485 腹を括る
師弟が腹を割って話すのに自白剤が必要か?
否。そんな話は聞いたことがない。
「大丈夫です。しっかり効くやつ、作ったんで……」
「大馬鹿者!! さすがに大馬鹿者だこれは!!! 自分の体は大切にしなさい!!」
「ルーク様にだけは言われたくないです」
「そうだったすまん!! だが自分のことは棚に上げても怒るぞこれは!!」
もっと早くに気づくべきだった。
レインの様子がおかしいことはわかっていたんだ。「まさか変な薬でも打ったのか?」とか何とか尋ねていれば、もっと早く気づけたのに…………いや、嘆いても仕方ない。
まさか自分に自白剤を打つ人間がいるなんて思う訳がない。
取りあえず医務室だ。医務室。
ベンチではなく柔らかなベッドで横にさせよう。
そう思って体を抱えようとすると、「大丈夫だと言っています」とレインに拒否された。
「だ、だが……!」
「大丈夫ですってば。俺、痛いのも苦しいのも好きなんで」
「そんなこと好きな人間がいる訳ないだろう!?」
「いるんですよここに。そうですねえ、貴方に酷いことされたらって考えるとゾクゾクします」
「はい?」
「そうだ、医務室とかどうでもいいんで、今ここで思いきり踏んづけてください。その方が嬉しいです」
「???」
ど、どうしよう。レインの言っていることがますます理解できない。
あれ? もしかして私の弟子はそこそこ変態という部類に入るのだろうか……?
……………………。
いやまさか。そんなまさか。ないないない。レインに限ってそんなことはない。
きっと自白剤の副作用だ。
頭が混乱して、意味のわからないことを口走ってしまってるんだ。
「レイン、落ち着こう。一旦落ち着こう。大きく深呼吸。ね? それからベッドに行こう」
「ベッド? ベッドで何するんです?」
「? 何もしない。横になってゆっくり体を休めるんだ。ね?」
「……一人で?」
「? うん、そりゃあ……」
「はあ……そうですか。一人ですか」
レインはつまらなそうな顔で、ぷいっと顔を背けた。
さっきよりは顔色がマシになっただろうか?
だがまだ体は熱いし、目も焦点が定まっていない。
レインの作った自白剤がどういうものかは知らないが、けっこうヤバい代物なんじゃないだろうか。
とにかくレインの体が心配なのだが……むりやり医務室に連れて行くべきか?
力なら負けないと思うし――――――
「ベッドに横になったら、俺のお願い聞いてくれます?」
いろいろ考えていると、レインが唐突に私に尋ねた。
こてんと首を傾けて私へ顔を向けている。
「お願いって……ルークの姿になれって? いやそれは……それはなあ」
「……もしかして、そもそもあの姿になるのが嫌なんですか? 責任とか、迷惑とか、関係なく?」
「ああいや……そんなことはないよ。あの姿は嫌いじゃないし。確かにルークの姿になれたらラクだなあ、とは思うけど……」
ラクだし楽しいだろうな。
面倒なことは人に任せて、何でも自由にできるんだから。
でも、ジークにめちゃくちゃ怒られるだろうし、ヴェントゥス公爵はますます可哀想なことになるだろうし……イグニス公爵やサピエンティア侯爵も必死でフレアを捜すだろう。
そうなることがわかっていながら、ルークの姿になるなんてできない。
「君が私を心配してくれているのは嬉しいよ。本当に。……でも、私はもう大丈夫だ。心配することは何もない。それに、嫌なことばかりでもないし。アカツキに戻ってからもゆっくり過ごすよ。ええと……お菓子を食べたりして。それくらいはさせてもらえるだろう」
「………………俺の為じゃ、だめですか?」
「え?」
レインはぽつりと零し、じっと私を見つめた。
「誰かの為じゃないと動けないなら、俺の為じゃ、だめですか? 俺の為に、ルーク様の姿になってくれませんか? ルーク様の姿になって、のんびり、適当に、やりたいことやって、好きに過ごしてくれませんか?」
真剣な表情だった。
熱っぽいその目に囚われて、視線を逸らすこともできなかった。
“誰かの為”……それはなんて危険な言葉だろうか。
その言葉さえあれば、全ての行動が許されるような気がしてしまう。
現実には、その“誰か”に……この場合はレインに、全ての行動の責任を押しつけてしまうことになるのに。
「それが俺の願いだって、幸せなんだって言っても……それでも、だめですか?」
「それ、は…………」
