482 見失う
「まあ、さすがにバレるとは思っていた。数時間程度なら十分誤魔化せたが、ほぼ一日いなかった訳だ。女王はカンカンだ」
「カ、カンカン……」
一国の女王がカンカン。
それはなかなかとんでもないことなんじゃなかろうか。私はこめかみを押さえた。
「安心しろ。ヴェントゥス公爵の力が暴発したことにした」
「え」
「公爵と女王は仲が良いからな。大丈夫大丈夫。心配することは何もない。それと、ヴェントゥス公爵もイグニス公爵も、君があいつと――――」
ジークは鋭い目を義勝に向けた。
視線の先では、義勝が乱蔵お手製のおはぎを美味しそうにもぐもぐしている。その隣にはシドが、やはりおはぎをもぐもぐして目を細めている。刀士郎は少し離れた場所で、天麩羅をもぐもぐしていた。
「あいつと、いろいろあったことは女王に伏せてくれた。次期皇帝と恋仲なんてそう簡単に報告できる話じゃないからな」
「……そう、か」
公爵たちは、ほむらと義勝の気持ちを考慮して、強制連行せずにいてくれた。
本当は、すぐにでもアカツキに連れ戻したかっただろうに。
彼らには頭が上がらない。
「まあそれに、記憶が戻った今……恋仲という事実も、すっぱり解消した訳だし?」
「え?」
ジークはちらちらとこちらの顔色を窺いながら、言葉を続けた。
「あれはただの元恋人だ。そうだろう? 元、恋人。一日ちょっと付き合っただけの、お試し恋人だ」
「あー……」
「ま、まさか、この期に及んでそんな、けっ……結婚を考えている、なんてことは……?」
「はっはっは」
「笑い事じゃないぞ!?」
「うん、それはそうなんだが……」
私は視線を落とした。
カノンに淹れてもらったお茶をじっと見つめる。
「私には、未来はない。結婚をするかどうか考えるのは、フレアだ。なのに、そんなことを聞かれるのは……不思議だと思ってな」
「…………」
「……そうだ。シリウスが焼いたカステラというのは? 是非食べてみたいものだ」
「! お、俺、取ってきます!」
カノンがぱたぱたと駆けていく。
赤い髪がふわふわ揺れているのを眺めながら、私はローズのことを思い出した。
思えばローズとカノンは、その燃えるような赤髪だけでなく、顔立ちもどことなく似ているような気がする。……いや、さすがにそれはないだろうか。あの力強い眼差しに、彼女の面影を重ねているだけかもしれない。
「……ローズはきっと怒っている」
ぽつりと弱音が零れた。
「私のことなど嫌いになっているだろう。いや、嫌いどころか憎まれているかもしれない。千年も帰って来なかった上、他の奴に心がぐらつきかけたなど、我ながら情けないどころじゃ――――」
「そうか? 彼女がその程度のことで怒るとは思えないがな」
てっきり責められると思ったのに、ジークの反応は想像以上にあっさりしたものだった。
「その程度のこと、か……?」
「キスは未遂だったしちょっと心がぐらついた程度。僕も最初は、ローズというものがありながら……と思ったが、よく考えてみればローズのことだ、その程度のこと豪快に笑い飛ばすさ。いや、仮にお前が女性を身籠もらせて帰って来たとしても、彼女ならちっとも動じないだろう」
「え」
「“がっはっはっは! 子孫繁栄、よくやった!” ……とか言いそう」
「……それはそれで辛いんだが」
確かにローズなら言いそうだが……
彼女は泣いて悲しむタイプではないだろう。
豪快に笑って許すか、決闘を申し込む。そのどちらかな気がする。
私はしょんぼり肩を落とした。
ローズはいつだって格好良かった。堂々としていた。なのに……私はどうだろう?
