかった。
「陛下から一任された公務を滞らせる不届き者は、ヴァルゼイドが直々に排除する」
父様が放った、半分脅迫に近い超法規的措置が、王都の停滞した役人たちの腰を強引に突き動かした。公爵家の威光を盾にしたその苛烈な差配に、王都の文官たちは青ざめ、父様の怒鳴り声と背後に控える武装騎士団の圧力に屈して、震える手で書類に判を捺したという。
邸宅の周囲には、俺が視認性と安全を期して設計した、整然たる仮囲いが立ち並んでいる。かつて伯爵が私欲を肥やすために築いた豪奢な庭園は、今や資材と土埃が舞う戦場のような有様になっている。その中心部、かつての権勢の象徴であった大広間の跡地では、ロロが最新の図面を片手に、鋭い声を張り上げて現場を統率していた。
「そこ、無理に引っ張らないで!基礎の石材は再利用するのだから、丁寧に剥がしてよ!先生が言った通り、資源の無駄遣いは厳禁だかなね!」
現場監督として、かつての仲間である測量係の少年たち、トトやルカに的確な指示を飛ばすロロの姿に、スラムの隅で泥水を啜っていた面影は微塵もない。公爵邸の隣に与えられた新しい屋敷で、仲間と共に十分な食事と休息、そして何より誇りある仕事を得た彼らは、今や俺の設計思想を具現化する若き技術者集団へと変貌を遂げていたのだ。
そんな中、邸宅の北側に位置する客間の解体現場から、トトが血相を変えてこちらへ駆け寄ってきた。そこは、ロロの正確な測量によって暴かれた、公道を横領して不法に増築された場所であった。
「先生、ロロ。大変だ!床下から、変なものが出てきた」
俺とロロが現場へ急行すると、剥がされた豪華な床板の下から、王宮の最深部にある地下牢のような重厚な鉄扉が姿を現していた。
「公式の図面にも、ロロが暴いた裏図面にも、かかる隠し部屋の記述はなかった。不自然な空間の空白さえも、計算上は存在しなかったはずだが」
俺が訝しげに呟くと、ロロも厳しい表情で、手に持った図面と眼前の光景を交互に見比べた。
「あ、そうか。壁の厚みだ。この部屋、外壁と内壁の厚みを極限まで利用して、二重構造の中に完璧に秘匿されているんだ。これじゃあ、外から測っても中から測っても、ただの分厚い壁としてしか認識されないよ。これは、卑劣な隠蔽工作だよ」
俺たちは騎士立ち会いのもと、専用の工具を用いてその扉をこじ開けた。
錆びついた鉄が擦れる不快な音が地底に低く響き、扉が開いた瞬間、中から溢れ出してきたのは、生臭く、鼻を突くような淀んだ臭気。そして、闇の奥から微かに聞こえる、絶望に満ちた呻き声だった。
「これは、何?」
ロロが絶句し、手に持っていた図面が指先から滑り落ちた。
そこに広がっていたのは、人道的にも法律的にも、この王都では三代前の王の時代から厳禁されているはずの、奴隷を収容するためのおぞましい地下牢である。鉄格子の檻がいくつも並び、その中には、やせ細って骨と皮ばかりになった男女が、力なく座り込んでいる。
彼らの様子は、正視に耐えぬほど凄惨だった。
衣服と呼べるものは既にボロ切れと化し、剥き出しになった背中や腕には、膿んだ鞭打ちの痕が幾筋も重なり爛れている。一人の男は、重すぎる鎖のせいで足首の皮が剥け、赤黒い肉が露出したまま化膿していた。一人の女性は、虚ろな目で宙を見つめたまま、俺たちの存在に気づく様子もなく、ただ震える手で空っぽの器を握りしめている。
檻の隅では、幼い子供が母親らしき女性の胸に顔を埋めていたが、その母もまた、あまりの飢えと渇きに、声を出す気力さえ残っていないようだった。彼らの肌は土気色に沈み、肋骨が浮き出るほど痩せこけ、王都の華やかな街並みのすぐ下で、ただ死を待つだけの家畜のように扱われていたのだ。
