いくつかの事件⑦
時計の方を見やると、もうすでに17時を回っているのだということがわかった。……もうずいぶんと夜遅くだ、こんな時間に出歩いているのは、それこそ筋金入りの不良ぐらいしかいないはずである……、だが、ということは要するに……、ついに襲撃をしかけに来たというわけなのか?
ようやく頭脳が正常な状態に復してきたらしく、瞬時に「名探偵」としてふさわしい推理力を発揮してそれだけの考察を行った私は、さらに続けて「相手が誰であろうと、結局のところ私には怖いものなど一つもありはしない」という事実に思い至った。逆に言えば、相手がどれだけ極悪非道な怪物であっても、私と比較されさえすれば、即座にハムスター同然の愛玩動物に堕するということだ。
しつこく繰り返されるチャイム音の中、インターフォンの受話器を取って応答するのではなく、そのまま玄関に向かって扉を勢いよく開き、感情をありのまま迸らせたのは恐らくそのような理由に拠っている。
「いまなんじだとおもっとん、じゅおわああああああああっ!」
すぐ前でひとまず「感情をありのまま迸らせた」とは述べたが、私の意図はもちろん「感情をありのまま迸らせ」ること自体ではない。もしそうであれば、私は「名探偵」であるどころか、自慰行為を周囲に見せつけて大喜びしているだけのただの「変態」ということになる。
だからもちろんそうではなくて、私が真に意図していたのは、一言で言えば「威嚇」であった。同じ文句をバカげていると知りながら、敢えて何度でも繰り返し、繰り返す。
「今何時だと思っとんじゃ、今何時だと思っとんじゃ、ああ? 今何時だと思っとんじゃ、今何時だと思っとんじゃ、ああ? 今何時だと思っとんじゃ、今何時だと思っとんじゃ、ああ? 今何時だと思っとんじゃ、今何時だと思っとんじゃ、ああ? 今何時だと思っとんじゃ、今何時だと思っとんじゃ、ああ? 今何時だと思っとんじゃ、今何時だと思っとんじゃ、ああああああああああああ?」
ところで言うまでもなかろうが、一見する限りの「激しさ」とは裏腹に、私のこの威嚇の根底にあるのは、その実、この上なく純粋な「優しさ」の塊である。つまり本格的な争いに発展すれば、相手が生きて帰れないことを見越し、予め猶予を与えてやったのだ。私の威嚇にきちんと恐れ戦き、そのまま後退して逃走を図ってくれれば、私も余計な殺生をせずに済ませられる。要するにということだ。
「……」
だが「相手」は少なくとも、すぐには動き出さなかった。一丁前に帽子なぞをかぶってくれていたため、人相をはっきり窺い知ることはできなかったが、唇の(向かって)左側に大きなホクロがあり、そこから何本も生えている長い毛が、象徴的にではあるものの、その人物の「若さ」をありありと私に知らしめてきた。要するに、皮膚を突き破るように伸びるその毛は、固い土の地面を力強く割いて現れる雑草のような力強さを感じさせると同時に、若者特有の瑞々しい生命力を醸し出していたということである。そうとわかると心なしか、湿った皮脂のネトついたような臭気が鼻面を掠め始めたような気もする。
しかしもちろんその「若さ」は、少なくとも私にとっては何の慰めにもなりはしない。それどころかむしろ苛立ちが加速度的に上昇していく……。「若い」ということは人生の選択肢がまだいくつも残っているということであり、その事実は、良い悪いは別として、毎日毎日街の治安維持のために奔走し、それによって人生の大半を失ってきた私からしてみれば、あまりにうらやましすぎる境遇と言わざるを得まい。
それにしてもよほど肝が据わっているのか、それともただ単に面の皮が厚いだけなのか、本当のところは分からぬが、若者は事実としてどれだけ私が怒気を孕んだ声をぶつけようと、全く動じる様子を見せなかった。というか反応自体を見せることがなく、ただひたすらそこに立っていた。
体感にして十時間ほど叫び続けたところで喉の奥が痛くなってきた私は、それを境に方針を転換し、つとめて柔らかな口調で尋ねた。
「あなたはいったい……、何者ですか?」
すると若者は、ようやく「仁王立ち」以外の行動に着手した。私の問いかけに合わせて、返答してきたのである。
「……お届けものです、受け取り印をいただきたいんすけど」
「……ほう」そうきましたか……。




