接触Ⅰ⑯
考えをまとめる前に部屋の入り口に人影が現れた。予想外の展開に見舞われ過ぎていたせいでさすがの「名探偵」でも反応が遅れた。だが、逃げ出すことはできない。むしろ下手に動くと余計に目立ってしまう恐れがある、と正確な状況判断を下した私は、仕方なく近くにあった椅子に腰掛け、所謂「(小学生用の)机に向かう」態勢を即興で作り上げた。要するに、その場に最もふさわしい振る舞いを瞬時に選択し、実行に移したわけだが、その意図は言うまでもなく、「人影」の襲来をやり過ごすことにあった。最初の邂逅からまだそれほど時間は経っていなかったが、それでも、種々の情報を総合する限り、「人影」と、先に私の名を大声で連呼していたイカれババアとが同一人物であることは明らかに明白だった。
……だとすれば、可能な限り関わり合いにならないに越したことはあるまい……。
そんな私の心中を知ってか知らずしてか、「人影」はさらに畳み掛けるようにして言葉を続けた。
「カンタァ、あんた、こんな暗いところでいったい何してるの?」
「……」
「へえ……、言えないようなことなのね、ああ嫌だ嫌だ、いったい誰のおかげでここまで大きくなれたと思っているのかしら」
「……」
「人影」が照明のスイッチを押したらしく、室内が一瞬で光に満ちる。私はまぶしくて反射的に目を閉じた。
「そもそもどこ行ってたの? どこで誰と何してたの? ジムから帰ってきたら誰も家の中にいなくてすごく驚いたんだからね、いっつも言ってるでしょ、出かける時はどこで誰と何しに行くのか、しっかり伝えてから行きなさいって、そう言ってるわよね」
「……」机にはビニール製のマットがかけられていて、その表面に刻まれた複数の切れ込みを指でなぞりながら、私はいったいここはどこなのだろう?と考えていた。いったいここはどこで、今はいつで、そしてこの俺は、いったい何者なのだろうか……?
「勘違いしないでよ、出かけるなって言ってるわけじゃないの、そんな虐待する親みたいなことを言うつもりはないわ、でも、だったら最低限のルールだけは守りなさいよ、どこで誰と何しに行くのか事前に伝えるだけ、ただそれだけでいいのよ、なのに、そんなことさえできないなんて……、じゃあ、いったい何だったらできるの? ……ねえ、聞いてるの? ……ふむ、あくまでシカトを決め込むという寸法なわけか、いい度胸だ……、ってアホかっ! なにいつまでもふてくされて膨れっ面して無視までしくさってくれやがっとんじゃ! わかったなら返事ぐらいしくさりやがらんかいゴラアアアアアッ!!」
いきなり何の脈絡もなく、ボリュームメーターをぶっ壊さんばかりに大きな吠え声が発生する。その最後の余韻の部分には、「吠え声」というよりも「雷鳴」に近いものがあって、さすがの私も思惟の世界を離れて目の前の確たる現実を見据えずにはいられなくなった。まさしく「青天の霹靂」というわけだ。
だが私が当初の意図に反し、気づけば後ろを振り返ってしまっていたのは、その「吠え声」≒「雷鳴」単独の効果によるものではない。物理的身体的な要因、すなわち左肩のあたりを指が食い込まんばかりに強く強くつかまれたことによる結果だった。