義勝に縋ってしまった自分が、あまりにも情けない。恥ずかしい。憎たらしい。
落ち込んでいると、ジークがぽんぽん、と私の肩を叩いた。
「笑い飛ばせばいいだろう。昔のお前のように。ローズに会ったらさっくり謝ってさっくり殴られてそれで終いだ」
「うん……」
「大体、昨日まであんなに義勝一筋だったんだ。記憶を思い出した途端急に断ち切れるというものでもないだろう。お前にだって、ほむらとして生きた記憶がある。だからルーク、そう落ち込むな。優しいお前らしい、優柔不断で残念な行為だと思うぞ」
「私は慰められているのか、いないのか」
まあ……慰めて、くれているのだろうな。ジークなりに。
私は情けない顔をジークに向けた。
口元は少しは上げられたから、多分笑顔にはなっただろう。
「……完膚なきまで責められると思っていたのに」
「僕はもうお前を責めたりはしない。そういうのは疲れた。ただ……前世の思いというのは厄介だな、本当に」
義勝と刀士郎はサクラから団子を貰って口に入れた途端、ほとんど同時に口を押さえながらその場に崩れ落ちていた。シドが慌て、サクラが不思議そうな顔をして、シリウスが「無理して食わなくていいから!」と二人に駆け寄る。
折角サクラに貰った物だからと、何とか食べようとしているのだろう。
その心意気は微笑ましくあったが、下手をすれば死んでしまうのでは? 義勝はもごもごしながら、「やはりお前に団子は早いぞ刀士郎!吐き出せ!」と声を上げ、刀士郎は刀士郎で「俺は顎が強いから問題……ない!」と必死で口を動かしている。
結局どっちも四苦八苦しながら団子を食べ終えて、「非常に……面白い団子だった。生涯でこれほど面白い団子に出会ったことはない」「美味だ」とサクラに感想を伝えていた。
「面白いだろう。見ていて飽きない」
「それはそうだが…………。そういうのが、嫉妬する」
「嫉妬?」
「だってそうだろう。お前がそうやってあいつらを想うように、フレアもまた、あいつらへの想いを捨てきることはできない、きっと。……本当に、義勝に恋をしてしまうかもしれない。結婚したいと言われても、僕はもう婚約者でも何でもない。彼女を止めることはできない」
ジークは小さく息を吐いて、くしゃくしゃと髪を掻きむしった。
「ジーク……?」
「僕は、フレアのことが好きだ」
私へ向けられた目は、僅かに濡れて、迷いが浮かんでいた。
「彼女に会いたい。……だけど、そのためにお前が消えるのも、嫌なんだ。…………昨日まで普通に喋っていた、ほむらが、今はもうどこにもいない。お前もそうなるんだろう? そんな風に…………それが、僕は嫌で堪らない」
そう言って、彼は立ち上がった。
「……食べたらすぐアカツキに戻る。フレアは未だ罪人という扱いだ。これから女王の小言と裁判と、いろいろ忙しく面倒なものが待ってる。覚悟しておけ」
「ああ」
私は静かに頷いた。
ジークは大股で歩いて行った。
まだ食べるつもりか、新しい皿を手に取っている。そしてそれに気づいたエイトと乱蔵が「もうやめた方がいい」と止めに入っていた。
私はその様子を眺めながら、一人ぼんやりしていた。
これからどうするべきか、何をするべきか。
『ここからはあんたの旅よ。あんたが、ちゃんと別れを告げるための旅』
フレアが私に告げた言葉が、頭の中で蘇る。
私が眠っている間に、シドは救われた。
まだイグニス公爵にも彼のことは伏せているし、これからの処遇についてはいろいろ本人や義勝とも話し合わねばならないだろうが、現状、彼はどんな危険からも遠ざけられている。
元々、シドを助けアカツキに連れて帰るのが私の目的だった。
彼は、私の行動がきっかけで運命を狂わされてしまったから。
本来ならイグニス邸でその能力を開花させるはずだったのに、イグニス公爵を助けたことで、結果的に彼をイグニス邸から追い出すことになってしまった。それが彼の不幸の始まりだった。
だから、この手で救いたかったのだ。
過去に犯した過ちをなかったことにはできない。
ルーナを蘇らせることも、シドの追放を阻止することも……終わったことは、もう取り返しがつかない。
けれど、もし今回シドを助けることができたなら。
シドが救われることは、私の救いにもなる。
私の存在理由になるかもしれないと思った。
こんな私にも、できることがあると思いたかった。
私は自分を救うために、シドを救いたかったのだ。
……だが、私は結局何もできないまま、こうしてフレアに体を返すこともできず、存在している。
私は、一体何をすればいい?
私が別れを告げるために、必要なことは何だ?
「おいで、ルーク様」
その時、突然名前を囁かれた。
「甘ぁいカステラが欲しいんでしょ?」
振り返ると、にっこり笑顔の弟子が、山盛りのカステラを手に私を見下ろしていた。