「奴隷だと!?。王都において人の売買も所持も、法に照らせば極刑に値する大罪。それを、この規模で隠し持っていたというのか!」
俺が憤怒を奥歯で噛みしめながら言うと、ロロが真っ青な顔で一番近い檻の中を覗き込んだ。
「先生、これ見て。この人たち、みんな足首に食い込むような重い鉄鎖をつけられてる。それだけじゃない。この檻の奥の机に、王宮の法務官の紋章が入った偽造書類が山積みになってるよ。もし伯爵がその気になれば、いつでも身寄りのない民を犯罪者として仕立て上げて、ここで死ぬまで無償で働かせられたんだ。こんな、こんなことがあっていいはずがない!」
バルト伯爵の罪は、単なる土地の横領や脱税といった経済犯罪に留まらなかった。
彼は王都の法と人倫を根底から踏みにじり、不都合な相手や弱者を闇に葬り、あるいは安価な労働力として使い潰すための負の監獄を、この豪奢な邸宅の地下に構築していたのだ。
「……外道だ」
ロロが、怒りに小刻みに拳を震わせながら吐き捨てた。
「人の命を、使い捨ての道具みたいに思ってるんだ。ただ、自分たちの私欲を満たすために、人を檻に入れてたんだ。絶対に許せないよ。先生、今すぐこの人たちを助けてあげて」
その時、現場の入り口がにわかに騒がしくなった。
地鳴りのような威厳ある声と共に、父様がフル装備の私兵団を引き連れて現れた。
「ユウ、ロロ。何か不測の事態か。まさかバルトの残党が潜んでいたのではあるまいな」
「父様、見てください。残党よりも、もっと救いようのない、この国の膿が見つかりました」
俺が地下の惨状を指し示すと、父様の顔がみるみるうちに鬼神のような憤怒に染まった。
父様は檻の中にいる、虫の息の男女や怯える子供を一瞥し、その拳を石壁に叩きつけた。
「……これは……。我が王都で、これほどの真似が行われていたというのか。陛下を欺き、民を家畜のように扱うとは。バルト、あの薄汚い小悪党め。絞首刑ではあまりに生ぬるい。九族に及ぶまで断罪せねば、我が憤りは収まらぬ。すぐに医者を呼べ。衰弱している者から順に運び出せ!」
父様の怒号が冷たい地下室の壁に反響し、怯えていた奴隷たちが身を震わせる。
俺は冷静にロロの目を見つめた。
「ロロ。この負の遺産、どうすべきだと思う。全てを埋め立てて忘却の彼方へ葬るか、あるいは……」
ロロは、地下室に漂う淀んだ空気と、檻の中にいる人々の虚ろな瞳をじっと見据え、迷いのない鋼のような声で答えた。
「先生、この地下室を全部作り替えて、俺たちの教育院の地下実習室にしようよ。地獄の入り口みたいだったこの場所を、俺たちの手で、王都の知恵が集まる最高の学び舎に変えるんだ。俺に、そのための新しい設計をさせてほしい。今度は、誰かを欺くためでも私欲を満たすためでもない。みんなの明日を支えるための線を、俺が引くから。お願いだよ!」
かつて泥水を啜り、誰にも顧みられずに生きてきた少年が、今、王都の最も深い闇を、自らの意志と技術で光へと塗り替えようとしている。
俺は満足げに頷き、彼の肩をしっかりと叩いた。
「いいだろう。それが礎の教育院の最初の実技課題だ。ロロ、お前たちの手で、この腐った地下を王都で最も温かな場所に変えてみせろ。資材も人員も、すべて公爵家が全面的に用意してやる」
「よしっ!やってやる!」
ロロの言葉に、背後で控えていたトトやルカたちも、強い決意をみなぎらせて力強く拳を突き上げている。
バルト伯爵が隠し持っていた欲望の檻は、俺の設計と少年たちの手によって、人々を再生させる新たな礎へと生まれ変わろうとしていたのだ。
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