「いつか消えてしまうなら、それが逃れられない運命なら、せめてほむら様みたいに、好き勝手やってください。大切な人と、幸せな時間を過ごして下さい。それが俺の願いです。……わかってます、貴方が愛した女性はもうこの世にいない。でも……王子サマはいるし、サクラもいます。監禁中かもしれませんが、ノア様もまあ…………あの人はなかなか狂ってるので気乗りしませんが、貴方が望むなら俺が連れてきますよ。彼らと過ごした方が、きっと楽しいでしょう」
何も答えられずにいると、レインは苦しそうに表情を歪めた。
「裁判より、俺を……俺の願いを、優先してくださいよ。……ダメですか? それくらい、聞いてくれたっていいと思うんですけど」
「だ、だが……」
「願いを聞いてくれたら、これ以上我が儘は言いません。俺と一緒にいてほしいなんて言いませんし、何なら視界にも入らないようにしますし、自白剤も飲みません。ずっとベッドで寝てます。大人しくしてます。約束します」
君は……どうして、そこまでして……。
私はやはり答えられなかった。
レインの為だと、レインの願いだと言いながら、実のところ、この子に何の得がある? 私が得をするだけじゃないか。この子はただ責任を追及されるだけ。それなのに……。
胸が締め付けられるように苦しくなった。
ここまでしてもらう価値なんて、私にはない。
私はとうとうレインから視線を逸らした。
黙っていると、レインの苦しそうな呟きが耳に届いた。
「あいつには……あんなに、特別扱いしたのに」
「……え?」
あいつ、というのが誰のことかわからなかった。
けれどすぐに、義勝の顔が浮かんだ。
「わかってますよ、そりゃ俺はあいつの足下にも及ばない……貴方の特別になんてなれないのは…………でも、少しくらい、願いを聞くくらい……それくらいの特別扱いは、いいじゃないですか。俺は…………俺は、貴方の、唯一の弟子なんじゃなかったんですか…………?」
思わず視線を向けると、縋るような、泣き出しそうな、子供のようなレインの顔が視界に映った。
その途端、脳内で爆発のような何かが起こった。
「わかった、飲もう」
迷いは消えた。
飲もう。これは飲もう。飲むしかあるまい。
だって弟子だもの。特別な弟子だもの。
いつもツンツンしていたあの子が、こんな可愛い顔を私に向けて願っているんだ。
自白剤まで使って腹を割って話してくれたんだぞ?
なのに飲まないなんてあり得ないだろう、人として。
もう細かいことはどうでもいい。
取りあえず飲もう。飲んだ後に考えよう。これからのことは。
そう思って、勢いのまま瓶を取った時だ。
「…………ほむら? 何をしているんだ?」
最悪のタイミングで、義勝と刀士郎が現れた。
廊下から庭に出て、こちらへ迷いなく近づいてくる。
二人の姿を見た途端、私は大いに慌てた。慌てて立ち上がりながら、瓶を咄嗟に背後に隠した。
「あ、いや、これはその……!」
私はヘラヘラと情けない顔で笑ったが、二人は私とレインを見て、何だか険しい顔つきになった。
「急にいなくなったと思ったら……何をしてる? カノンたちが捜していたぞ。……さっき隠したものは?」
「あー、いや、あれはその……何でもない。うん、何でもないよ」
「……何でもない?」
「うん、そう。何でもない」
どうかこれで誤魔化されてほしい。
そう願ったが、二人は甘くなかった。
「ほむら、嘘を吐いても無駄だぞ」と義勝。
「え?」
「ほむらは……嘘を吐くのが苦手だ」と刀士郎。
バレている。
嘘を吐いていることがバレている。
どうしよう何て説明しようと考えているうちに、さっき決心したばかりの勇気がみるみるしぼんでいく。
もしや、今の私は冷静ではないのでは? ちゃんと師匠として弟子のことを思うなら、これは飲んではならないものでは? ……そんな考えが、また頭をもたげる。
泣きそうになって黙っていると、義勝が小さくため息を吐いた。
「……とにかく、食堂へ戻るぞ。カノンたちが捜してる」
「あ、ああ、うん」
とにかく薬のことは後で考えよう。
もう少し頭を冷やして……。それに、飲むにしても皆が寝静まった後とかの方がいい。
そう思って、瓶を懐にしまおうとした。
「ほむら……? その瓶は、何?」
バレた。
バレないように仕舞おうとしたのに、刀士郎に呆気なくバレた。
「何の瓶……? まさかそいつが、変なものを――――」
「違う違う! これは何でもないから! 怪しいものではございません!」
「……怪しい」
「怪しいな」
じりじりと二人が近づいてくる。
わあどうしよう、これはどうしようと焦ったその時――――――――……
「俺の師匠に近づくな」
背後から、抱き締められた。




